今週末は同業者の集いがあり箱根へ温泉旅行に行ってきました。

 いい旅館でした。ご報告は後ほど。

以前にもお話したようにカメラ&レンズコレクターです。 クラシックカメラ中心です。 古いものでは約100年前のもの。ほとんどが1960年代~70年代中心です。 オートフォーカスカメラはほんの一部。 基本的に「ニコン党」ですが、一番好きなカメラはキャノンAE-1。 小学生の頃、一番最初に「買おう」と思ったカメラだから。

コレクションの数は膨大になります。 正直、自分でも持っているカメラやレンズを全て把握できていません。 時々、整理をしていると意外なものが見つかったりして楽しいのですが。 こう多いと当然全てのカメラにフィルムを通したわけではありません。

 ということで今回は「購入後フィルムを一度も通していないカメラ」を紹介。





限りなき夏-ペトリ

まずは一台目。おそらく1950年代半ばに作られた「ペトリカメラ」。 ペトリカメラは1970年代に倒産し現存しません。いろいろ調べたのですが正式な形式名が確認できませんでした。 だれか詳しい方、教えてくださ~い。

 どこで買ったのかさえ覚えていないのですが、ただグリーンのファインダー窓と明らかにライカを意識(コピー?)した赤丸マークがかわいくて買ったのを思い出します。 各部の作動は完璧! 凄いカメラを作っていたメーカーだったんですね。





限りなき夏-コニカ FS-1


 これも今はなき「コニカブランド」のカメラです。 このFS-1は世界で最初のワインダー内蔵 オートローディング一眼レフとして1979年に発売されました。 このカメラには思い出があります。 当時、中学生だった僕はFS-1のカタログ請求葉書をコニカに送付しました。 ほどなくすると「発売時期遅延のお詫び」とともにSakuraカラーのフィルムが送られてきました。  小西六写真工業(当時の社名)という会社は多くのカメラメーカーの中でも「堅実かつ消費者本位」の会社として有名でしたが、本当にいい会社だっと思います。 このカメラの一番のお気に入りは標準レンズ(40mm F1.8)に付属されていたレンズキャップのデザイン! 小西六写真工業という堅い会社がこんなにポップなデザインをするとは。 カメラ自体ポップな感じですが、小西六写真工業のイメージとかけ離れた「カメラおよび販売戦略」が面白い一台です。





限りなき夏-ミノルタ プロッド

 三台目はこれも今はなき「ミノルタ」ブランドのカメラ。

 20000台限定で生産されたオートフォーカス、プログラムAEコンパクトカメラ「ミノルタプロッド20's」。 発売は1990年。 ほとんど予約で完売したようです。 バブル期の匂いがプンプンするカメラです。 発売価格が48000円(これも驚き!)。 1992年に中古で購入したのですが、中古カメラブームの当時60000円もしました。 元箱付きの中古が70000円でした。 すごい時代があったものです。 カメラ自体は何の機能も付いていません。お遊びカメラです。





限りなき夏-キエフ

 最後はキエフⅢというカメラ。ロシアンコンタックスとも言われています。そうコンタックスのコピーです。第二次大戦の勝敗が決まった1945年(昭和20年)、ドイツの東地区に侵攻した火事場泥棒国家 ソ連がドレスデンにあったツァイス イコン社のコンタックス製造設備、部品、技術者を戦ってもいないのに戦後補償の一部としてウクライナの首都キエフに持ち去りました。そこで製造されたのこがキエフ。初期に造られたキエフは全くコンタックスの部品を使い、強制連行されたドイツ人技術者が作っていたので、まんまコンタックス品質。 時間がたちドイツから奪ってきた部品が枯渇し、技術者の多くがソ連人になると状況が一変します。 

 やっぱり製造業は品質管理が一番です。 

 残念ながらこの個体は初期物とは全く別の後期型ロシアンコンタックスだと思います。 特にセルフタイマーなどはパーツを現地で再設計したものらしく、一度使ったら二度とつかえなくなってしまいます。あはは。 これは中古カメラブームの真っ盛りに高いお金を払って、品川の有名カメラ店で購入。 購入時、親切そうな初老の店員さんが「キワモノですよ」「修理はできませんよ」と遠回しにアドバイスしてくれたのを覚えています。 遊び心がないと絶対使えないカメラがキエフです。 まあそんなキエフがどんな写りをするのか、楽しみといえば楽しみですが。





いわゆる「箪笥の肥しカメラ」特集でした。