うそぬきの滝自然公園の野草たち | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

「レンゲソウ」 離弁花食物・マメ科
 緑肥として水田や畑に栽培されていたものが、野性化して自生している。二年草である。単にレンゲともいう。

 緑肥とは、草木の葉や茎を、新緑のまま耕作する土地に与えて、栽培する植物の栄養にする肥料のことである。
 緑肥作物には、レンゲソウのほかにアブラナやクローバーなどがある。それらも野性化している。

 レンゲソウの茎は、基部で下の方で枝が分かれている。根もとから分かれているから、下部がない。上の部分は立っていて、二十五センチくらいに成長する。

 羽のような葉が複数あって、小さな葉が十一枚ほど寄りそっている。葉は先の方が、すこし窪んでいる。
 葉と葉の間から、角ばった長い花の茎をだしている。その先端に、チョウの形をした紅紫色の花を、輪のように咲かせている。きれいである。花が小さいから、かわいい。

 花期は五月から六月ごろである。中国や台湾が原産で、日本の全国各地に分布している。

 レンゲソウは緑肥として水田に栽培されるほかに、牧草として家畜の飼料にもされている。それに、乾燥させて煎じて飲むと、利尿剤や解熱剤にもなる。

『これ桃を用いて鬼をふせぐ縁なり』と俗にいわれる。中国では『桃』を、古い昔から珍重する五つの果樹の一つとしている。

 桃の逸話に、孫悟空が長生きのできる天界の、不思議なモモを盗んだ話しがある。日本では、古事記や日本書紀に見ることができる。

 イザナギノミコトが黄泉国に、イザナミノミコトをたずねていったときのことである。
 その変わり果てた姿に驚いた。恐くなって、逃げて帰るときのことである。途中で黄泉比良坂にあったモモの実を、三つ投げつけた。

 イザナギノミコトはそれで追手を追いはらって、難をのがれることができた。これは後になって、『桃太郎』の話しになっていく逸話である。

『桃』は人の気力を増加させて、血液を浄化させる薬効がある。悪魔を打ち破る霊力がある食物として、珍重されているのである。

『桃栗三年柿八年』とことわざにある。種子をまいた果樹が、芽を出してから実を結ぶまでに、モモとクリは三年ほどかかる。カキは八年かかるという意味である。

 これは事実である。簡単で憶えやすい。語呂合わせもいい。人に広く使われている。
 似たようなことわざがある。『桃栗三年柿八年梅の十三年待遠い』。『桃栗三年後家一年』。

 庭木に桃と栗を植えている。桃は長女が結婚したときである。栗は長女が女の子を産んだときである。桃はどっさり実をつけて、甘くておいしい。栗は去年から、かわいい実をつけはじめた。

 どちらも記念樹だから、その時々の感動がよみがえって、目にみえてくる。桃も栗も、地に根をしっかりと張っている。太陽と土壌の力をかりて、すくすくと背丈も伸びてきた。雨にも風にも、雪にもじっと耐えてきた。台風にも負けていない。

「がんばれよ、自分との闘いだぞ、大きくなれよ」
 声をかけてやりながら枝を撫でてやる。

 レンゲソウはどこの農家も田に植えている。子どものころである。この地域の花見は、レンゲの咲く田んぼの中だった。家々から、煮しめなどの御馳走を持ち寄って、ゴザを敷いて家族が輪をつくった。

 父親たちは焼酎で顔を赤くしている。青年団が舞台をつくって、拡声器や蓄音機が置いてある。民謡が鳴り響く。母親たちが踊る。三味線や太鼓もでてくる。

 子どもたちはレンゲの花と戯れて、野生の生きものになって駆け回っている。地域の人々が、みんな親類のように感じられる一日だった。

 そのころである。家に牛と馬がいた。世話をするのは子どもの仕事だった。竹を編んで作った大きな籠を背負って、レンゲソウを刈りにいった。飼料である。

 籠にいっぱい詰め込むから、重い。足がふらつく。牛や馬などいなければいいと思う。腹がたってくる。背負って馬屋へ帰ると、牛も馬も飛び跳ねて喜ぶ。早く食わせてくれと催促してくる。

 かわいい。人を信頼しきっている。子どもはレンゲソウを採ってくるものと思いこんでいるようである。

「よしよし、まいにち採ってきてやるからな。心配するな」
 こういって、牛と馬の顔を撫でてやりながら、レンゲソウを食べさせてやる。無心になって食べている。チョウチョのように可憐な、うすい紅紫色の花びらをつぎつぎに飲みこんでいく。

『牛は牛づれ馬は馬づれ』とことわざにある。水と水は集まりやすい。火と火は伴いやすい。人も同じ仲間はよく連れそう。それぞれ似合いの相手があって、つり合いがとれているのである。

『氏より育ち』である。血筋よりも境遇が人をつくるのである。人間は生まれつきよりも、教育が大切なのである。