秋に聴きたいキュンなバラード曲を紹介している途中ですが、

またまた先週に引き続き、今週も1985年全米No.1ヒットシリーズです。

前回、1985年11月9日付でNo.1だった、
ヤン・ハマー「マイアミ・ヴァイスのテーマ」に代わり、
1985年11月16日と23日の2週間No.1となったのが、


スターシップ「シスコはロックシティ」


1965年にサンフランシスコで結成されたロックバンド、
ジェファーソン・エアプレインを母体とし、
約20年の間に、多くのメンバーチェンジと、
1974年のジェファーソン・スターシップへの改名を経て、
この年、オリジナルメンバーが一人もいなくなるという事態から、
新たなバンド名、スターシップとして2度目の改名を果たした彼ら。

ブログでは、昨年のお正月、
うさぎ年ということにちなんだ曲として、
初期のジェファーソン・エアプレイン時代のヒット曲、
ホワイト・ラビット(White Rabbit)」(2011.1.3)
を取り上げています。

80年代に生き延びて、新たな再生をめざしスタートした、
彼ら自身を歌った曲ともいえる、
また彼らの地元、サンフランシスコをイメージさせる色合いを持った、
「地元賛歌」ともいえる、力強いポップロックナンバーです。

20年のバンドの歴史の中で、初の全米No.1ヒットとなりました。


①実際のアメリカの街の風景と、CG化された背景に、
 バンドと色々な人種の人々が繰り広げる、曲の世界観を表したイメージPV。




②グレイス・スリックも在籍していたころのライブステージから。




③1996年のロックフェスの映像から。
 すでにこの時点では、ミッキー・トーマスと彼のバンド・スターシップという形で、
 この曲のヒット時とは全く違ったメンバーで演奏が行われています。



☆Starship "We Built This City" from the album "Knee Deep In The Hoopla"
 1985年Billboard Hot100 最高位1位(11/16,23付の2週間)


We built this city, we built this city on rock an' roll
Built this city, we built this city on rock an' roll

>> ボクらがこの街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ
>> この街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ

Say you don't know me, or recognize my face
Say you don't care who goes to that kind of place
Knee deep in the hoopla, sinking in your fight
Too many runaways eating up the night

>> ボクのこと知らないのかい?この顔に見覚えはない?
>> 君は誰がそんな場所に行くかなんて気にしないんだね
>> 誇大広告にどっぷり浸かって、抵抗しようなんて気持ちが失せて
>> こんなにたくさんの夜逃げ者が街を食い尽くしてる

Marconi plays the mamba, listen to the radio, don't you remember
We built this city, we built this city on rock an' roll

>> マルコーニがマンバをプレイしてるよ、ラジオ聴きなよ、覚えてないのかい?
>> ボクらがこの街を作ったんじゃないか、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ

We built this city, we built this city on rock an' roll
Built this city, we built this city on rock an' roll

>> ボクらがこの街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ
>> この街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ

Someone's always playing corporation games
Who cares they're always changing corporation names
We just want to dance here, someone stole the stage
They call us irresponsible, write us off the page

>> どこやらの連中は経営のゲームに明け暮れている
>> でも彼らがしょっちゅう会社の名前を変えているなんて誰が気にするかしら?
>> 私たちはただここでダンスしたいだけ、誰かがステージにしてしまったこの場所で
>> 彼らは私たちを無責任者って呼び、歴史のページから抹消しようとしているわ

Marconi plays the mamba, listen to the radio, don't you remember
We built this city, we built this city on rock an' roll

>> マルコーニがマンバをプレイしてるわ、ラジオ聴いてよ、覚えてない?
>> 私たちがこの街を作ったのよ、私たちがロックンロールでこの街を作り上げたんだ

We built this city, we built this city on rock an' roll
Built this city, we built this city on rock an' roll

>> ボクらがこの街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ
>> この街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ

It's just another Sunday, in a tired old street
Police have got the choke hold, oh, then we just lost the beat

>> また次の日曜がやってきた、この寂れた古いストリートにも
>> 警察権力がボクらを抑え込んでしまった、ああ、そしてボクらのビートは失われたのさ

Who counts the money underneath the bar
Who rides the wrecking ball in two wild guitars
Don't tell us you need us, 'cause we're just simple fools
Looking for America, coming through your schools

>> 誰がバーの裏口で金を数えてるんだ?
>> 誰が二人の荒っぽいギターで鋼玉みたいな音に乗るっていうんだ?
>> 私たちの力が必要だなんていわないでよ、だってボクらはただの単純バカなだけ
>> アメリカの行方を捜すために、君らの学校を通り抜けていくだけなのさ

(I'm looking out over that Golden Gate bridge
Out on a gorgeous sunny Saturday, I've seen that low amount of traffic)

(DJ)
>> ゴールデンゲートブリッジが眺められるここから
>> 窓の外の優雅な晴れ間の土曜日、車の列がのんびりと流れています

Don't you remember (remember)

>> 覚えてるかい?

(Here's your favorite radio station, in your favorite radio city
The city by the bay, the city that rocks, the city that never sleeps)

(DJ)
>> ここはあなたのお気に入りのラジオステーション、お気に入りのラジオシティー
>> 海辺のそばの街、ロックの街、そして眠らない街

Marconi plays the mamba, listen to the radio, don't you remember
We built this city, we built this city on rock an' roll

>> マルコーニがマンバをプレイしてるよ、ラジオ聴きなよ、覚えてないのかい?
>> ボクらがこの街を作ったんじゃないか、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ

We built this city, we built this city on rock an' roll
Built this city, we built this city on rock an' roll

>> ボクらがこの街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ
>> この街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ

We built this city, we built this city on rock an' roll
Built this city, we built this city on rock an' roll

>> ボクらがこの街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ
>> この街を作ったんだ、ボクらがロックンロールでこの街を作り上げたんだ

(We built, we built this city)
built this city
(we built, we built this city)...

(repeat)


曲中にサンフランスシスコを明言する歌詞はないものの、

後半の間奏に挟んだ、ラジオDJ風なしゃべりの中に、
「ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)を眺めながら」
って出てきますね。

バンド自体のベースがサンフランシスコからスタートしていることもあって、
放題が「シスコはロックシティ」というタイトルになっています。

このラジオDJ風のしゃべりを入れているのが、
当時MTVのVJをやっていて、後にMTVの重役に就いたことで知られる、
レ・ガーランド(レス・ガーランドともいわれる)で、

後半のしゃべりの中でこんなことを言ってますが、

The city by the bay:これはサンフランシスコの例え
The city that rocks:これは一般的にはロックンロール発祥の地、
            オハイオ州クリーブランドのこと
The city that never sleeps:『眠らない街』とは一般的にはニューヨークのこと


ただ、確かに特定の街のことを歌ったわけではないという考え方と、
この曲自体が、自分たちの今のことを歌っているんだという、
そういった思いから「シスコ」をイメージして歌われているんだという考えも
同時に起こるのでしょう。

そんな、バンド自体の思い入れのある曲でもあるのですが、
実は、この曲を書いたのはバンドメンバーでなく、

作詞はエルトン・ジョンの作品で知られるバーニー・トーピン、
作曲はイギリスのバンドQフィールのメンバー、マーティン・ペイジ、
さらにデニス・ランバート、ピーター・ウルフが追加で曲作りに参加し、
プロデュースもピーター・ウルフとジェレミー・スミスによるものです。

つまり、作品自体にメンバーの息が全くかかっていない曲なんです。


1965年にジェファーソン・エアプレインとして結成されたときには、
ポール・カントナー、マーティ・バリン、ヨーマ・コーコネンの3人が中心で、
その後はいろいろなメンバーが入れ替わり立ち代わりという形で、
バンドにかかわってきました。

激動の60年代に人気を得た彼らは、
フォーク、カントリー、R&B、ブルースといった多様な音楽に影響され、
さらに当時のヒッピー文化や、反戦、反体制といった、
サイケデリックな色合いを持ったロックバンドとして、
数多くの曲を書き、作品として発表してきました。

その中に、1967年にソングライター、シンガーとして参加し、
バンドのイメージ的存在として、多くの曲の作曲、ボーカルにかかわり、
この曲に、唯一当時のメンバーとしてかかわっているのが、
グレイス・スリックです。

前回取り上げた「ホワイト・ラビット」は、
まさに彼女が書き歌った曲で、
当時のバンドの色を表した曲であったと言えます。

今年デビュー40周年の松任谷由実が、
この秋コラボコンサートを行う、プロコル・ハルムとともに、
最も影響を受けた女性アーティストとして挙げているのが、
このグレイス・スリックで、
「グレイス・スリックの肖像」って曲も書かれているほどです。

そんな特異な個性とソングライティング能力を持ったグレイス・スリックは、
非常に繊細で、気まぐれな部分もあったことから、
何度もバンド活動から離れたり戻ったりしていました。

結成当時のメンバーや途中参加のメンバーが離れていく中、
70年代前半には、新しいバンド名として、
ジェファーソン・スターシップと改名。
ポール・カントナーを中心に、
一度はバンドを離れていたグレイス・スリックや、
マーティ・バリンも戻り、バンドは復活したかに見えました。

しかし、リードボーカリストでもあったマーティが、
1979年グレイスとともにバンドを抜け、
代わって、エルビン・ビショップ・グループのバックコーラスから、
ジェファーソン・スターシップのボーカルに起用されたのが、
ミッキー・トーマス。

80年代に入ると、MTV時代に入り、
よりポップな一般受けのロックが求められる時代となり、

元々、才能も個性も強いメンバーを中心的にまとめてきた
バンド創設メンバーの一人、ポール・カントナーが、
従来のバンドの個性を出そうとしていたのと、
ミッキー・トーマスらのメンバーが、
コンテンポラリーなヒット路線を勧めようとして、
双方の対立が深刻なものとなり、

結局は、ポール・カントナーがバンドを抜けるだけでなく、
従来から使用してきた「ジェファーソン・スターシップ」という名前を、
バンドに使用させないよう裁判沙汰になってしまいました。

バンド結成から、約20年で、
結成時のメンバーが一人もいなくなってしまい、
加えて「ジェファーソン・スターシップ」と名乗れなくなった彼らは、
新たに「スターシップ」として、レコード契約を結び、
ここにグレイス・スリックが再び加わることになるのです。


彼らが新バンド名で、この曲も含まれる最初のアルバム、
「フープラ(Knee Deep In The Hoopla)」は、
この曲中に使われている詞からとられたタイトルで、

"hoopla"という言葉は、「大騒ぎ」「騒動」という意味ですが、
「誇大広告」的な使われ方で、
「派手なコマーシャリズムに膝までどっぷり使っている」
というタイトルなんですよね。

アルバム収録曲の中で、
メンバーがソングライティングしているのはたった1曲だけ。
しかもシングルカットされていないナンバーです。


そこで、この曲の詞を改めて読んでいると、

自分たちがロックンロールを作り上げてきたんだという誇りと、
ロックがわけのわからない会社ゲームに巻き込まれていて、
権力に押しつぶされようとしている怒りが描かれていて、

ロックに力を取り戻してほしい、
ラジオの味方であってほしい、
リスナーの味方であってほしい、
そんな思いを詞にこめているんです。

サウンドがわかりやすくポップで、
ラジオDJ風演出などもあって、
ラジオステーション受け、リスナー受けが抜群であったことで、
この曲は、彼らにとって初の全米No.1シングルとなりました。


でも、よく考えてみると、
会社ゲームをうまく利用してないか?
いわゆる音楽業界にどっぷり染まってしまってるんじゃないか?
言ってることとやってることが違うよね・・・

従来のジェファーソン・エアプレイン時代を知るファンには、
おそらくこんな感じで愕然としたんじゃないかと思います。

アメリカの音楽雑誌「Blender」が選ぶ、
音楽史に残るもっともひどい歌詞50の第1位であるとか、
「ローリングストーン・マガジン」が選ぶ、
80年代の最悪曲のNo.1に選ばれるなど、
マニア、評論家からは、相当ひどい扱いを受けている曲でもあるのです。

どんな音楽でもそうだけど、
改めて、作る人と聴く人の立場の違い、
また、それぞれに積み上げられてきた経験とか好みなどの違いって
なかなか埋められるものではないなって感じます。

とはいえ、この曲が80年代を代表するポップロックヒットの名曲の一つとして、
現在まで心に残っていることは間違いありません。


アルバム「フープラ」からは、
この曲に続くセカンドシングルである心にしみるバラードナンバーが、
1986年3月にNo.1を記録しています。
(ブログでは、来年3月15日に紹介予定)

さらに3枚目のシングル、
「トゥモロウ・ダズント・マター・トゥナイト(Tomorrow Doesn't Matter Tonight)」
も最高位26位のスマッシュヒットになっています。


バンドはこの成功をもってしても、
アルバム発売後のツアー中に、メンバーの脱退が続き、
1987年のアルバム、
「ノー・プロテクション(No Protection)」からも、
全米No.1シングルが出たものの、
発売後に、グレイス・スリックが脱退してしまいます。

スターシップは、一時バンド活動を休止し、
ミッキー・トーマスは、ソロ活動を行っていましたが、
後に、スターシップfeaturingミッキー・トーマスとして、
スターシップ時代のナンバーをツアーで演奏するなどの
活動を行っています。

一方、新バンド前に脱退したポール・カントナーは、
旧メンバーのマーティ・バリン、ジャック・キャサディと、
KBCバンドを結成し、業界に媚びない独自の音楽活動を続け、
後にジェファーソン・スターシップの再結成を行い、
現在も活動を続けています。


「'85 US No.1」シリーズ。
次回は、11月30日の予定。

この年、3曲目の全米No.1ヒット。
映画主題歌、新アルバムからのファーストシングルと続いて、
再び映画の挿入歌からのNo.1ヒット。
無名の新人女性シンガーとのデュエットによる、
ドラマチックなバラードナンバーです。


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