慕情(坂本龍馬編)


あの日から三日後の正午。


龍馬さんと土方さんの試合は、新撰組屯所内の稽古場にて行われた。


私も同席したかったのだけれど、三味線の御稽古をさぼる訳にもいかず、御二人の活躍はお座敷へ足を運んでくれた翔太くんから聞くこととなった。


御二人の殺陣さばきは、本当に見事だったらしく、何度も斬り結び合っては間合いを置きを繰り返した結果、龍馬さんが土方さんの一突きを避けて胴を取ったのだそうだ。


「もうさ、相手の剣術も凄かったけど、さっすが龍馬さんって感じだったよ」


あの時のことを思い出しながら話す翔太くんの笑顔につられ、私も思わずその時のことを想像して龍馬さんの勇姿を思い描く。


その当の本人なのだが、一仕事終えてから向かうとだけ翔太くんに言うと何やら忙しなくしていたらしい。


「にしても、遅いな…」
「最近の龍馬さんも忙しいの?」
「ああ。武市さんのこともあるけど、例の海援隊結成も間近だと思う」
「海援隊?」


歴史に疎い私にとって、どこかで聞き覚えてのある言葉でもその意味までは分からず、その度に翔太くんが丁寧に説明してくれる。


海援隊とは、後に龍馬さん達によって結成されるグループの名称で、分かりやすく言うと新撰組のように、同じ志を持った者同士が集って何かを成し遂げようとする集団を意味するらしい。


「海援隊って呼ばれるようになるのはまだまだ先で、最初に付けられた結成名は確か…」


眉を顰めながら呟く翔太くんの背後、勢い良く開いた障子に思わず二人で驚愕の声を上げる。


「!!」
「待たせてすまんかった!」


いそいそと座敷へ歩みを進める龍馬さんを迎え入れた後、微笑みながら障子を閉める花里ちゃんに笑顔で頷いた。


「いやぁー、参ったっちや!こがな時に限って頼まれごとを引き受けちょってのう。どうしても会わにゃあならんかったき、遅くなってしもうたがじゃ」


そう言いながら翔太くんの隣に胡坐をかく龍馬さんの柔和な笑顔に微笑み返して、お猪口を手渡すとすぐに銚子を傾けた。


「お疲れ様でした」
「おう、久しぶりにおまんに会えるがを楽しみにしちょったき」
「私もです…」


美味しそうに喉を鳴らしながら一気にお酒を飲み干し、いつもの優しい微笑みをくれる龍馬さんに再びお酌をしようとして、徐(おもむろ)にその大きな手に遮られる。


「もう酒はえいよ」
「もう、いいんですか?」
「酔うていぬる(帰る)わけにゃあいかんから」


少し困った様に微笑む龍馬さんと、同じようにぎこちない表情を浮かべる翔太くん。きっと、いろいろなことが重なって本当ならこんなところにいる暇さえ無いのかもしれない。


そんな龍馬さんがわざわざこうして、お座敷へと足を運んでくれたことに対して嬉しさを感じていると、翔太くんが堰を切ったように口を開いた。


「今、あの時の試合の話を聞かせてやってたとこだったんです」
「ほうじゃったか」


言いながら、龍馬さんは嬉しそうにお箸を持ち、「いただきます」と、言って配膳されていた助六寿司へと箸を伸ばす。


「私も観たかったです。龍馬さんが勝つ瞬間を…」
「冷や冷やもんじゃったが、何とか勝てて良かったぜよ」



それから、あの日のことを翔太くんと一緒に楽しそうに話す龍馬さんの武勇伝を聞くこととなった。道場にて、土方さんと対峙した時はこれまで戦ってきたどの相手よりも緊張したという。


「あの土方ゆう男は、噂通り。鬼の副長とはようゆうたもんだ」
「というと?」
「殺気だらけじゃった。あない男を敵に回しとうないな」


私の問いかけに応える龍馬さんの瞳は一点を見つめたまま、初めて見せる真剣な眼差しに微かな緊張を覚えた。


ほんまに勝てて良かったぜよ。と、言ってもう一つお寿司を口に運ぶ龍馬さんを見つめていると、軽く袖を引かれ翔太くんと目配せを交わし合う。


それからは暗黙の了解で、すぐに私達は衝立の裏に隠しておいた龍馬さんへのプレゼントを手にし、呼吸を合わせてお祝いの言葉を口にした。


「だいぶ遅れてしまいましたけど…」
「たんじょー…び?!」


少し申し訳なさそうに俯く翔太くんを見つめながら、龍馬さんはきょとんとした顔でプレゼントに目をやった。


次いで、翔太くんから誕生日の説明を受けると、龍馬さんは満面の笑みを浮かべながら、まずは翔太くんが用意したプレゼントを開け始め、やがて堂々と姿を現した見事な褌(ふんどし)を目にした途端、私はただ茫然としたまま固まった。


「おおー!そろそろ、まっさら(新しい)のが欲しいと思っちょったがちや!」
「喜んで貰えて良かった…」
「さっすが、翔太じゃのう!」


翔太くんもしているという褌は、この時代では珍しくも何とも無いし、私も番頭さんや秋斉さんの褌を洗濯して来たから、今更という気はするものの。


それを龍馬さんが身に付けることを想像した途端、急に恥ずかしさが増してきて…


「あ、あの!私からの贈り物も…早く見てみて下さい…」


そう言って二人を見やると、龍馬さんと翔太くんは私を見つめながらニヤリとした笑みを交わし合い、褌を風呂敷包に丁寧に包んだ。


おまんからの贈り物かえ。と、嬉しそうに私からの風呂敷包を解いた龍馬さんの手が一瞬、止まる。


(どうしたんだろう?)


例の手拭を目にした途端、驚愕したような表情を浮かべたから、一瞬、もしかしたら嫌いな柄だったのかと不安になるも、すぐに明るい笑顔になる龍馬さんにほっと胸を撫で下ろした。


「ありがとう。わしゃー、こん夜を一生忘れんぜよ!」




その後も、私達は三人でお座敷遊びなどをして楽しい時間を過ごした。未成年だから飲めないと、今までは断って来た翔太くんだったが、「今宵はわしの分も飲んでくれ」と、懇願する龍馬さんに根負けしたのか、少しだけのつもりがかなり付き合うことになり、かなり酔った翔太くんの姿も見ることが出来た。


そんな翔太くんが、席を外した時のこと。龍馬さんは、私がプレゼントした手拭を首元に巻き付け伏し目がちに呟いた。


「あったけぇ」
「龍馬さん、すごく格好いいですよ!」
「ほうかい?」


自慢げにポーズを取ったり、いろんな表情で私を笑わしたり。笑いの中にふと、黙り込む龍馬さんの寂しそうな瞳と目が合う。


「…どうかしたんですか?」
「こがーに幸せでえいがやろうか(こんなに幸せで良いのだろうか)…」
「龍馬さん…」


つらりと揺れる行燈を見つめながら、ぽつりと呟いた龍馬さんの横顔は、酷く悲しげで。投獄されている武市さんのことや、他の同志の方々のことを想っての言葉だということは良く分かるけれど、今夜くらいは何もかも忘れて楽しんで欲しい。


私は、精一杯の勇気を振り絞って龍馬さんに寄り添い、ドキドキした胸を高鳴らせながらも今まで抱いてきた想いを告げた。


初めて会ったあの夜から、今日まで沢山の元気と勇気を貰えたこと。龍馬さんも頑張っているのだから、私も頑張ろうって素直に思えたこと。抱えてきた想いを口にする度に、龍馬さんは嬉しそうにはにかんだり、泣き笑いのような表情を浮かべながら聞いてくれている。


「わしの方こそ、おまんの笑顔にさいさい癒されたこらぁ(何度癒されたことか)分からんちや…」
「じゃあ…」


───ずっと、龍馬さんの傍にいても良いですか?


幕末志士伝 ~もう一つの艶物語~


言えずにいた想いを告げる前に、そっと肩を抱き寄せられて思わず声を失っていた。


「すまんちや。今だけでえい、こうしていてくれ」
「……っ…」
「この温もりに触れちゅうと、安心するがじゃ」


優しい温もりに包まれ、今まで聞いたことも無いような落ち着いた口調に心地良さを感じて目蓋を閉じた。
次いで、私の耳元をなぞるそのしなやかな指先に肩を震わせながらも、目前の襟元に頬を寄せて身を預けると、龍馬さんの温かい頬が私の頬を掠めてゆく。


微かに漂う汗の匂いも、着古した羽織の皺も、その何もかもが愛おしく感じて、同じように龍馬さんの広い背中を抱きしめた。


「龍馬さん…改めて、お誕生日おめでとうございます…」




その後、戻って来た翔太くんと揚屋を後にする龍馬さんを見送る為に大門前まで足を運んだ。


お別れの挨拶を交わし、二人の背中を見送っていたその時。不意に立ち止まり、こちらへ駆け寄って来る龍馬さんに声を掛ける。


「龍馬さん?」
「ちっくと聞き忘れちょった事があったがじゃ…」
「何でしょう?」
「何か欲しい物はあるがか?」


満面の笑顔で尋ねられ、「龍馬さんとの時間が欲しい」と、即答すると龍馬さんは一瞬、驚愕の表情を浮かべたが、すぐに嬉しそうに頷いた。


「ほいじゃあ、なるべく早うもんて(戻って)来んといかんのう」
「その日が来るのを、首をながーくして待ってます!」


照れながらも、明るく言い返すと、龍馬さんはいつものように微笑み、「その日が楽しみじゃ」と、言って翔太くんの元へと戻って行った。


そして、その大きな背中を見つめながら心の中で祈り続けた。


武運と、龍馬さんの想い描いている理想が必ず実現しますように、と。



        


【坂本龍馬編 完】