その日の内に新しいクリニックで診察していただきました。



医師は、丁寧に話を聞いて下さり、カウンセリングの予約と、診断書は要るかと聞いて下さりました。



まだ、会社に診断書を提出するのが怖かったので、とりあえず不要と答えました。



一度崩れた心はなかなかすぐには戻らず、元の店舗で通常通り働いていても思考能力は落ち、体はだるく、数日のうちにクリニックを受診し、やはり診断書をもらうことになりました。



内容は勤務調整が必要というものでした。



これを会社に提出して数日後、他店舗異動の辞令は取り消しになりました。



医師の診断書の力をまざまざと感じました。



悲しみと不安から解放され、体調も上向きになるかと思いきや、



先ほど書いた通り、一度崩れた心は簡単には回復せず、



大好きな元の店舗での仕事ですら満足にこなせなくなっていました。



8月ももう終わりという頃、私は出勤早々猛烈な吐き気に襲われ、吐かなかったもののまともに仕事を続けることができず、早退をさせてもらいました。



その翌日も朝から吐き気で、働くことができず、早退し、クリニックを受診しました。



朝からは休職を勧められ、診断書をいただきました。



そのまま、店舗へ戻り、診断書を提出して帰りました。



去り際に店長さんがとても不安そうな顔をされていたのが印象的でした。



こうして私は1ヶ月の休職に入りました。
再び抗うつ薬を飲むことになりました。

せっかく一度やめることができたのに、再び毎日薬を飲むことになるなんて。

診察を受けた日の夜、久々の薬を飲む時は、悲しさでいっぱいでした。

診察を受けた翌日も、新店舗での研修でした。

予想通り、朝どうしても出勤することができず、再び泣きながら電話をし、お休みをいただくことになりました。

2日連続で休んでしまった自責の念と、うつ病の苦しさから、すがる思いで昨日受診したクリニックを訪ねました。

医師は、カウンセリングを受けたいかと聞いてきて、私は、昨年カウンセリングを受けて、ずいぶん良くなった経験から、是非にと回答しました。

すると医師は、少し遠い心療内科専門のくりにを紹介してくださり、次回からそこでお世話になることになりました。
久々の更新です。

前回の日記で、心の火が消えかけているというところまで書きました。

結論から言うと、その火は消えました。

新入社員で、新米薬剤師として、覚えることばかり。

そして知識不足の中患者様にお薬の説明をし、時には患者様からの質問に答える。

時として、患者様の質問に満足に応えられず、自責の念に苛まれる。

家に帰れば、引越し準備や片付けの毎日。

結婚の準備もたくさん。

心休まる時間もなく、体力的にも疲弊し、趣味を楽しむ心と体の余裕もなし。

本当にギリギリの状態の中でなんとか仕事を続けていたところに衝撃の辞令が。

9月から別店舗へ移動してもらいます。8月は現場慣れしてもらうために少しずつその店舗で働いてもらいます。

悲しかった。

今の店舗の皆さんはとてもいい人達ばかりで、この環境だからこそ、ギリギリのところで耐えることができていたのに。

まだまだ新米で、この店舗のルールさえ覚えきっていない。一通りの仕事もまだ覚えられていない。明らかな知識不足なのに。

大好きなスタッフさんとの別れと、未熟者が新しい店舗へ異動する不安から、いよいよ心が悲鳴を上げ始めました。

8月に入り、他店舗での研修が始まりました。

その店舗は前の店舗より規模が小さく、中の機器も前の店舗より古く、数も少ない。

でも、次から次へと患者様がいらっしゃるので、忙しさは前店舗以上。

薬のラインナップも違うからば全て覚え直し。
ベテラン薬剤師さんなら、経験を武器になんとか戦えたでしょうが、恵まれた前の店舗ですら、ギリギリだった私にとっては完全なるオーバーワークでした。

研修を2日こなし、次の3回目の日、私は限界に達しました。

仕事の前日、夜寝る前、私は翌日の不安と恐怖で、涙が止まらなくなりました。

妻がつきっきりで慰めてくれましたが、その夜はなかなか寝付けず、頭が重く、圧倒的なしんどさと戦いながら、夜遅くにやっと眠りにつきました。

翌朝

私はどうしてもしごとの準備をすることができず、泣きながら前の店舗の店長に電話をし、お休みをいただくことになりました。

そして、なんとか近くの内科と心療内科を標榜するクリニックへ行き、診察を受けました。

薬をもう一度飲み始めた方がいいねとのことで、また抗うつ薬を飲むことになりました。

すなわち、うつ病の再発という事実を受け止めることになったのです。

皆さまお久しぶりです。
2月の薬剤師国家試験に無事合格し、4月から某調剤薬局で働き始めました。

薬も、断薬症状が出ないように徐々に減量し、五月末ごろまでに完全にやめることができました。

もともと薬の効果を感じたことはなく、やめると断薬症状が出るから漫然と飲んでいただけなので、やめたからといって症状が悪化することもありませんでした。

晴れて就職でき、お付き合いしていた女性とも結婚のメドもたちました。

職場は職業柄女性がほとんどのところですが、皆さんいい人ばかりで、楽しく働いています。

仕事はなれないことばかりで、しばしば疲れ切って、気持ちまで塞ぎ込んでしまうこともあります。

覚えることばかりで、またしばしばミスもしてしまい、毎日頭がふらふらになってしまいます。

間違い無く、今までの精神状態では乗り越えられないほど毎日一生懸命ですが、昨年一年間のカウンセリングのおかげでなんとか乗り越えられています。

職場では、気が張っていて、またやることがたくさんあるので今までの病気のことはすっかり忘れているのですが、

最近になり、休日は朝からどんよりと沈んで何もやる気にならない日が出てきました。

つい先日も割と大きなミスをして、

それは患者さまに影響のあるものではなかったのですが、

それの後始末で、他の薬剤師の先生も一緒になって残業になりました。

私のせいで一緒に残る羽目になった他の先生方に大変申し訳なく、翌日のお休みの日、いつも通りどんより。

過去のどん底の頃と比べれば、1/5、1/10程度なので、マシなのですが、

恐れているのは、これが慢性化して、また元のようになってしまうのではないかということです。

どれだけ症状が良くなっても、再発の恐怖とはおそらく一生付き合っていかなければならないのでしょう。

去年のカウンセリングで、大まかな心の安定は得られたと思っていました。

しかし、これはあくまで復活への第一歩目。

大きな一歩ではあるものの、まだまだ不十分だと思っています。

これからの人生で体験する成功や挫折。

一つ一つのエピソードで、脆弱な心の骨組みを補強して、強固な心を作っていかなければなりません。

塗り固めていく個々のエピソードは、得てして逆にそれまで築いてきた心を崩してしまうかもしれません。

つまりなんらかのエピソードの衝撃に耐えられず、昔に元どおりになりかねないということです。

降りかかるエピソードを受け止め、消化し、自身の心の糧とできるかは、僕の心次第です。

とても繊細で、難しい匙加減の作業です。

例を変えます。

焚き火を想像してください。

火の勢いは、個人の心の状況であり、燃やす薪材は日々降りかかるエピソードだと思ってください。

火の勢いが弱い時、たくさんの薪を入れてしまえば、火は消えてしまいます。

一方、火が燃え盛っているときは薪を入れれば入れるほど火はますます大きくなります。

今の私に必要なことは、私の中にやっと燃え始めた小さな火を消さないように、少しずつ薪を投入し、徐々に火を大きく育てていくことです。

もちろん投入される薪の量は私では調節できません。

私にできることといえば、少しでも投入される薪に対応できるよう、ちゃんと食べ、ちゃんと寝、火を少しでも大きく維持することだけです。

そして最近は、休日のたびになぜか心の火が消えかけていて、いつ消えるか心配なのですね。

心配。
皆様ご無沙汰いたしております。

さて、カウンセリングを週一回続けてきて、かれこれ半年以上が過ぎました。
その間、カウンセリングについて様々思うところがありました。

カウンセリング開始当初は、鬱になったきっかけや、その周辺エピソード、さらには現在に至る過程などを話していました。
話の種に困るようなことはなく、カウンセリングが終わり家に帰ると、次は何を話そうかとワクワクしながら考えていました。

話したいことがたくさんあり、とりあえず、自分の中のエピソードをすべて出し切ってしまおうと思っていました。

一度カウンセラーに話したことは、すっと頭の中から消え去り、すると、今まであまり問題視していなかったことや、優先順位の低かったことが、頭に浮かぶようになり、次のカウンセリングでそれを話すと、さらに別の些細なことがくっきりと意識にのぼってくるという循環でした。

しかし、2ヶ月も経つと、いよいよ話の種がなくなってしまいます。

私の性格なのでしょうか、やはり、カウンセリングに通っているからには、鬱を治すような、治療効果のあるような話題を探したいと思うのですが、そんなものが都合よく毎週うかんでくるものでもありません。

そもそも、治療効果のある話題って何?

そんな疑問や、カウンセリングそのものに対する疑心が浮かんできます。

一時期は、カウンセリングに意義を見出せない時期もありました。

というよりも、そんな時期が大半でした。

ただ、予約してあるから、毎回律儀に通っているだけでした。

50分のカウンセリング時間のうち、30分沈黙したこともありました。

頭をフルに回転させても、話題が浮かんでこないのです。

そんな日々が続いていましたが、1ヶ月ほど前、ふと思うことがありました。


私はこれまで、タバコを吸っていたのですが、2016年9月ごろに、ふと思い立って禁煙をしていました。

禁煙外来に通い、処方薬を使って禁煙を続けていたのです。

不思議なもので、その薬を飲むと吸いたい気持ちはほとんど0になりました。


しかし、年明けごろ、来たる2月の終わりの薬剤師国家試験を控え、勉強のストレスから、また吸い始めました。

家族、特に母にバレないようにこっそり吸っていたのですが、ある日、鼻の効く母にバレてしまいました。

母は悲しそうな顔をして、「これ以上、お母さんを悲しめないで」と言ってきました。


これまでであれば、その態度に私まで気分が沈む、あるいは怒り、イライラといった負の感情が湧いてきて、それに支配されてしまっていたと思うのですが、その時は違いました。

「俺の人生なんだから、俺の好きにさせろ!!」

という気持ちが湧いてきて、母の言葉はあまり心を揺さぶりませんでした。

それからも、私は平然と勉強の合間にタバコを吸っています。

そのことをカウンセリングで話すと、さらに「俺の人生なんだから、俺の好きにさせろ!!」という考えは強固なものとなり、私の行動哲学、人生哲学のようなものになりました。

私の人生なのだから、私の好きなようにやる。
私の幸せを第一に考えて行動する。
もう、他人に喜ばれるとか、そういうものを第一に据えた生き方はやめよう


という、ある種身勝手な行動理念が出来上がりました。

それからというものの、ふっと気持ちが楽になり、身の回りのことがとても簡単に思えてきました。

気持ちが晴れ晴れとして、光が差したようでした。

「悟り」の一種なのでしょうか。

もちろん禅で言う「魔境」なのかもしれません。

しかし、高僧でもなんでもない私にとって「魔境」であっても、それは十分でした。

今までなかった、心を支える太い柱ができたと言うことはすごくありがたいことでした。


この境地に至るまで、カウンセリングがどのように作用したかは定かではありません。

しかし、カウンセリングを受けていなければ、きっと到達することのできなかった境地だと思っています。

それまでのカウンセリングは、決して順風満帆ではなかったけれども、カウンセラーの人に話すと言うプロセスは、着実に成果を生んだのだと思います。

それ以来、あまりカウンセリングで話の種に困ることもなくなりました。

今まで口にしてこなかったこともペラペラと話せるようになりました。

特に多いのは家族に対する愚痴です。

それまでは、その愚痴が何かにつながるとも思えない、あるいは、カウンセラーに愚痴をぶつけるのは申し訳ない、愚痴よりももっと大事な、あるいは高尚なネタがあるのではないか、といった意識(無意識ですが)からか、愚痴を言うことはなかったのですが、行動哲学が固まり、自分の中で一定の成果が出たことに安堵してか、愚痴でもなんでもペラペラ喋るようになりました。

不思議と、そうするとカウンセラーの方のレスポンスもよく、カウンセリングがうまく回っているという感じがしてきました。

今までより、ずっと楽な気持ち、リラックスした気持ちでカウンセリングに望めるようになりました。


さて、来週末はいよいよ薬剤師国家試験です。

カウンセリングのおかげか、精神面ももはや不安なく、勉強もそこそこ進んでいます。

1年の努力の成果が実を結ぶように、全てを出し切ってこようと思います。

今日は水曜日でカウンセリングの日でした。

 

ここ3回は、正直心に負担のかかる内容が続いていて、終わった後はだいぶぐったりとしています。

 

さて、今回は趣向を変えて、うつ病患者さんの周りの方へのアドバイスというか、私の思うことを書いていきたいと思っています。

 

 

近しい方にうつ病患者をお持ちの方は、きっとその方とのコミュニケーションに試行錯誤されているかと思います。

 

私が実際にされて、良かったこと、嫌だったことを主観的に書いて見たいと思います。

 

 

周囲の方は、きっとうつ病患者の方に病気が良くなってもらいたいという一心から、色々と情報を集め、実践してもらいたいと思っているのではないでしょうか。

 

しかし、患者本人にとって、それを行うこと自体がストレスになってしまうことはしばしば起こりえます。

 

では、どうすれば、それを実践してもらえるのか。

 

そのアプローチについて記したいと思います。

 

 

例えば、うつ病の気分転換に釣りがいいという情報があります。

 

うつ病の方に、釣りに挑戦してもらいたいなぁとお考えになっている場合ですが、

 

まず、本人にとって一番負担になるのが

 

「釣りに行ってみたら?」とか「釣りがうつにいいらしいから、やってみなよ」という言い方です。

 

釣り経験者ならともかくとして、初めて釣りをする患者にとって、全く未知の領域に踏み出すということは非常に心理的にも、また肉体的にも負担になります。

 

 

まず、うつ病は午前中調子が悪く、午後から夜にかけて少し体調が良くなるという傾向があると言われています。

 

午前中から、そのような言われ方をすれば、まず乗り気になることはないでしょう。

 

少なくとも昼食後、できれば2時か3時ごろがいいでしょう。

 

まず、本人に、その日の体調について聞いてみてください。

 

「今日は体調どう?」

 

それに対して

 

「今日はしんどい」

 

という回答があれば、その日はそっとしておいてあげてください。

 

一日中ベッドに横になっているのはうつ病にとって必ずしもいいことではないのですが、患者本人からすれば、それしかできないのですから、無理に外出を強制することはかえって逆効果だと思います。

 

うつ病には波がありますから、2、3日置きに体調を尋ねて、

 

「今日はまぁまぁ」といった回答が来るまで待ちましょう。

 

まぁまぁという日が来れば、次のアクションを起こします。

 

釣りに誘う言い方ですが、

 

先ほども書いた通り、「釣りにでも言ってくれば?」という言い方をすると、一気に体調を崩してしまいます。

 

釣りに行けと言っているのに、行けない自分に対して自責の念で、また落ち込んでしまうかもしれないからです。

 

より負担のない言い方をするならば

 

「釣りに興味があるんだけど、悪いけど付き合ってもらえないかなぁ。もちろん、体調が悪いなら全然行かなくてもいいからね」

 

といった感じが良いでしょう。

 

あくまで、釣りの依頼者という立場で、お願いするという形をとるのがいいと思います。

 

それでも、多くの患者はあまり乗り気にはならないと思います。

 

そういう時は、すぐに引き下がってください。

 

「わかった。じゃあ、今日はゆっくりしてね。」

 

とでも言って引き下がってください。

 

間違っても

 

「どうしてもダメ?行きたいんだけどなぁ」と未練がましくいうのはあまりお勧めできません。

 

あくまで、患者の心理的負担にならないように心がけてください。

 

夜に近づくにつれて、体調も良くなると思いますから、

 

夕方4時頃でもいいですから、本人の顔色を見て、もう一度お願いするのもたまにはいいかもしれません。

 

「どうしても行きたいんだ。一人だと心配だから、一緒に来て色々相談に乗ってくれると嬉しいなぁ」

 

と言った感じで、患者を必要としているんだよというニュアンスを込めるといいでしょう。

 

それでもダメなら、しばらくはその提案をするのはやめておきましょう。

 

逆に、もしどこかのタイミングで、しぶしぶでも行ってくれることになったら、道具や餌の調達は基本的に家族や恋人の方が主導的に進めることをお勧めします。

 

もし、一緒に売り場に行きたいと言われた場合は、どれがいいかなぁといった感じで相手の意見も聞くといいでしょう。

 

それで、患者の意見があれば尊重してあげてください。

 

元気が無くて「どれでもいいよ」といった態度であれば、「これなんかが良さそうだから、これにするね」といった感じで、相手の了解を得つつ購入してください。

 

そして、いざ釣りを始めるにあたっては、やはり達成感のある釣りをしたいものです。

 

できれば周囲の方ができるだけ事前に情報を仕入れ、うまく釣れる場所や餌のことを調べておきましょう。

 

その上で、そのことは本人の前では口に出さない方がいいと思います。

 

必要最低限のこと、餌のつけ方や釣竿の使い方などだけ教えて、あとは患者本人の好きにさせておくのが良いです。

 

周囲の方もご自身の仕入れた知識をフル活用して釣りを行ってください。

 

その上で、患者のビギナーズラックで釣れた場合は一緒に喜びましょう。

 

患者が釣れず、周囲の方が釣れた場合は、大げさに喜んで、少しだけアドバイスしてもいいかもしれません。

 

ただ、そのやり方を強制するのもまた良くないのです。

 

「こうやったら釣れたよ!」ぐらいの言い方にして、実際にその手法をとるかどうかは患者本人に任せた方がいいと思います。

 

 

本当に、うつ病患者ってわがままで面倒くさいですね。

 

でも、本人からすれば、「いやいやお前の趣味に付き合ってやってるんだ」ってな感じですから、そもそも乗り気ではないのです。

 

一生懸命患者をおだてて、その気にさせましょう。

 

それで、患者が釣りにはまればしめたものです。

 

趣味ができるということは、うつ病治療にとってとっても前進だからです。

 

ただし、ここまで書いたことを実践して、最後までうまくいくのはせいぜい20%ぐらいだと思います。

 

時間をかけて、合間を設けて、たまーに、「私の趣味に付き合ってもらえる?」という下からの姿勢で接してあげてください。

 

繰り返しになりますが、「これこれがうつにいいらしいからやってみなよ」という患者主体の提案はぜひ避けてください。

 

 

これを書いたのも、私自身がこういう経過をたどったからです。

 

私の彼女が釣りに興味があり、私の体調のいい時に一緒に釣り具を買いに行きました。

 

初めての釣りは全く釣れなかったのですが、どういうわけか以来釣りに少しずつのめり込んでいき、今では、気分のすぐれない時は、半ば逃げ場に逃げるかのごとく釣りに行っています。

 

こういった、自分なりの気分転換を見つけられたことは非常に幸運でした。

 

一方母親は、「これこれがうつにいいからやってみたら?」といった言い方をしてくるので、正直乗り気になることはまずありません。

 

あくまで、患者に手伝っていただく。趣味に付き合っていただく、と言う低姿勢のアプローチが効果的だと思います。

 

 

最後に

 

あくまでこれは私の体験談です。

 

話半分程度に参考にしていただき、患者さんごとに適したアプローチを模索していただくのが最も効果的だと思います。

 

カウンセリングが始まったわけですが、今後のブログについて少し思い悩んでいるところがあります。

 

少し前までは、カウンセリングの内容について書こうと思っていたのですが、

 

最近、それは良くないのではないかと思い始めています。

 

 

カウンセリングというのは、私が思うにある種の神秘体験だと思います。

 

私が一方的に話して、カウンセラーの方が聞いてくれて、時々さらに詳しく話してくださいと言われ、そこを掘り下げていく。

 

話す過程で、ある種の気づきを得るわけです。

 

それは、禅で言うところの悟りと似ているのかもしれません。

 

私はまだそこには至っていません。

 

せいぜい愚痴を言ってスッキリしたという回が続いているだけです。

 

最近になって、少し違う傾向が出始めて、それで今回内容について伏せようかと思い始めたのです。

 

カウンセラーの方は言葉を道具にして我々にアプローチしてきます。

 

そのアプローチのメソッドを私は知りません。

 

一時期はそのメソッドを知りたいと思っていました。

 

本屋で臨床心理についての本を買おうかとも思っていました。

 

しかし、最近になってそれは良くないと思っていたのです。

 

 

話は変わりますが、手品というのはタネがわからないから楽しめます。

 

タネがわかってしまったら、さぞかし興ざめなものになるでしょう。

 

 

それと同じような感覚です。

 

カウンセラーの手のひらの上で転がされているからこそ、治療効果が出るのだと思いました。

 

私は患者として、クライエントとして、カウンセラーの方に踊らされねばならないのです。

 

 

そして、私がここでカウンセリングの詳細を書いてしまっては、このブログをご覧になっているカウンセリングを受けている方、また今後受ける方の邪魔になってしまうのではないかと思ったのです。

 

手品のタネを明かすことになってしまうのではないかと思ったのです。

 

ですから、カウンセリングの詳細については書かないことにします。

 

ただ、毎回50分しゃべって、いろいろな感情が湧きあがってきます。

 

スッキリして帰ることもあれば、モヤモヤして帰ることもあります。

 

でも、それは正常な治療の過程だと思っています。

 

 

カウンセリングは年単位で考えていくものだそうです。

 

焦らず、じっくり取り組んでいきたいと思っています。

 

 

 

さて、この投稿で、記事が現在まで追いつきました。

 

これからは、特筆すべきことがあればアップしていきたいと思います。

 

 

思い出話の最後に。

 

うつ病になって、人がしなくてもいい苦労をたくさんしました。

 

今でも、ズシンと落ち込むことがあります。

 

でも、それも、体調のいい時に思い返せば、いい経験だったと思えるように少しずつなってきました。

 

うつ病は体のレスキューサインです。

 

一度なってしまえばそのサインに敏感になりますから、自分を守ってあげることもできます。

 

社会に出ている多くの方はストレスと戦っていると思います。

 

レスキューサインに気付かず、自我を殺して闘っていらっしゃる方もとてもたくさんいるでしょう。

 

そういった方々と比べて、うつ病の我々は、レスキューサインに気づけただけラッキーだったかもしれませんね。

 

自我を殺さずに済みました。

それから、毎週水曜日はカウンセリングに通うようになりました。

 

一回の時間は50分。

 

長いようで割とあっという間です。

 

初めてのカウンセリングでは、カウンセリングとはなんぞやということを中心に教えてもらいました。

 

その終わりがけ、カウンセラーの方から「次回からは、〇〇さん(私の名前)に自由にお話ししていただきます」と言われました。

 

正直閉口しました。

 

自分語りは得意ではありません。

 

自分の悩みを他人に話すというのは慣れていません。

 

これは、男性だからということもあるのかもしれませんが。

 

とはいえ、やってみなければしょうがないので、その旨了承して帰りました。

 

それから、1週間の間、次のカウンセリングの時に何を話そうかといろいろ考えました。

 

そういった考える時間というのはこれからしばらくの間習慣になりました。

翌朝は随分と早く目が覚めました。

 

前日の夕食を食べていないので、空腹で目が覚めたのです。

 

布団の中で、これからのことを少し考えました。

 

前日、母とはある程度話して、言いたいことは言いました。

 

「母が勝手にルールを作り、それを破ると怒られるのがすごく嫌だ。」

 

「精神的に辛い時には寝るのが一番の逃げ道なんだ。」

 

そんなようなことを中心に、頑張って伝えたと思います。

 

ですから、これからは母との関係を少しずつ修復していかなければならないと思いました。

 

ベッドから出ると、階段を降り一階の台所へ向かいまいした。

 

母は既に起きていて、朝食の支度をしていました。

 

私は努めて普通の態度で「腹減った」と言いました。

 

母もにこやかに、「急いでご飯作るね」と言いました。

 

これを皮切りに、平穏な日常が戻ってきました。

更新期間がだいぶ開いてしまいました。

 

やはり、ストレスのかかる記事を書くのは心に負担がかかるものです。

 

 

 

パチンコ屋の駐車場で時間をつぶしていましたが、さすがに家出する勇気も経済力もありません。

 

仕方なく、午後3時ごろ、家路に着きました。

 

自宅に着くと、無言で玄関をくぐりました。

 

父親がおかえりーというので、小さな声でただいまと返しました。

 

母は、台所の入口のところから、心配そうな顔でこちらを見ています。

 

私は、母とことばを交わすことなく、二階の自室に向かい、ベッドに入りました。

 

誰とも話したくなかったのです。

 

特に母親とは。

 

しかし、母親が階段を上がってくる足音が聞こえました。

 

ノックをされ、入っていいかと聞かれました。

 

ダメだと答えました。

 

それでも入ると言って、母が入ってきました。

 

私は母とは反対側の壁の方を向いて寝ていました。

 

母が、話し合おうといってきました。

 

しかし、そんな元気も気力もないので断りました。

 

それでも母は食い下がって、いろいろと話してきます。

 

質問してきます。

 

無視するのもストレスなので、話せる範囲で喋りました。

 

もちろん目は合わせません。

 

壁に向かって喋りました。

 

その間、このタイミングで言うかよ!というような、心理的負担になることも言われました。

 

いい加減嫌気がさしたので、もうほっといてくれ、と言いました。

 

その後、少し話をして母は一階へ降りて行きました。

 

私は、母がいなくなったのを確認して、睡眠薬を少し多めに飲んで、寝ようとしました。

 

その後母が、飲み物のペットボトルを持ってきました。

 

その時はすぐに部屋を出て行ってくれました。

 

私は、混乱した頭を休めるべく、翌朝の6時まで寝たのでした。