わたしは、地震があったとき、学校ではなく、出張中だったので、建物の5階にいました。
関西も、小さいけれど、長い揺れがありました。
地震のニュースを最初に聞いたとき、仙台に住んでいるの弟の安否が、まずとても心配になりました。
そして、後からだんだんと、関東も被害が大きかったことがわかって、関東の友だちに焦って連絡入れて‥
とにかくパニックで過ごした、金曜日の夜。
たまたま、夜に見てたニュースで、去年まで通ってた大学の図書館の様子が流れてて、
本棚から本がどんどん、落ちていっていました。
それを見て、もう、息が止まりそうだった。
弟とも、まったく連絡が取れないままで、土曜日の夜は、リビングのテレビの前で寝ました。
そして日曜のお昼過ぎ、やっとおとうとと連絡が取れて、生きている、ということが分かりました。
うちの弟は仙台駅から近いところに住んでいるんですが、
住所は大きな津波の被害があった若林区で、津波の映像をみたとき、もうたまりませんでした。
連絡が取れない間は、ただ、ただ、時間だけが過ぎていって、生きた心地がしなかった。
いまも、余震が起こっているし、心配なのは変わらずですが。。。
東北地方はもちろん、関東もまだしばらく、不安で落ち着かない日々が続くと思います。
地震翌日、弟の安否確認ができてなかった土曜日、わたしは夜まで1日家にいたのですが、家の中でいつもどおり過ごそう、と思って、ニュースを見ながら家事をしたりしていました。
でも、全然落ち着かなかった。
夜に、公衆電話からも電話してみようと思って、外へ出たら、
関西だし、当たり前なんだけど、街はいつもどおりだった。
いろんな人がいつもどおりに、過ごしていて、
それ見たら、電話はつながらなかったけど、でもすごく心が落ち着いてきて、冷静になれたような気がします。
だから、わたしは、わたしのできることを‥
ひとまずは、いつもと変わらない毎日を送ることをしっかりとがんばってやっていこうと思います。
被災地も以前と変わらない毎日を送れるようになる日が1日でも早くくるように、1人でも多くの方が無事でいますように‥
願いを込めて、わたしは明日も変わらず過ごします。
そしてその中で、少しづつ自分のできることを見つけていこうと思います。