恋心(土方歳三編)
あの日から三日後の正午。
土方さんと龍馬さんの試合は、新撰組屯所内の稽古場にて行われた。
私も同席したかったのだけれど、三味線の御稽古をさぼる訳にもいかず、御二人の活躍はお座敷へ足を運んでくれた沖田さんから聞くこととなった。
御二人の殺陣さばきは、本当に見事だったらしく、何度も斬り結び合っては間合いを置きを繰り返した結果、土方さんが振りかぶって来た龍馬さんの胴を取ったのだそうだ。
「あんなに真面目な土方さんの顔、久しぶりに見ましたよ。たかが剣術試合にあれだけ真剣になられるとは…」
そう言うと、沖田さんは満面の笑顔で対面している土方さんを見やる。当の土方さんは、私が注いだばかりのお酒を飲み干そうとしていて、「余程、負けたくない理由でもあったのでしょうか?」と、言って私に同意を求める沖田さんの言葉に、土方さんは一瞬、咽返った。
「あっはは、図星のようですね」
「大丈夫ですか?!」
楽しげに言う沖田さんの声を聞きながらも、慌てて帯の間に忍ばせておいた手拭いを手渡し、もう片方の手で口元を抑え込みながら苦しげに咳き込む土方さんの背中を優しく擦る。
「総司…てめぇ…」
「怖すぎですよ、顔が」
「………」
「さて、明日は早番なので私はこのへんでおいとま致します。もう少し土方さんの面白い顔を見ていたいのですが」
沖田さんは、視線を逸らし黙り込む土方さんを見つめながらそう言うと、笑いを堪えるようにしてすっくと立ち上がり、「ではまた」と言って一礼しお座敷を後にした。
閉められた障子を見つめ、すぐに二人きりになってしまったことを意識して間もなく。こちらへと向けられる切れ長で柔和な瞳と目が合う。
(何か話さなきゃ…)
「あの…」
「………」
今度は真剣な眼差しを受け止めるも、やっぱり視線を逸らしながら口ごもる事しか出来ない。何故なら、あの日と同じようにどこか哀愁を帯びているように見えたから。
きっと、私の知りえない苦労が沢山あるに違いない。
いつだったか、お座敷へと足を運んでくれた山南さんから、浪士組結成前に、江戸にある試衛館という道場で知り合ったことや、日野の道場にいた頃のこと等を聞いたことがあった。
農民だったという近藤さんや、土方さん達は誠の武士を目指してお互いの腕を磨いていた。そんなある日、日野宿本陣裏にある道場でいつものように汗を流していた土方さんは、宿本陣の主でもある佐藤彦五郎さんの元に嫁いだ実姉ノブさんから、京の情勢などを耳にすることになった。
本陣には幕閣などの偉い人しか宿泊出来なかったらしいのだが、宿泊して行くお客さんの中には、現在京で起こっている騒乱などを話していく人もいたのだそうで、ノブさんはその情報をそっくりそのまま土方さんに聞かせたのだそうだ。
それからというもの、土方さん達は本気で日本の行く末を気に掛けるようになり、京へ上洛すると決断するまでにそう時間は掛からなかったらしい。
それから、壬生浪士として発足された剣客集団として京の治安を守る為に仕事に勤しむ日々を過ごすことになり、新撰組はその存在を確立させていく。
『もう、彼を止められる者はいないようだ』
あの時の山南さんの哀しげな瞳を思い出す。そして、日野の地にて、ある約束を交わすもそれは跡形もなく消え去ってしまったのだとも話してくれたことがあった。
その約束がどのようなものだったのかは話して貰えなかったけれど、きっと男同士の大切な約束だったに違いない。
酸いも甘いも噛み分けて来たであろう山南さんから見た現在の土方さんは、沢山の禍根を独りで抱え込もうとしていて、京を守る為に本物の鬼になる覚悟を決めたように見えるらしく、その話の内容に複雑な組織の難しさを感じた。
常に誰かに頼られ、隊全体の統率を図らなければならない“新撰組副長”という立場を担い続けている。
土方さんは、これからもずっとそうやって孤独の中で生きていく…
「私…」
躊躇いながらも、土方さんの少し武骨な手に自分の手の平を重ねた。
「私には何も出来ませんが、こうやって傍にいて…愚痴くらいなら聞くことが出来ます」
「…………」
「だから…」
徐々に迫る息遣いと、指先の温もりを感じた時にはもう、その温かい腕の中に誘われていた。咄嗟のことに、何が起こったのか心の整理がつかなかったけれど、徐々に土方さんから抱き寄せられていることを確信した時、完全に思考回路が止まったような気がして…
「土方…さ…」
これ以上、近寄れないほどの距離をさらに埋めるようにしてお互いの熱を感じ合うと、切なげな吐息が私の耳元を掠めた。
「傍に……いてくれるのか」
普段、泣き言などを口にしない土方さんが私だけに心を開いてくれている。
「ねぇ、土方さん…」
この時に確信した。
好きなだけじゃ物足りないくらい、土方さんに想いを寄せていることを。
「こうして貰いたかったこと、気づいていたんですか?」
そう呟くと、襟元に添えていた手が熱を帯びたままの大きな手の平に包み込まれる。
それが、土方さんからの答え。
襟元に頬を寄せていたから、その表情は分からなかったけれど、伝わって来る優しい温もりから土方さんの想いを受け取った。
「…私で良ければ、ずっと傍にいさせて下さい」
その後も、新撰組は会津藩の下、怒涛の幕末時代を一気に駆け抜けてゆくだろう。そんな土方さんを支えて生きることは、並大抵の覚悟では務まらないと思っている。
それでも、土方さんが私を求めてくれる限り、この恋心を抱きながら信じて着いてゆきたい。
私の残りの人生は、誠の武士として生きる土方さんと共にある。
そう、思った。
【土方歳三編 完】