発達障害の娘といっぱい泣いた日々
こんにちは
いやあ、この数日間は日本にいるHと共にいっぱい泣きました。
涙を流すたびに、新しい理解がやってくる、、、。
この繰り返しでずっと螺旋階段を上っています。
分度器で測らないと上りか下りかわからないこともありますが、それでも進んでる。これは実感します。
しかし、泣くとつかれるんだなあ。これが。。。
生き生きする、エネルギーが沸く、大切なガソリンは何なのだ?
今日はそんなお話。
NHKの番組に「キラキラムチュー」という番組があります。
発達障害のお子さんにスポットライトを当てて、
彼らが好きなことで、
溌剌と、生き生きと生きている姿を捉えています。
昨日は再放送を見ましたが、
道路と天気予報が大好きな少年のお話。
支援学級に通っています。
時々思うのです。我が子達が支援学級に行ってたら、
背伸びせずに、カモフラージュせずに
生き生きできたのかなあって。
学力にどんなに問題がなくても、多勢に無勢で
我慢して周りに合わせてしまうことが常になってしまう、
その大元は定型発達の普通クラスに行っていたからか?
と思うこともあります。
はい、話を戻して、
その彼は横浜の自宅からパパの運転で
伊勢神宮に参拝にいきます。
車で走る道を計画し地図に書き、
混雑を回避するために別ルートで目的地に行くまで、
運転手のパパを助手席でサポートしつつ
ドライブを楽しみます。生き生きしています。
そんな彼が塾に行った時、
自分が持っているはずの鉛筆がない、、
と慌てるシーンがありました。
Hそっくりです。ない、ない、ない!!!
ないことがショックで、じっくり探すことはできません。
パニックです。 私はHに聞きました。
この教室で筆箱を開いた、そして其の時にはあった。
が、気づいたら無い。
でも魔法で消えることはないので、
絶対にこの教室内にある。
が、パニックになる。
これはどの時点であわててしまうのか?をHにききました。
無いことで頭がいっぱいになり、冷静な判断ができなくなる。
よく考えたらある、消えるわけがない、
でも。。。慌てる。すごく慌てる。と。
発達障害の人は視野が定型発達の人よりも狭いときいているので、其のせい?とも聞きましたが、答えは「わからない」と。
その彼の慌てぶり、ない、ないと、
プチパニックからパニックになっていく感じ。
その一方で、高速道路につけられた名前や、
其の由来、数年前の呼び方から変更になったことなど、
其の知識は半端じゃありません。
このギャップが、日常生活において、
「もっとできるはず」という周りからの判断を
呼んでしまう一つだとも言えます。
彼のご両親は
できないこと、できないジャンルを強化しよう!
というよりも、
強いジャンルを思いっきり伸ばしたい!
と思っていらっしゃるようでした。
「パニックを治さなきゃ」ではない育て方。大賛成でした。
彼は好きなことからエネルギーをもらって
生きる力にしている気がしました。
この「好きなこと」発のエネルギーほど強いものはありません。
ところが周りの人の目を気にして、人に合わせていると、
そのエネルギーの炎がどんどん消滅していきます。
そして生活全体のトーンが落ちていきます。
ここに負の台風が起きると大変。
マスキングしてだれかに合わせていく人生は
弊害が大きすぎます。
それが必要な時もあります。
そうでなければ乗り越えられないこともあります。
一人一人個人差がある「自閉症」なので
一概には言えません。
HとNでもそれぞれの考え方の違いはあります。
でも、そのままで、マスキングしなくても大丈夫、
そういう身近な人が居ることはとても大事ですね。
普通の反応をしないと
「変な人だと思われる」
「仲間に入れてもらえない」
そんな経験をしていると、
なかなかマスキングをやめられないんですね。