膝の手術
今年の1月に人生初入院、人生初全身麻酔で膝の手術を行った。
この3年位ちょっと走るとすぐ左の膝が痛くなって、歩くのもままならない様な状態で幾つか整形外科を渡り歩いていたのだが、レントゲンでは異常は無く、ヒアルロン酸を患部に注射したりして様子を見ていたのだが、全く良くなる気配はなし。
いつまでもこれではまずいと思い、意を決してちゃんとした病院でMRIを撮ったところ、半月板がすり減っていそうな結果だった。
その原因と考えられるのがO脚。
足首と股関節を直線で結ぶと、O脚だと直線が膝の内側を通り、マラソンなどで繰り返し負荷が掛かると損傷の原因になるそうだ。
主治医と良く相談の上、老後のことも考えて内視鏡での半月板の確認と合わせ、O脚を矯正する高位脛骨骨切術を行うことにした。
内視鏡での確認の結果、半月板は縦に断裂していて、断裂した片方の先端がどこかの隙間に入り込んでしまっていたようだ。
半月板は綺麗に縫い合わせてもらった。
半月板は血液がほとんど流れておらず、くっつくかどうかは微妙な様だ。又、縫った糸は溶けてなくなったりせず、後で抜糸もしないそう。
そして、高位脛骨骨切術の方は膝の下の脛の骨を切断して角度を変えて隙間に人工骨を入れ、ボルトとプレートで固定する手術だ。
主治医から初めて話を聞いた時、思わず絶句してしまったが、生涯スポーツとしてランニングは続けたかったので手術を決断した。
結局入院は9日間掛かった。自分としては1週間で退院するつもりでいたのだが、術後3日間は殆ど身動きが取れず、発熱もあり、身体にメスを入れると言うのはこれ程までにダメージが有るのかと思い知らされた。
退院後は在宅勤務を1週間ほどさせて頂いて、最初はデスクワークメインで出勤を始めた。松葉杖が外れるのに2ヶ月くらい掛かった。
5月くらいからは軽いジョギングも出来る様になり、7月に入った現在は2時間くらいの散歩の中で、途中休み休み1時間程度走れるくらいまでになった。
まだ骨は30%程度までしかくっついていないが、来年の1月にはボルトとプレートを抜く手術を行う予定だ。
ボルトを抜いた後の骨に空いた穴を想像するとなんだか物凄く痛々しいが、まだまだ当面あまり無理をしない程度に頑張って行こうと思う。
今日はこの辺で。
西丹沢のご先祖様
一昨年から昨年に掛け、家系図を作成するにあたり自分の両親に繋がる全ての系統の戸籍を集められるだけ集め、古くて1700年代くらいまでのご先祖様の名前が判明した。
母方の系統は西丹沢で代々生活を営んできたのだが、文献で調べたところ有る一派は鎌倉時代から土着していたと言われ、又ある一派は元々世附の更に奥地の集落で暮らしていたが、江戸時代に水害で集落が流され、現在の地に移住して来たそうだ。
南北朝の頃、足利氏に追われた新田氏が鎌倉を逃れ山北の河村城に籠もったが、その後河村城が落ちた際に新田氏(清和源氏)と河村氏(藤原秀郷流)を始めとする武者が世附の奥地に逃れ、潜住・土着したという。
世附の奥地や西丹沢には菊花紋を付した山神様の台座などが見かけられるが、当時の河村氏は菊花紋を使用していたらしい。
又、源氏ゆかりの神である白幡社の祠もひっそりと佇んでいる。
自分の中にそれらの人々の血が流れているのかは分からないが、以前西丹沢の奥地に憧れて時々走り回っていたのは、DNAに刻まれた何か遠い記憶みたいなものが有るのかもしれない。
西丹沢には後醍醐天皇にまつわる伝説も有り、昭和の初めころには発掘を行った者もあったそうで、色々調べて行くととても興味深い。
今日はこの辺で。
書斎にテレビ
普段テレビは余り見ないのだが、書斎スペースの片隅にテレビを設置した。
パナソニックの19型液晶テレビ、プライベート・ビエラ ブラック UN-19F10-Kを購入。
アンテナ端子の有る部屋に設置した別置きの小さなチューナーから、別の場所に設置したモニター部へ無線で電波を送信するので、アンテナ端子が無い部屋でも自由な位置に設置出来るのが大きな特徴。
電源ON時の通信確立に少し時間が掛かったり、普通にアンテナ線に繋がっているテレビより1秒前後映像と音声が遅れるが、特に大きな不満は無い。
壁掛け対応では無いが、デスクサイドの金網に無理やり設置。
合わせてソニーのコンパクトなブルーレイ/DVDプレーヤーBDP-S1500と、バッファローの3TBの外付けHDD、HD-AD3U3も購入したので、昔揃えた多くの映画DVDを鑑賞したり、最近の番組を録画して書斎で見る事が出来る様になって快適!
快適さを享受しているのはどうやら私より娘の方の様だが。。
今日はこの辺で。
最乗寺古参道
大雄山最乗寺に続く県道723号線。
実はこの道路、関本小涌谷線といって南足柄市の関本から箱根町の小涌谷まで通じている(はずの)県道なのだ。
その途中には明神ヶ岳がそびえ立ち、登山道となっていて車の通行はできない。
南足柄側からは、車では最乗寺までしか行けないのである。
この道路がいつ出来たかは定かでないが、古い地図と現在の地図を重ねて見ると、同じ位置もあれば少しずれている位置も有る様だ。
下の地図で黄色く示したのが現在の県道723号線、赤色で示したのが古参道である。
明治になって東海道線が開通(この時は御殿場回り)すると、松田駅で下車して最乗寺まで徒歩で参拝していたと言う。
当時はこの赤色で示した参道を歩いていたのだろう。
現在では仁王門から上は車道の脇に、「天狗のこみち」という遊歩道が設けられ、車道に出ずに徒歩で行く事ができる。
その途中、至る所で古参道の名残を目にする。
最後は道了尊売店の裏手から安気地蔵尊の脇に出て三門方面へ。
いつも歩いてみたいと思うのだが、何しろヤブが酷い。
真冬に長靴を履いてチャレンジか?w
今日はこの辺で。