上手に老いる、上手にボケる? | 走りかじり虫の日日是好日

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北海道十勝にやってきた「走りかじり虫」一家の暴れん坊日記。

昨日、市民講座で「認知症について」講演を頼まれ、専門外と断りながら、なんとかこなしてきた。

大きなホールで、以前夏に、鈴木聖美のコンサートhttp://ameblo.jp/hashirikajirimushi/day-20090804.html があったホールに、その倍以上の人が入って、立ち見ができていた。もちろん僕の他に某大学の著明な教授先生をはじめ4名の演者がいらっしゃって、その効果なのだろうが、「脳の健康」に関しての市民の興味は大きいことがうががわれる。


今回、僕に与えられたテーマは認知症。

脳卒中なら何度も講演をさせてもらっているが、これは全くのはじめて。。。

一般の方にわかりやすいように、製薬会社さんなどから資料をいただき、イラストなどが入ったものを使わせてもらう。あまり堅苦しい話はなるべく避けるようにするが、認知症はテレビでもよくとりあげられており、そういう情報は、聴衆の方がよく知っていたりするので、どうもやりにくい。

まあ、とおり一辺倒の話と、自分の経験した患者さんの話なども交えて話し、最後に介護する方の心構え、注意点など、そして日常生活で気をつけることなどをお話しした。

これだけでは、おもしろくないので、少し僕の「老いる」ことに関する考えなどを披露した。


「手紙 親愛なる子供たちへ 」唄:樋口了一

私が服に食べ物をこぼしても、靴紐を結び忘れても、

あなたに色んなことを教えたように見守ってほしい



あなたと話す時、同じ話を何度も何度も繰り返しても、その結末をどうか

さえぎらずにうなずいて欲しい

(それは昔)あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末はいつも同じでも、私の心を平和にしてくれた(のと同じなのだから)



楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり、

お風呂に入るのを嫌がる時には思い出してほしい

あなたを追い回し何度も着替えさせたり、様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを



いずれ歯も弱り飲み込むことさえ出来なくなるかもしれない

足が衰えて立ち上がることすら出来なくなったなら

あなたが、か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように

よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい・・・



あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい・・・


(一部著者編集)


これは誰も知らない泣ける歌として、密かにヒットし、レコード大賞の優秀賞かなにかにも輝いた歌で以前聞いて非常に印象に残っていたので、今回引用させてもらった。

たまたまポルトガル語のメールの文章に感動した人が訳詩して、唄をつけたとか・・・


会場にCDを流してもらいながら少し、話をした。


人間は生まれて成長していく過程で、いろんな失敗をするが、それを親が辛抱強く愛情をもってサポートしてあげて一人前になっていく。

そして老いるにつれ、一部の機能が衰え、低下していく。認知症もその一つと言っていいかもしれない。

でも良くも悪くも歴史は繰り返すのだ。

別に、子供に面倒を見てもらいたいと思って、子育てをする親はいないだろうが、「良い子育てをすることが良い老後に反映される?」のかもしれない。


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子供のいない人は、周囲の人といい関係を築いていくことが、良い老後を迎えることの一つの目標になるのではないか・・

僕も一昨年87歳で父を亡くし、充分な介護はできなかったかもしれないが、自分の肉親が衰えていく哀しさを実感した。かたや、3人の幼い子供達は日々駆け回り成長していく。

人間が徐々に衰えていく。これは歴然とした現実であり、悲しむべきことではないのだ。

人間が成長するのと同じように、当たり前のように衰えがくる。

受け入れて、自分にできることをするしかないのだ。

認知症の治療の目標は、実は物忘れを治すことが治療の目的じゃなくて、できるだけ本人と周囲の人との間の本来あったであろういい「関係」を保ったり、修復することではないだろうか。

この歌のように、積極的に子供にこうしてくれなんて言える親(介護される立場の人)がどれだけいるのかという疑問はあるし、口で言うほど、介護というものは簡単じゃないことはよくわかっている。

だが、自分を育ててくれた親の気持ちを少しでも思ん量り、他人を介護するときも人間のいわば「輪廻転生」を感じて出来ればいいのかな少しと思う。

あくまで医療や介護は寛容な心で「天寿」が全うできるよう、手助けするに過ぎないのだ。

いずれにせよ、より良く「老いる」ことが何よりの幸せなのではないかと締めくくった。


生意気なようだが、年老いた父を見送り、幼い子供達を持つ、ちょうど中間地点にいる

自分の率直な思いを述べたところ、「涙が出そうになった」「いい話をありがとうございました」などの反響を頂いた。

当たり前の講演にはしたくなかったので、まあそれなりの成果があったかと自己満足している。


で、自分は・・・?試験勉強ヤバい!

「人に説教垂れてる場合か!」ヨメのきついツッコミが聞こえそうで、こうして今日も十勝晴れの中、机に向かっては、でもやっぱりブログに逃避してしまう毎日である・・