メモです。

夢の中でアイデアを教えてもらった。


自我と真我では世界線(運命とも言える)の選択が全く異なる。
世界線とは、私たちが観測する事で決定している世界であり、観測されなかったものは、潜在性へと埋没する。神である私たちは、常に選択の自由がある。
しかし、自我がメインで活動している段階では、どうしても避けられないイベントがある。その場合、自我の選択は古典的な遷移(移行)になり、避けられないイベントは確定しており、どの未来も同じイベントを通る。その点で、未来は確定していると言えるし、同時にある範囲において選択していると言える。
真我の私である状態では、この古典的遷移では確定したイベントそのものが異なる世界線へと移動することができるようだ。つまり量子的に全く別の世界へとジャンプできる。
ただ、ジャンプするには準備が必要であると言われた。

地球の状態が全く異なる世界線もいくつかあり、私たちが観測しているものは、そのうちの一つだ。私たちがお互いにコンタクトを取るとき、お互いの世界線が出会うが、そのどちらの世界線も大きな地球の世界線の中の一つにいる。つまり同じ地球の必須イベントをこの二人は観測することになる。それは地震のようなものかもしれない。
しかし、量子的ジャンプで全く異なる地球にジャンプすることができる。ただし、真我の私の選択と準備が必要になる。
このジャンプをした時、その線において出会う人は、今までとは全く異なる。過去と未来も変わり、別人のようになる。(カルマなどが癒された時にも、微小なジャンプをしているのだろう)

真我である私は、自由に自分の過去と未来、そして今を選択できる。それは世界線を大きくジャンプすることで可能になる。それには何かしら準備が必要になる。(媒体を持っている意味は、その観測した世界を体験する乗り物が必要だからだ)

今の世界を選択しているのはあなたであるなら、それに対して非難するのはおかしいことになる。自我というシステムは全体が把握できなために、選択したものを非難し、後悔する。真我に目覚めるとは、全体を把握できるようになることで、その選択の本当の意味を知り、受け入れ、そしてそれを変えることができる。拒絶ではなく、受け入れることが選択(ジャンプ)には必要なのだ。

※今この瞬間に起こっているものは神の現れであり、それを拒絶することは、今この瞬間(普遍意識)から離れ、マインド(自我)の世界へと閉じこもることになる。そうなると選択する力は無くなる。自我というシステムに従属する限り、本当の自由と力は失われているのだ。