対馬の古文書を流布させる | 嶋村初吉のブログ

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釜山に留学、その見聞録を伝えます

  昨日、福岡行の飛行機に乗るまでの間、久し振りにじっくり本を読めた。羽田で2時間半ほど時間があった。書店で買った本は網野善彦氏の『歴史を考えるヒント』(新潮文庫)である。網野氏は、中世史の民衆像を塗り替えた研究者である。百姓という概念が、土地に縛られたものではなく、商人的要素があることを明らかにした。奥能登の時国(ときくに)家の古文書を解読する作業のなかで、その発見があった。

  この本には、日本語の本来の意味を明かしていく楽しさがあった。1997年に行われた新潮社主催の連続講座「歴史の中の言葉」をまとめた本で、「日本語の豊かさを見直し、それを通じてより正確に日本の社会を理解」してもらおうという、著者の願いが込められていた。一気に読んでしまった。  

  網野氏のほかの著書に、『古文書返却の旅』(中公新書)がある。旅する民俗学者、宮本常一(つねいち、山口・周防大島出身)に電話で、対馬の古文書を持って行って返してくれないか、と依頼され、それを実際に行った顛末記が、この本である。二人を結んだの民俗学であった。網野氏が、愛知の高校教師を辞めて、神奈川大学に移る、その間にあった電話でなかったか。

  対馬には、中近世の文書が島内の旧家にあり、その調査に訪れた東京など本土の学者が、借りたまま、返さない例が多々あった。まさに泥棒行為である。訴えられたら、彼らの地位はどうなったであろうか。たかが古文書、されど古文書である。

  網野氏の本に手が出たのは、東京に行った用件と重なる。その用件とは、近世の古文書を流布させるため、協力者に会うことであった。対馬の所蔵家の方と一緒に、東大と慶応大を回ったが、お会いした先生方から好意的な言葉をいただき、思いのほか満足のいく成果が得られた。所蔵家の方も喜ばれていた。行った甲斐があった。寒波襲来の後、天気にも恵まれ、ついていたなと思った。 

  来年から、対馬の古文書を流布していく具体的な作業に入る。