「古事記考」-20(天孫降臨-1) | はしの蓮のブログ

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はしの蓮です。古代史、古事記、日本神話などや日々のちょっとした出来事、気づいたことをブログに綴っていこうと思っています。また、民話や伝説なども研究していきます。

 


オオクニヌシの国作りを助けたオオモノヌシ(大物主神)の出自は『古事記』に記されていません。そういうことから、『日本書紀』では、大物主神は大国主神の別名である、としています。三輪山の大神(おおみわ)神社の由緒も大国主神の和魂(にぎみたま)を祀るとしています。
しかし私は、大物主神と大国主神は別の神と考えています。
国作り、天孫降臨(国譲り)の後、大物主神はセヤダタラヒメを妻とし、神武天皇の后となるイスケヨリヒメをもうけています。
大国主神はというと国譲りの後、新築の出雲の大社に引き籠もり(鎮座)、以来、祟(たた)りは引き起こすものの、目立った活躍はしません。
時代を経て、大物主神はミマキイリヒコイニエ(第10代崇神天皇)の世に、その荒魂(あらみたま)が祟って疫病を流行らせています。
大物主神が大国主神の「和魂」であり「荒魂」であるならば、大国主神=「荒魂」、大物主神=「和魂」、という図式は成立しません。
「和魂」「荒魂」については改めて後述します。

 

およそ『古事記』を読む限りでは、大国主神と大物主神は別神と考えたほうがよさそうです。



さて、オオクニヌシによる国作りが終わって、長くその治世が続いていました。
しかし、時を経て、しだいに悪(あ)しき神や荒ぶる神々がはびこり、国は騒々しくなり、荒れていきました。
高天原のアマテラス大神はこんな事態を憂えて、

 

「この葦原の中つ国は、今や、悪しき神や荒ぶる神々がはびこっています。平定のためには、わが子アメノオシホミミが治めなければなりませぬ」

 

と言って、アメノオシホミミを高天原から中つ国に降ろすことになりました。

 

(アメノオシホミミはスサノヲとのウケヒのとき生まれたアマテラスの第一子)

 

ところが、アメノオシホミミが、天降りするために、天の浮き橋に降り立ったとき、下の中つ国を見て、
「この葦原の中つ国は、なんとひどく荒れて騒がしいことだろう」
と言うと、怖じ気づいて、そのまま高天原に引き返してしまい、アマテラスに、
「中つ国は、ひどく荒れて騒がしいので、この私では治めることがでません」
と申し上げました。
困ってしまったアマテラスとタカミムスヒ(高天原に出現した二番目の神)は、天の安河原にオモイカネと八百万(やおよろず)の神々を集めました。
アマテラスは神々に向かって、
「葦原の中つ国を、わが御子に治めるよう申し伝えたのだが、この国は騒がしく、荒ぶる神々がはびこっているということである。誰を遣わしたら治めることができようぞ」
とたずねました。
オモイカネは八百万の神々と長い間話し合って、アマテラスに、
「アメノホヒ様を遣わされるがよろしいかと」
と申し上げました。

 

(アメノホヒはウケヒのとき生まれたアマテラスの二番目の子)

 

そこで、アメノホヒが遣わされることになりましたが、アメノホヒは、中つ国に降りると、オオクニヌシの歓待を受け、いとも簡単にオオクニヌシの手中にはまり、オオクニヌシ側になびいてしまいました。
高天原のアマテラスとタカミムスヒはアメノホヒから三年もの間、何の音沙汰もないので困り果て、またも神々を集めて、アマテラスが、
「葦原の中つ国に遣わしたアメノホヒは、久しく経っても、何の返事もよこさない。次は誰を遣わしたらよいでしょう」
と問いました。
またも神々は相談し、オモヒカネが答えて、
「アマツクニタマの子、アメノワカヒコを遣わすのがよろしいかと」
と申し上げました。
そこで今度は、アメノマカコ弓(強力な弓)とアメノハハ矢(強力な矢)をアメノワカヒコに授け、中つ国に遣わしました。
アメノワカヒコは、中つ国に降り立つと、オオクニヌシの歓待を受け、高天原に妻子がいるのに、すぐさまオオクニヌシの娘シタテルヒメ(タカヒメ)を妻にしてしまいました。アメノワカヒコは、このままオオクニヌシの跡を継いでしまおうと考え、八年が経っても、アメノワカヒコは高天原に報告をしませんでした。
困り果てたアマテラスとタカミムスヒは、またもや神々を集め、アマテラスが、
「アメノワカヒコは、久しく何も言ってこない。そのわけを聞き出すために誰を遣わしたらよいでしょうか」
とたずねると、
オモヒカネと神々たちは、
「キジ鳥の、名はナキメ(鳴女)というものを遣わせばよろしいかと」
と答えると、すぐにアマテラスはナキメを呼び寄せ、
「汝、中つ国に降りて、アメノワカヒコに会って、『汝を葦原の中つ国に遣わしたのは、荒ぶる神たちを従わせ、鎮めるために遣わしたのだ。なぜ、八年が過ぎるまで何も言ってこないのだ』と問うてまいれ」
ナキメはキジ鳥に姿を変え、高天原より中つ国に舞い降り、アメノワカヒコの屋敷の門にある大きなカツラの木に止まり、アマテラスの言葉通り、一言一句間違えずに、大きな声で鳴いたのです。
すると、アメノワカヒコに仕える女神アメノサグメが、ちょうど通りかかってこの声を聞いて、このアマテラスからの、お叱りの言葉をアメノワカヒコに聞かせまいと次のようにそそのかしました。
「このキジは何か妖しい鳥でございます。その鳴き声も不吉ですし、さあ、今すぐ射殺しておしまいなされ」
と言うと、アメノワカヒコは、アマテラスとタカミムスヒから授けられた、アメノマカコ弓とアメノハハ矢を持ち出して、そのキジを射殺してしまいます。
ところがその弓矢はあまりにも強力だったために、キジの胸を突き抜けて高天原までとどき、天の安河原で他の神々と集(つど)っていたアマテラスとタカミムスヒの足元まで飛んでいきました。タカミムスヒはその血の付いた矢を拾い上げると、
「なんと、この矢は、アマテラス様がアメノワカヒコに授けられた矢ですぞ」
と、矢を高く持ち上げ、唱えました。
「もし、これが、アメノワカヒコが荒ぶる神を射た矢ならアメノワカヒコに当たらないように…。だが、邪(よこしま)な心があって飛んできた矢なら、この矢によってアメノワカヒコに災いを与えよ…。」
と、タカムスヒは、矢の通ってきた穴に思いっきり投げ返しました。
すると、矢は、高天原から地上へ飛んでいって、寝ていたアメノワカヒコの胸の真ん中に突き刺さって、アメノワカヒコは死んでしまったのです。
これを、「還(かえ)し矢」といい、キジも二度と戻ることができなかったので、「キジの片道使い」という諺(ことわざ)が生まれました。



「アメノサグメ」について…
アメノサグメ(天探女)はアメノワカヒコ(天若日子)にウソの告げ口をしたことからアマノジャク(天邪鬼)の原型とされます。
そのわけは、もともとアメノサグメは文字どおり、天(神)や人の心を探るのが得意で、その意を自由に操ることができる頭のいい女神でしたが、このとき、天(アマテラス)の意に反して、ウソの進言をしたことで、天の意を邪魔する鬼に化した訳です。天邪鬼、つまりアマノジャクになったわけです。

 

「還(かえ)し矢」について…
この神話から、後の争いや戦いで、飛んできた矢を射返すと、その矢を射た本人に当たるといわれるようになりました。
自分が不用意に攻撃した矢は二倍、三倍になって自分に還ってくるという喩えです。
現在になって、ある日本の科学者は飛んできたミサイルを打ち落とすのではなく、発射地点に還してしまおう、という研究をしています。ミサイルが発射されたら、瞬時にコンピュータが、その発射地点、軌道、着弾地点、スピードを判断して、いくつもの静止衛星にレーザー装置を取り付けて、レーザーでミサイルを捕らえて発射地点に戻してしまおうというものです。実現するとミサイルは発射できなくなります。
これは私が命名したいです。「還し矢」ならぬ「還しミサイル」です(普通ですね)。

 

「キジの片道使い」について…
キジ鳥はアマテラスの命を受けて高天原から地上へ降りたのですが、アメノワカヒコに射殺されてしまって高天原に帰ることができなくなりました。
このことから、お使いに出したのに、いつまでたっても帰ってこないことを「キジの片道使い」といいます。


 

 

つづく