ピンク・フロイドのリチャード・ライトが死去 | 癌の予防と健康とわたしのブログ

ピンク・フロイドのリチャード・ライトが死去

現地時間15日、ピンク・フロイドのオリジナル・メンバーでキーボード奏者のリチャード・ライトがイングランドで死去した。65歳だった。AP通信によると、ライトは癌を患い闘病生活を送っていたが、詳しい死因は明らかにされていないとのこと。


「ピンク・フロイドのオリジナル・メンバー、リチャード・ライトの遺族は、深い悲しみと共に、短い癌との闘いの末に、リチャードが死去したことを発表します」とスポークスパーソンは文書を通じて述べた。


独学でキーボードを勉強したライトは、1964年に建築を学んでいた学生時代にベーシストのロジャー・ウォーターズとドラマーのニック・メイソンと出会い、後にピンク・フロイドとなるシグマ6というグループに参加した。1968年にバンドを脱退し、2006年に癌で死去したシンガー/ギタリストのシド・バレットと共に、ピンク・フロイドはイギリスの音楽シーンにおける最もクリエイティブでパワフルなサイケデリック・バンドへと成長した。


バンドは1970年代~1980年初頭にかけて人気の絶頂期を迎え、1973年には『Dark Side of the Moon』が全米1位を獲得。741週に渡ってチャートに留まるという偉業を成し遂げた。


だが、1970年代が進むにつれて、ウォーターズがバンドの曲作りや音楽性を支配し始め、ライトは1979年のアルバム『The Wall』のレコーディング中に脱退。1980年と81年にはライブに出演したが、唯一1983年のアルバム『The Final Cut』では演奏しなかった。その後、ウォーターズの脱退を受けて、ライトは1988年にバンドに復活。1994年リリースの『The Division Bell』ではキーボードを演奏したほか、1曲ではボーカルを提供し、5曲のソングライティングも行っている。


ピンク・フロイドのすべてのツアーで演奏してきたライトは、2005年に「ライブ・エイト」でバンドが再結成した際にも出演していた(写真)。ほかにも生前に数作品のソロアルバムをリリースしたほか、シド・バレットの作品にも参加。バレット脱退後に加入したデヴィッド・ギルモアとは定期的に共演していた。


出典:MTVジャパン