番外、深田久弥と3山(8) | ハチミツBlog

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番外1 深田久弥と3山

 彼が上ったときも、8月とはいえまだ雪が残っていた。芭蕉と同じコースをたどるが、登山バスを使って6合目まで行く。たいした苦労もなく月山の上に立ったというが、さすが百名山の著者だけある。下りた後の湯殿山ではどうしたのだろうか、“恋の山”をどう表現したか、気になるところである。

 芭蕉は“木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包み、強力といふものに導かれて羽黒山から上った”という。この部分は深田久弥の文で知ったが、「芭蕉全句集」ではカットされている。

 以下著者の名文をご覧あれ。

「鶴岡の駅で降りた時、ほんとうに月山の上に雲の峰が立っていた。8月の半ば過ぎ、山は濃い群青で、牛の背のようにゆったりと伸びていた。どんな山でも頂上のあたりはいくらか鋭く立っているものだが、月山にはそれがない。撫でたような緩やかな線であった。

 ある6月の末、私は山形市の北のはずれから、やはり月山を眺めた。月山だけがまだ雪を置いていたので、すぐに私の目を捕えた。雪のせいか、山は威のある強い線を示していた。

 私も古例にしたがって三山の順路を辿った。羽黒の再館に泊まって、翌日登山バスに乗ると六合目まで行くので、たいした苦労もなく月山の上に立った。

小高いところに聖域月山神社があり、そこから南へ向かって緩い大きな傾斜が気持ちよく伸び、岩と高山植物に敷きつめられている。頂上にはエーデルワイスが咲いていた。

 月山の広い谷には盛夏なお多量の残雪があった」(途中略したところあり)

 8月の頂上にはエーデルワイスが咲いていたとあるが、9月の山にはそれがなかった。
やはり、山には花が咲いているときがよさそうだ。

番外2 深田久弥と蔵王

 随分と昔に登っている。毎冬スキーに出かけたが、戦後その繁盛ぶりに恐れをなして行かなくなったそうだ。高湯から上り、熊野岳、刈田岳を経て峨々温泉に下る。ところが、高湯も蔵王温泉に変えられてしまったとの嘆きがある。その他の旧名も蔵王を冠するようになったとも。

また、苦言も呈している。
「宮城と山形をつなぐバス路線も開かれて、何の苦労もなくお釜見物も出来るようになったが、それだけ魅力も少なくなった」

しかし、蔵王山の書き出しが素晴らしいうえに、締めの文が「牛のような鈍重さをもって、ドッシリと根を張っている」との表現がよいので引用しておく。

「同じ東北の山でも、蔵王には、鳥海や岩手のような独立孤高の姿勢がない。群雄並立といった感じで、その群雄を圧してそびえ立つ盟主がない。

 どの峰も稜線上の鞍部からせいぜい二百m位の登りしかない。だからわれわれが蔵王と呼ぶときには、この一連の山脈を指して言う。この長大な尾根は、東北人特有の牛のような鈍重さをもって、ドッシリと根を張っている」

 斉藤茂吉の高弟結城哀草歌氏はこの山麓で農業を営み、短歌を作り続けている。著者が取り上げた短歌がよかったので載せておこう。

 柿紅葉へだててあふぐ蔵王嶺にはつかに白く雪ふりにけり

 茂吉師匠が詠みそうな句で、“雪ふりにけり”は万葉調でどこか似ており、きれいに仕上がっている。わたしも好きな句である。


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