Love letter from heaven
みなさまこんばんは。
東京。
快晴です。
今日もほぼ一日中外出していました。
まあそれにしても、東京って本当にすごいですよね。
関西にいるときによく聞いたのですが、『大阪は東京と比べると5年遅れている』ってね。
う~ん。
5年か???
まあ、この辺のことは『T』の回で書こうと思います。
さて、本日のタイトル。
以前より告知しておりましたものです。
すみません。
内容がかなり長いですので、もし読んでいただける方がいらっしゃいましたら、途中で嫌になるかもわかりませんが、かなり真面目に書いておりますので、できれば最後まで読んでいただければと思います。
先週の水曜日に渋谷の某映画館へ映画を見に行ってきました。
『天国からのラブレター』
本はずいぶん前に出版されたと記憶していますが、時を経て映画化されたのですね。
これは、まさか知らない人はいないだろうと思いますが、1999年4月14日に山口県光市で当時18歳だった少年に当時23歳だった母親と当時11ヶ月の娘が殺害された事件がテーマになっています。
と言っても、事件自体に関することは取り上げられていません。
それを示唆するような部分はありますが、直接の犯罪行為に関する部分は映像になっていません。
お二人の出会い。
その後の交際。
北九州と広島での生活。
妊娠、結婚、出産に至る過程。
そして、光市での生活などが描かれていました。
映画の紹介文にご本人(本村洋さん)が書かれていますが、内容自体は『ごく普通のカップルの、ごく普通のラブストーリー』でしょう。
特段珍しいことでもなんでもないと思います。
私はこの方と同じ歳なので、いろいろ懐かしく思うようなところはありましたけどね。
当時は彼女の携帯のメールアドレスではなくて家の電話番号を聞かなければならず、そしてまた電話をかけるにしても一体いつかければいいのか、そしてまた、違う人が出てきたらどう対処するかなどを考えたものです。
今はそんなことないんだよな。。
携帯電話はすでにあったけど、まだみんなが持っているような時代じゃなかったから。
殺害された本村弥生さん役の女優さんは、ご実家まで行き色々話を聞いたりした上で役作りをしたそうです。
この人、なかなか良かったですよ。
もっと作品に恵まれれば、ブレイクするような気がします。
それはともかく、これは確かに存在した事実であり、確かに存在した女性であり、確かに存在した二人の子どもであり、確かに存在した家族の幸せなのですが、それらがある日突然この世から消滅したのです。
一人の犯罪者の自分勝手な欲望によって。
現在この事件は広島高裁で差し戻し控訴審の集中審理が行われています。
これについての私の意見は、ここには書きません。
私はこう見えても某国立大学の法学部を卒業しており、『マジメな学生』とはほど遠い存在でしたが一応は勉強をしており、死刑制度についてもいろいろ思うところはあります。
日テレの番組で有名な橋下弁護士の発言での騒動など、実にしょうもない(←これは橋下弁護士自身がおっしゃってました。弁護士同士でしょうもない損害賠償訴訟なんかしている場合か?)ことでの争いもありますが、国家が、いかに犯罪者といえど人間に対して『死』という刑罰を与えることは、本当に正しいことなのかという問題は確かにあります。
10月4日付の朝日新聞朝刊の天声人語にも書いてありましたが、死刑制度の是非は今後『裁判員制度』も始まることですし、みな一人一人が考えなくてはならないことです。
鳩山法務大臣の『ベルトコンベアー的な』発言は確かにちょっと問題ですが、一方で過去には『私は自分の在任中に死刑執行の署名は行わない』などといった、職務放棄とも取れる発言をし、実際に一度も署名を行わなかったという法相もいるのです。
人の命を奪いながら、一方で自分の命は絶対に奪われない。
そういったことは、やはり許されないのではないかと思います。
まあ、このブログはそういう思想的なことを書くところではないし、弁護士という人権のプロフェッショナルに対して私みたいな人間が何かを言う立場にもないですからね。
この辺でやめておきましょう。
あの弁護団の中に、記者会見で『完璧な(加害者の元少年の)弁護ができた』と号泣した弁護士がいましたが、まあ世間一般常識に照らせば明らかにずれているのですが、あれは裁判を有利にするための戦術ではなく、本当に真実に心の底からの涙だからなおさら性質が悪いわけでね。。
まあ、いろいろな思想があるわけです。
私はこの映画を見ている最中も本当にいろんなことを考えていて、そして映画が終わった後も、しばらく映画が終わったことに気がつきませんでした。
なんていうか、他のことを考える余裕がありませんでした。
そのぐらいのものを私は受けました。
今、全国の映画館では、キムタクさんが主演の莫大な制作費と宣伝費をかけた『作り話』の映画が話題になっていますが、その影で、こういう真実の映画が渋谷の映画館と呼ぶにはあまりにも小さすぎる映画館での単館上映になっているわけで。。
なんか順番が違うような気がするんだけどな~。
私は今回渋谷に行くことができる環境にいたからこそ、この映画を見ることができた。
自分の運命に感謝します。
そして、最後に一つ。
私は、今まで大きな勘違いをしていたことがありました。
この『光市母子殺害事件』。
いまやこの事件の概要を知らない人はいないでしょう。
被害者の御遺族である本村洋さんは、今も戦っておられます。
何度も書きますが、この方は私と同じ歳です。
入社1年目で、これから3人での(そしておそらくその後も家族は増えたであろうから、それ以上での)未来を一緒に歩んでいくはずでした。
いまだに結婚することもできないような小人の私とはえらい違いです。
私はこの映画を見る前は、
『被害者の方々は、犯罪者によって未来を奪われたのだ。』
と思っていました。
でも、これはとんでもない思い違いでした。
『被害者の方々は、犯罪者によって未来だけでなく過去も奪われたのだ。』
この映画を見て、本当にこのことを一番強く思い、そして恥じました。
自分は本当に薄っぺらい人間なんだな~ってね。。
今まで私はそんなことにすら気がつかなかったのです。
情けない人間です。
自虐ではなく、本当にそう思いました。
この映画のエンディングに、弥生さん役の女優のナレーションがあります。
これはもちろん脚本家の想像の言葉です。
ご本人は、最期の言葉を残すことすらできなかったわけですから。
でも。
私は『あの言葉がご本人の本当の言葉であってほしい』と思いました。
失われたものは決して還ってこない。
けど。
でも。
それでも、そこに『生きる意味』があってほしい。
そう思いました。
この映画のエンディングテーマ曲は、Every Little Thingの『恋文』です。
歌詞をここに書くと著作権上の問題がありますので書きませんが、もしこの歌をご存知の方がいらっしゃいましたら、一度歌詞だけでもいいから読み返してみてください。
何か感じるところがあるのではないかと思います。
この映画を見に行ってよかったです。
はい。
長くなって大変申し訳ありませんでした。
最後まで読んでいただいた方はほとんどいないでしょうね(笑)。
まあ、仕方がないです。
自分でもこれを書くのに結構時間が掛かりましたからね。
でも、私にとってはそれだけの価値がある経験でした。
さてさて。
次回のタイトルは『Metamorphosis』です。
次回は短いので安心してくださいね。
良ければまた読んでください。
ではまたあした。