キレゆる日記

キレゆる日記

働きごこちを良くする ココロとカラダの教科書

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キレキレの反対はゆるゆるではない。
キレキレの反対はダメダメ・ボケボケである。



では、ゆるゆるはどこにいくのか?




そうか、もうひとつ軸を増やせばいいんだ!



ではゆるゆるの反対って何だろう?




柔らかいの反対・・・
堅い・・・



そうか、カチカチだ。








あ、わかった。


「おれは、力がガチガチにはいっていて、体も心もカチカチになっていたんだ」




問題なのは、カチカチであることで、
キレキレなのは、問題じゃないんだ。



キレキレな自分をやめなくていいんだ。




人から、
「アタマの回転早いですよね」
と言われたときに、
ほめられているっていうより、むしろ
「でも、近寄りづらいですね」って言われているように聞こえてた僕。




キレキレであることは、自分の強みだけど、
でも、自分のきらいなところでもあった僕。




違ったんだ。
キレキレなことはそのままでいいんだ。



問題なのは、カチカチだってことなんだ。




力を抜くってのは、そういうことか・・・






実際は、こんな風に図で整理して気付いたわけじゃないですよ(笑)
それこそ気持ち悪いですよね!!



「この人いいなあ」って思う人を観察し、
「なにがぼくと違うんだろう」と内省し、
「おれのこういうところいやだなあ」と反省し、
「でも、おれのこういうところはすきだなあ」と承認し、


そんな苦しみや喜びのプロセスの中で、


「自分のだめさ」とか、
「自分のあさましさ」みたいなのに
ちょっとずつ気付いて、




ある日、ふと気が付いたのです。









そうか、おれはキレキレのゆるゆるの「キレゆる」を目指せばいいんだ。


ゆるゆるにはなれないけど、キレゆるならなれそう・・・



キレゆるの発見でした。

「力抜いたら、また仕事ができない自分に戻っちゃうんじゃないか」

という「恐怖」が、僕が「キレキレ」である自分に囚われてしまう原因でした。


本当は、力を抜いても、仕事はできるんです。

むしろ、力を抜いたほうが、仕事はできるのかもしれません。



「目いっぱい飛ばそう」と思って、ドライバーをガチガチに握れば、ボールは飛ばない


というのは、ゴルフ経験者なら簡単にわかることです。



しかし、
「ゴルフを真剣にうまくなりたい」と思うほど、
「力を抜く」ということがどれだけ難しいか
を体感していることでしょう。



仕事も同じで、
「成果を出したい」
「人から認められたい」
「自分の力を発揮したい」

真剣に願えば願うほど、ガチガチに力が入ってしまう



絶対に落としたくない商談で、トークがガチガチになったり、
大きな契約になるほど、アイデアがまったく出なかったり、
気負ってしまうというのは、誰にでもあることですよね。




でも世の中にはいるわけです。




ひょうひょうとしていて、
頑張っているようにみえないのに、
スイスイと軽やかに仕事を進めていって、
人からも愛されている人が。



そういう人たちを「ゆるゆる」と僕は呼んでいます。



「いいなあ、おれもあんな風になりたいなあ」
と思っていましたが、
一方で、
「おれにはああはなれない」
と思う自分がいました。




なぜなら、
「だって全力でがんばるというのが、オレの唯一の強みだもん」

と信じ込んでいるからです。



キレキレへの囚われです。



僕は、キレキレとゆるゆるを反対側にあるものだと思っているので、






「キレキレな自分を手放さないと、ゆるゆるになれない、
それは俺には無理だ」
と思いこんでるんですね。



しかし、キレキレの反対は、ゆるゆるではないのです。



キレキレの反対は、ダメダメ・ボケボケなんです!








「は?何いってんの、フジノちゃん。」

というみなさんの突込みが聞こえます。



そうだよね、あまりに当たり前すぎるよね。




でもね、僕、このことに気付くのに、
どうやら10年近くかかったんです!(泣)





では、ゆるゆるはどこに行くのでしょうか?



キレキレなあなたならお気づきですね(笑)


そう!軸をもう一つ増やすんですね!



横軸の右側に、ゆるゆるをもってきてください!


では、横軸の左側、ゆるゆるの反対は何でしょうか??


続きは次回!
キレキレとゆるゆるの関係性について、3回に分けて書いていきます。



新人時代の苦い経験を経て、
一刻も早く「仕事ができる」ようになりたかった僕は、

・全速力で仕事をする
・わき目もふらず、とにかく全力でがんばる
・できることはなんでもやる

などなど、

「キレキレな社会人」を目指して邁進していきます。




とてもいいことですよね?(笑)





でもですね、そこから少し時がたって、
キレキレモードで仕事が少しはできるようになったにもかかわらず、


このブログの一番初めに書いたように、
上司からはモテるが、
後輩や女子社員からは怖がられてモテない、
という状況が生まれるわけです。





僕はこんなにがんばっているのに、なぜ?


とイライラは募っていきます。




イライラが顔に出ているからでしょう、




「がんばってるのはわかるけど、もう少し肩の力抜けよ」

「もっと笑顔で働こうぜ、目が△になってるぞ」

「お前の言ってることは正しいんだけど、正しいだけじゃ人は動かないんだよ」

とか言われて、さらにイライラします。





「がんばってるのはわかるけど、もう少し肩の力抜けよ」
と言われれば、
「だって、がんばらなきゃ、仕事にならないじゃないですか?」
と言い返したくなるし、



「もっと笑顔で働こうぜ、目が△になってるぞ」
と言われれば、
「笑ってて仕事が進むなら笑ってますよ。仕事って、がんばるもんでしょ?」
と言い返したくなるし、



「お前の言ってることは正しいんだけど、正しいだけじゃ人は動かないんだよ」
と言われれば、
「正しいってわかってるなら、やればいいじゃないですか。お金もらって働いてるんだから」
と言い返したくなるのです。




ガッチガチに力が入ってます。
可愛げがありません。




心が何かに囚われています。






その当時の僕の心にあった感情は何か?

今になって、ちょっとだけわかるようになりました。






それは「恐怖」です。






「力抜いたら、また仕事ができない自分に戻っちゃうんじゃないか」
という恐怖が、僕の心にあったのです。




その当時はまだ、


「キレキレとゆるゆるは反対側にあるもの」



だと、思い込んでいたのでした。
13年前の記憶を掘り返しながら書いていると、

「こういうこともあったよ」
「こういう話だったよね」

といろいろな感想やフィードバックをもらって、
古い記憶がぐるぐる回って変な感じ。


今回で、仕事ができなかった新人の話は終わります。





さて前回の続き。


「サーバーのキーボードにうん○して、会社辞めてやる」
とか夜中に同期に電話しちゃうような状況に追い込まれていた僕は、

バックアップを取り忘れる

という恥ずかしい事態を引き起こします。


しかも、そんなときに限って、バグが起こるのです。





出社してみるとざわつく社内。


どうやら、お客さん先でサーバーがダウンしたらしく、
急きょ復旧作業にあたる必要が出たとのこと。

当時の僕には、さっぱり状況が呑み込めなかったのですが、

「ふじのクン、バックアップとってある?」

という言葉で目が覚めたことだけは覚えています。





肝を冷やす、とはまさにこのこと。


ひやっとする汗が流れ
心臓がトクンと動き
なんか変な「虫」みたいなものが全身を駆け巡りました。





そして、「自己保身」というスイッチが入り、
僕は実に情けない一言を発します。





「とったとおもうんですが・・・」




まるっきり、「嘘」です。


とったと思うんですがの、「」の部分に
「罪悪感」が顔を出しています。




僕の答えを聞くや否や、
先輩たちはすべてを察したかのように、踵を返し、
それぞれの「役割」を果たしに行きます。


僕を責めることなく。


今から思うと、さすがだなあと思います。



でも当時の僕には、そんな風に思う余裕はとてもありませんでした。





「宿題はやったんですけど、ノートうちに置いてきました。」



的なことを言っちゃってる自分が、情けなくて情けなくて。









その日、僕が何をしたか、覚えていません。


言われたことをいっしょうけんめいこなしたかもしれませんし、
何もしなくていい、と言われたかもしれません。



いま覚えているのは、その日から


「こんな自分じゃなかったはずなのに」


と自分を責めるスイッチが入ったということです。



それまでの僕は、

「仕事が嫌だ」
「上司が嫌だ」

と周りを責める自分がほぼ100%でした。



でも、
「宿題を忘れたことを言えない小学生」
である自分に気付いた時、

「ああ、これ、悪いの俺だわ。」


と、ようやく理解したのでした。





「もう俺、会社辞めたい」という僕に対して、

群を抜いて頭がよく、記憶力もあって、仕事もできて、イケメンな同期は、

「会社辞める覚悟があるなら、自分が本当にやりたい仕事があるんだ

ということを上司にいったらいいじゃないか」

とアドバイスしてくれました。



それから間もなく、プロジェクトを仕切っているマネジャーに時間をもらい、


「すみません、僕をプロジェクトから外してください」


と伝えました。



マネジャーは、

「サポートしてあげられなくてごめんな」

と気遣ってくれたことを覚えています。



たしかその後、人事的なポジションの方と、

青山一丁目のおしゃれなカフェで、
サラダに苦い野菜が入っているランチをとりながら、

「これまでどんなことがあったか、これからどうしたいか」的な話をしたのでした。








「藤野君、プロジェクトを抜けるのは簡単だけど、今のところでもう少しがんばるという考えはないの?」

と励まされたのだけど、僕には快活さが全くなく、

「もう一度ゼロからやり直したい」と答えたのでした。






人事的なポジションの女性は、

「藤野君、プロジェクトを自分都合で抜けるということは、
周りに迷惑をかけることでもあるし、
あなたの人事評価にバツがつくってことなんだよ。」

と優しく、そして厳しく話してくれました。

僕はそれでも、
「もう一度やり直したい」と答えました。






僕が取り戻したかったのは、

○が多かった人事評価ではなく、

元気で、前向きで、すぐにイライラするけど、
人の役に立とうと全力でがんばろうとする僕自身

だったのです。





「わかったわ。がんばってね」


最後笑顔で送ってくれたそのバックオフィスの女性から見れば、

ただのわがままな新人だったことでしょう。






事実、ぼくはわがままでした。


他人からの評価を気にするんじゃなくって、
自分の好きだった自分を取り戻してみたい。


いま、この記事を書いていて、
そんなわがままを受け入れてくれた当時のオトナたちに
感謝のきもちがわいてきました。


その当時は、チコリーの苦さばかりが印象に残っていたのだけれど。







はじめてのプロジェクトには、3か月くらいはいたのでしょうか。


ファミリーマートの入っている雑居ビルから荷物を引き上げた僕は、

「その日の席はその日に決める」というフリーアドレスの
青山一丁目の本社に移動し、新しいプロジェクトに関わることになります。



そのプロジェクトはいわゆる、「上流工程」というやつで、
今からクライアントにインタビューをして、課題を整理し、提案をしていくというものでした。


メンバーは、
キレキレのパートナー(取締役)と
キレキレのシニアマネジャー(部長)と、
すこし「抜けている」新任マネジャーと、
落第を食らった新人アナリストの僕、
という4名。


たくさんのキレキレの人を目にすることで、
僕の仕事観も少しずつ変化していきます。




※ここで、ちょっとだけ回顧録は小休止。


次回以降は、キレキレとゆるゆるの関係性について、書いていきたいと思います。
ブログを読んでくれた人のFacebookへのコメントを見てると、
「仕事ができなくて困った」「とりあえず、掃除した」
みたいな経験みんなもってるんだねー。

できない新人のお話し、もう少し続きます。



さて、前回の続き。





梅雨明けしても、僕の心は毎日雨だった。


会社に行くのが憂鬱で憂鬱で、
あのころ僕は実家に住んでいて、
片道1時間ちょっと満員電車に揺られ、赤坂見附まで通っていた。



「今日もわかんないことをずっとやらなきゃいけないんだよな・・・」


プロジェクトの役に立てていない・・・
周りに相談できる人がいない・・・
この先、自分が今の仕事が「できる気がしない」・・・



今思い出してみるとこんな状態。


完全に、危ないよね。



同じプロジェクトに、仲の良い同期が一人でもいれば、
「おれ、もうほんとわかんないんだけど、どうすればいいだろう」
って愚痴っていたと思う。

いや、いたとしても言えてたかなー?
おれ強がりだったもんなあ。




ファミリーマートの入っている雑居ビル。
僕が働いている一個上のフロアでは、
別のプロジェクトが動いており、そこでは仲の良い同期の女の子が働いていた。



彼女とはたまにエレベーターやファミリーマートであった。



彼女にも愚痴りはしたけど、
「ほんとに、もう泣きそうなくらいつらいんだ」
って僕は言えてなかった。




だって彼女は、「つらい中でもがんばってた」から。
僕は、まだ「がんばってる」とは言えなかったから。




でもさすがにどんどん積もってきて、
仕事があまりにできないものだから、夜遅くまで残ってて、
同期に電話したりしてた。




その日はもう終電を過ぎていたと思う。
どうにもならない気持ちをぶつけたくて、同期の中で一番の変態の仲間に電話をかける。




「なあ、あらくん、もうおれやめたいよ」


「どうしたんだよ、ふじの」


「もうさ、すべて投げ出したい」


「何言ってんだよ」


「このシステムの中のさ、「総務部文書課」とか「総務部経理課」みたいなデータテーブルをさ、
ぜんぶ「うんこ部うんこ課」に置換してさ、
そんでもって、
サーバーのキーボードの
Qからエンターの部分までさ、
ながーいいっぽんぐそ置き土産にしてさ、やめてやろうとおもうんだけど、どう思う?」








「やばいなそれは」


「やばいかなー、くびになるよねー」


「ていうか、うちの会社がやばい」


「そうだよねー新聞に載るよねー」


「いや新聞に載せられないくらいやばい」


「あーそうかー」



もう僕は、こんな感じになってしまっていた。


全力で、逃げ出したかった。









そんなある日、事件が起きた。



「プログラミングができない使えない新人」というイメージが定着してきた僕にとって、
数少ない「仕事」であった、システムのバックアップをとるという作業。


プロジェクトの皆さんが、
1日かけて行った「作業の差分」を、
最後まで残ってMOに保存する





という、

時は2002年!







と、2015年のクラウド時代の今、
マイクに向かって叫びたくなる、アツイ仕事

そうそれは、

「バックアップ保存」。



バックをアップする、バックアップですよ。なんのこっちゃ。



そして、僕はあの日、バックアップを忘れたのだ。



忘れてしまったことも気付かないまま、会社に行くと、
社内がざわついている。



バックアップ、忘れたころに、バグ起こる。


続きは次回。

ブログを読んで、反応をもらえるのはうれしい。
はやく続きを!とか言われると、なんかすごくうれしい。





さて、前回の続き。


それにしても、一つ目のプロジェクトで、僕はあまりに仕事ができなかった。


日本で受けた研修では、
「でしゃばる」「とりあえず自分の意見を言う」ことが、
「協調性は欠けるが、リーダーシップはある」という
「小学生の時の通信簿と変わらない評価」をいただき、
それなりに自信を持てていた。

そしてシカゴでの研修でも、
留学経験がない中で、
NHKラジオ英会話で鍛えた英語で(大杉正明先生のおかげです)
なんとかコミュニケーションもできたりして、
外資コンサルたのしいじゃーんと思い違いをしていた。


しかしそんな僕は、覚えている限り、

プロジェクト配属2日目では、

「全然だめだね」

と先輩に言われていたと思う。



たしか初めての仕事は、
すでに運用されているシステムのサブシステムのノーツスクリプトみたいなのを、
デバッグする的な奴だったと思うのだけど、
書かれているプログラムを見た瞬間、

「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!」








と頭の中でオレDIOが叫んでいた。




でも、
「すんません、まったくわかりません」
「ごめんなさい、研修の時プログラミングは超ごまかしでやってました」
とは言えない僕。


その日1日は、わかんないのプログラムがたくさん書いてあるPCの画面をずっと眺めていた。


時は2002年。
いまほど、Google先生とか、Yahoo知恵袋とかがない時代。


頼れるのは、本と仲間と先輩だけ。


同期が一人もいないので、

となりにいる1個上の

パチンコ打つみたいにキーボードたたいてデバッグしてる怖そうな先輩





に聞くわけです。





「すみません、Hさん、全然わかりません」


「なにが?」


「いや、デバッグしろと言われたのですが、何をやればいいのかわかんないです」


「え、なんで?」


「いや、すんません、僕プログラムあんまわかんなくって」


「え、研修でやらなかったの?」


「いや、やりはしたんですが・・・」


「じゃあ、なんで?」




ってな感じなので、
もう仕方なくまた2時間PC画面見たり、
研修の時の資料ひっくり返したんですけど、
もう18時くらいになってるんですよ。


もう叫びたいです。





だって、僕、今日1日、何のVALUEも出せてないんです。



VALUE出すのがコンサルタントだぞ、って研修であれだけ習ったのに。




もう、ジュースでも弁当でも何でも買ってくるんで、
とりあえずVALUE出したいんですよ。
バリューがないなら、バヤリースでもいいから。
そんなこと考えちゃうくらい、あたまおかしくなってきちゃうんですよね。


で、18時くらいに
レビューという名の面談があるわけです。


パチンコプログラマーがブラザー的な先輩で、
そのさらに上に、僕の上司がいてその人が、超怖いんです。



ロジカルに詰めてくる感じ。


顔が怖い先輩と、話し方が怖い上司に囲まれて、
もう早くタオル投げてくれって感じです。






「ふじのくん、今日どうだった?」


「すみません、何も進んでいません」


「え、なんで?」






こんな感じです。


このやりとりは、ほんとつらかった・・・。


でも僕いえたらよかったよね、そんとき。



「すんません、ぼくプログラミングでVALUE出せないんで、
弁当買ってくるとか、掃除とかなんでも雑用やるんで、他の仕事ないですか?」


あ、言ったかも。3日目くらいには、そのセリフ。



たしかそしたら、


「うーん、でもそれは社員の仕事じゃないよね」



って言われたような気もする。


その通りだよね。今考えると。


「プログラミングが苦手だってずっと逃げてると、成長しないじゃん」


的なことも言われたような気がする。


その通りだと思う。僕も今なら新人にそういうと思う。


でも、ほんとにいやだったんだ(笑)

泣きだしたくなるくらい。






そんなジメジメした日が続く中、事件は起きました。


今となればとっても小さな事件だけど、
僕にとっては「ああ、おれもうだめだ」と思う大きな事件でした。
前回のブログへの感想に、

「キレゆるになるとモテるのですか?」

という質問をいただきました。


「キレキレのときよりは、ましな程度(当社比)」

の感じです(笑)


ちなみに、
どんなにキレキレだとしても、



かっこよければ、モテます。



それはこの世の常です。


そして、
僕はその世界を知らないまま、現世を生きていくことでしょう(笑)
諸行無常、なむなむ。





さて、前回の続き。






「肩の力、どうやれば抜けるんですか?」

と逆に力の入っちゃう僕は、なぜ力を抜けなかったのか。


その理由は、

キレキレであることをやめることが怖かったから。

キレキレである自分を捨てるのが怖かったから。




なんでこうなっちゃったのかなあ、と昔の自分を思い出してみた。

(ここからモノローグ回想モード笑)



小学校の時は、けっこうナチュラルだったと思う。


小学5年生だったかな、

「ふじのの、真剣だけどたまにひょうきんなところが好きなのよね」


って言ってくれた女の子がいた。
女の子はすごいね、もう小学生の時には、ぜんぶ見透かしちゃうんだね笑


自分の子供を見ていて思うけど、こどもってもともと自然体だから。

でも、その子供がどんどん肩に力が入っていく。
心も、体も、カチカチになっていく。

それが大人になっていくってことなのかもしれないけど、
子供を抱きしめてあげて、体の力を緩めてあげることがだいじだよね。
(その話はまた別で書こう)


中学高校、進学校の男子校。
僕なんかよりもっとキレキレな奴らがそろっていたなあ。
オモローなやつもいっぱいいた。
(その話もまたいつか書こう)


大学、田舎の筑波大学(つくばエクスプレス開通前の陸の孤島)。
ここでは、キレキレとゆるゆるの両方をもてていたなあ。だから、とってもたのしかった。


となると、やっぱり社会人になってからなのかなあ。
どんどん力が入っていったのは。




2002年、けっこうな就職氷河期の中、
偶然、アクセンチュアというコンサルティング会社に入社することになり、
新人研修では、頭のいい大学から、頭のよさそーなメンバーがたくさん集まっていて、
「がんばらなきゃ」と力み始める僕がいた。

でも、飲んでみるとアホなやつばかりで、自分らしさをすこし取り戻すこともできた。
仲間のおかげ。

シカゴで受けた全世界のアクセンチュアの新人が集まる研修でも、同じだった。

青色の瞳のロンドンオフィスのメンバーも、
「夜になれば同じアホな人間」
ってことがわかって、たのしかった。


日本に戻ってきて、研修の卒業式。


研修を担当してくれたトレーナーとの配属先を話し合う面談。


「ふじのくんさあ、どんな仕事がいい?」


「どんな仕事でもやります!」←もうすでに力入ってる(笑)


「プログラミングがあるジョブ(プロジェクトのこと)でもダイジョブ?」


「うーん、なんとかします!」←ほんとは超やだ。


そして配属。


そこは、日本のダイジな機関の内部システムを管理運営する部署だった。


赤坂のアーバンなオフィスから離れて、
同じ赤坂でも、割と雑居的な(笑)ビルの2F。
1Fはファミリーマートだった。



20人くらいが集まるオフィス。

季節は梅雨の6月終わり。

半そでの私服の先輩が半分、多分彼らは客先に行かないプログラマー。
時たま着るためのスーツが壁にかかってる。
そして、マネジャーたちは、スーツ。


配属されたのは僕一人。


部屋に入ったその瞬間、僕の筋肉はこわばった。


みんなが、必死な顔だったから。


笑顔で挨拶するはずだったけど、僕の顔もこわばっていくのを感じた。



いや、僕の心がカチカチだったから、
みんなの顔が必死に見えていたんだろうか??



そのプロジェクトに配属された何もできない新人コンサルタントの僕。



何もできないだろう、ということはわかっていたけど、

あんまりにも何にもできない自分に悲しくなっていく。



でも僕は、


できない自分が認められなかったのだった・・・


そしてその「虚勢」こそが、モテないキレキレ人間を生み出していくのだった・・・


(なんか暗いね笑 しばらくこの感じで続きます!)



前回のブログ(キレキレだとモテない)を読んでくれた友人たちから、

ふじのはキレキレだったのか

ということについて、指摘をもらいました。



20代前半の僕のことを知る友人たちより


◆新卒入社同期より

・ふじの、我らにしてみたら、あなたはずっと天然ユルのキレキャラ(短気方向の意味)だぞ。(女子)
・天然ユルで 子音の発音が弱いキャラだ。(女子)
・ユルユルのウンコ野郎だ(男子)



持つべきものは、新卒入社同期だ


ということが改めてわかりました。


ユルユルのウ○コ野郎という指摘については、
僕が1社目を辞めるきっかけになったストーリーがありますので、
もうすこし後で書こうと思います。



◆ビジネススクールの同期女子から

・わかるー!ふじのさん キレキレだったもんねぇ。わたし、怖いって言ったことあるよねぇ。だって怖かったもん!笑(女子)



キレキレの人が集まるビジネススクールの人からも僕は「怖かった」

ということがわかって、
仮説は証明されました(わはは・・)



グロービスで僕が学んだキレキレとゆるゆるの話も、だいぶ後で書こうと思います。




さて、前回の続き。





キレキレだけだとモテないという、当たり前の事実に気付いていなかった僕は、
それでも額をπの字にして仕事にまい進し、やがて肌も心もボロボロになっていきます。


結婚して、広い部屋に引越し、楽しいはずの新婚生活も、
僕の帰りが毎晩1時近くになる日々が続く中で、きしんでいきます。





地下鉄を3回乗り換え、
大江戸線という地の底を通り抜け六本木まで向かい、
ビル直結の高層ビル32階で働き、
コンビニ弁当を掻き込み、
上司の「差し入れ」のリポビタンDで翌日の体力を前借りし、
気が付くと終電がなくなり、
タクシーで首都高速を走り、
妻が寝てしまっているときは、
一人ロース豚肉薄切りを焼いて、ビールを飲み。
日の光をまったく浴びないままに、眠りについていました。


がんばってるのに、どんどんつらくなっていく。
イライラが止まらない。
イライラして仕事をするから周りとうまくいかない。
仕事が進まなくて、またイライラする・・・



そんな風に苦しむ僕に、20歳ほど上の方が声をかけてくれました。


「藤野くん、がんばってるよね」


「ええ、がんばってもがんばっても、仕事が終わりません」


「もっと力を抜きなよー」


「力抜いたら、がんばれません」


「うーん、そうじゃなくって、もっとリラックスして仕事した方がうまくいくよ。
ほら肩の力を抜いてさ」


その方は、僕の肩に手を置いて言います。


しかし、僕が言い返した言葉は、どうにもならない一言。



「力抜くって、どうすればいいんすか!!」



うーん。今思い出しても苦しい。


力を抜くってことがわからずに、余計力が入っちゃう感じ。



今になるとわかる。


これは「心」に力が入っている
プレッシャーで心がいっぱいいっぱいになっている、
ってのもあるんだけど、

なにより、
「体」に力が入っちゃっている。
体が疲れと緊張でカチカチになってしまっている
ってことに。



しかし、20代の僕は気付けなかった。


ゆるゆるの人は、いい感じで力が抜けているってことを。


そして、ゴルフも仕事も、


いい感じで力が抜けているときにこそ、いいパフォーマンスが出る


ということを。




なぜ、僕は力が抜けなかったのか。


それは、


キレキレであることをやめることが怖かったから。



キレキレである自分を捨てるのが怖かったから。



これはなかなか根深い悩みだったのです。

20代の僕はキレキレでした。

いや、最近までの僕はキレキレでした。


「藤野さんって、頭の回転早いよねー」とか
「アタマ良さそうオーラ」が出てるよねーとかよく言われてたのです。


新卒で入社した1社目が外資コンサルだったし、「キレキレ、あたまよさそー」がかっこいいと思ってたフシもあり、
そう言われて悪くない気分だったのですが、大きな問題がありました。


キレキレだとモテない のです!!


正確に言うと、上司にはモテます。
なんせ仕事しますから。

無茶な納期や、要望が上司からふられると、
イライラしながらも、ゴールにたどり着くための最短ステップをグリグリ考え、そこに向けて突進していきます。


上司からすると便利な奴ですし、仕事ができるかできないかはさておき「まあ がんばるやつ」ですから、
割りとかわいいわけです。


キレキレだと上司からはモテます。
しかし、後輩や女子社員からモテないのです。


それはなぜか。

「怖いから」です(笑)


眉間にしわを寄せ
額にπの字をつくり
首を前に突き出し
口はへの字で
PC画面をにらみつけ
ひたすらキーボードをたたき続けている男。






そりゃあ怖いよね。


でもほんとは上司じゃなくって、後輩や女子社員にモテたいわけです。


新人君から、「ふじのさん、相談あるんですけど教えてもらえますか?」とか気軽に声をかけてもらいたかったわけです。

かわいい女子社員たちから、「ふじのさん、おやついっしょにたべませんか?」とか言われたかったわけです。

(↑これは相当モテていますな 笑)


しかし、怖いから声をかけられません。逃げていきます。


お呼びがかかるのは上司からだけ。


「おい、藤野!あとどれくらいかかる!」
「すぐできます(半ギレ)」



仕事をどれだけ頑張っても、声をかけてくるのはおっさんばかり。
これではやる気が出ません(笑)

あのときの僕は気が付いていなかったのです。



キレキレなだけだとモテない




ということに。

ふと周りを見ると、いるわけです。

仕事がんばっているように見えないのに、周り人が集まっている人が。


くそー、どうやったらああなれるんだ?



そのヒントはゆるゆる でした。


東京を卒業して10年。

働きごこちを研究し始めて8年になります。



働きごこちが悪かった時代から、「僕、最近働きごこちいいっすよ」とニコニコ応えられるようになるまで、約10年かかりました。


この10年でいろんなことに気付いて、「あ、これ、伝えたいかも」って思ったので、ブログを書きます。



タイトルは「キレゆる日記」。



キレゆるって何?ってのは追々書いていくとして、
このブログで目指したいことは?


「働きごこちが悪かった20代の僕の失敗談」


をたくさーん書くことです。

ほら、成功談って読んでておもしろくないじゃないですか(笑)

研修講師やっていて思うんですけど、
失敗談話すと、半分寝ていた受講生の目がパッと開くんですよ。

なんでだろ、あれは人間の本能ですかね?
「失敗談は、聞いておいた方がいい」
っていうスイッチが入るんでしょうね。

てなわけで、失敗談をたくさん書いていきます。

失敗談

その原因

今してること

そこからの気付き

みたいな感じで、書いていこうと思います。
ボチボチ応援してください。