はせべゆたか★星屑収集 (Stardust Collection)

はせべゆたか★星屑収集 (Stardust Collection)

これまであちこちに書いてきたものを

集めてみました

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「曹操軍はわが軍の数万倍。本当に勝てるのでしょうか?」
 魯粛が不安顔で諸葛亮に尋ねる。孔明は手にした羽団扇で魯粛を扇ぐと、愉快そうな笑い声をあげた。
「ご心配いりません。この者たちさえいれば、曹操軍など恐るるに足りません」
 孔明が指し示した方向には、5人の異形な風体の少女たちが立っていた。
 亮は、まず水色の髪の少女に、何やら耳打ちをした。少女が長江に向かい、両手で印を結ぶ。
「ウォーター・ストリーム!」
 みるみるうちに長江の水面が、大きくうねりだす。向こう岸の曹操の艦船が、嵐にもまれる木の葉のように揺れている。亮は、その様子を確認すると、金色の髪の少女に合図した。


「どうしたというのだ。この揺れは?」

 曹操が大声で怒鳴った。曹操軍は波にもまれる船の中で苦しんでいた。船酔いのため、もどしている兵士も多数いる。
「誰か、何とかせい」
 金色の髪をした少女が、曹操の前に歩み出た。
「ヴィーナス・ラブミーチェーン!」
 少女から発せられた金色の鎖が、船同士を結んでいく。全ての船が鎖でつながれ、揺れはおさまった。


 孔明は周瑜の前にいた。
「どうやら連環の計は成功したようですな」
「だが、問題は解決しておらぬ。この風向きでは、火計は使えぬ」
「ご心配なく。風向きを変えてご覧に入れましょう」
 亮は茶色の髪の少女に命令する。少女は河岸に立つと、
「フラワー・ハリケーン!」
 と、叫ぶ。たちまち北西の風が南東に変わる。周瑜は呆然としていたが、我に返ると、すぐさま火矢を用意させた船を出そうとする。
「それには及びませぬ」
 と、孔明は周瑜を制すると、真紅の髪の少女に何やら命じた。
「ファイヤー・ソウル!」
 曹操軍の船々が、みるみる紅蓮の炎に包まれる。周瑜の顔から血の気が引く。


 孔明はかまわず関羽を呼び寄せる。
「曹操を討ち取ってまいれ」
 最後に残ったお団子頭の少女が、関羽に何やら手渡した。
「はて? これは?」
 関羽が少女に尋ねる。
「ムーン・スティック……と言っても通じないか。そうねえ、青龍偃月刀とでも呼んでね。
 曹操を、取り逃がしたら、お仕置きよっ!」
 孔明と5人の少女は、声高らかに笑った。


<『光栄ゲームパラダイスVol.5.0』(株式会社光栄発行/発行日1994年2月15日)>



赤璧の戦いで呉軍がやった事って、セーラームーンの各戦士の技にピッタリはまるな~と気付いたら一気に書けました。オタク・フュージョンって作品ですね(笑)。


はせべゆたか★星屑収集 (Stardust Collection)-ゲーパラ5

 かねてより噂のあった大物カップル・小野小町(22歳=本名小町法子さん)と、在原業平(29歳=本名在原武裕さん)の仲が白紙に戻った。これは、24日発売の『週刊古今』の中で、小町が語ったもので、小町は離別の原因については語らなかったが、両者の仕事の多忙さによるスレ違い、小町・在原両家の確執の他、在原と、京・二条の后との交際が引き金になったとする見方もある。


 トップスター同士の結婚が、いかに難しいかを思い知らされる小町と業平の破局だった。
 アイドルから、歌人として年々実力をつけてきた小町に対し、業平は、結婚したら家庭に入って欲しいと希望していた。小町も、一度はそれを納得したが、雨乞いの儀の抜擢や今年睦月に行ったロンドンでの歌会始のレコーディングなど、国際スターとしての飛躍が彼女に、仕事の面白さを再確認させたようだ。
 また、そんな小町に対して、両親の、「今は結婚すべきではない」という再三の忠告も、彼女を大きく動かしたようだ。何しろ出す和歌、出す和歌がすべてヒットチャートの上位を占め、『和歌ベストテン』でも新記録を作った小町だけに、両親としても、まだまだ歌人で活躍して欲しいという気持ちが強かったのだろう。


 記者会見場に、薄化粧、紫の十二単で現れた小町は、現在の心境を
 うたたねに 恋しき人を 見てしより
  夢てふものは 頼みそめてき
 と語った。しかし、その後は涙で顔をくしゃくしゃにし、声もつまって言葉にならなかった。
 一方、業平は、春日の里にある別荘に狩猟に出かけているということで、左京の南東のはずれにある実家では、鍋屋を営む兄・行平さんが、
 月やあらぬ 春は昔の 春ならぬ
  わが身ひとつは もとの身にして
 との、初句が字余りという、動揺を隠せない業平のコメントを発表した。


 <二人の愛の轍>
 嘉祥三年葉月 小町、眠る時は、いつも『業平集』を聴いていると告白。六歌仙の中では一番好きと語る。
 仁寿二年文月 業平、主演映画『伊勢物語』のロケ地・東国から、
 名にしおはば いざこととはむ 都鳥
  わが思う人は ありやなしやと
 と、小町にラブコール。
 仁寿三年如月 小町、テレビ平安『黒主の爆笑美女対談』の中で、「すぐに結婚というわけではないが、男として好き」と結婚を前提とした交際をほのめかす。
 同神無月 小町・業平のものと見られる電話盗聴テープがマスコミに公開され、「抱っこしてくんなまし」の台詞が流行語となる。
 斉衛二年弥生 業平、ベストテン番組の出演を拒否する。これに呼応するかのように、小町も暮の『○○和歌祭』『○○和歌賞』の賞盗りレースを辞退する。
 天安一年師走 大みそか恒例の『紅白和歌合戦』のリハーサル中に、業平と小町が、
 秋の野に 笹分けし朝の 袖よりも
  あはで寝る夜ぞ ひちまさりける
 みるめなき わが身を浦と 知らねばや
  離れなで海人の 足たゆく来る
 と、口論している所を、写真週刊誌にフォーカスされる。
 天安二年睦月 小町、武道館で行われた新年の歌会で、一万人のファンを前に「私はずっと皆様の前で詠んでいきます」と結婚後退発言。同月二十四日発売の『週刊古今』に破局のインタビューが掲載される。


――今回の別離に際して、彼とは、どんな話をしたんてすか?
「今度、生まれ変わった時は……
 たとえば、それが、今から千二百年先の
 未来か何かで、
 その時にめぐり逢うことができたら……
 その時は一緒になろうねって
 言いました……」


<『ビックリハウス』(パルコ出版)昭和60年8月号・第20回エンピツ賞入選>



選評は「ちょっと古いね」でした(笑)。
自分でも、確かに面白いお話ではあるが、”感性の祭典”である「エンピツ賞」でナンバーワンに選ばれる作品だとは思いません。ただ、あの時代は、面白いお話しを書いたとしても、それをみんなに発表する場がそんなに無かったんですね。
もしも今の時代だったら賞なんかに応募せずにインターネットですぐに発表したでしょうね。個人個人が発表できるメディアを有した現在はとても良い時代になったと感じます。


はせべゆたか★星屑収集 (Stardust Collection)-BH20

●関連HP

「ビックリハウスアゲイン」

 これから僕が皆さんにお話しする出来事はたぶん信じてはいただけないと思います。自分でも、今思い出すと、あるいは夢だったのかもしれないという気がします。
 そう、あれは今からちょうど一年前。三月の連休の時のことでした。



 僕はコートのえりを立て、駅前のホテルに向かっていた。僕は今をときめく人気グループであるキャンディーズの大ファンである。そして、今さっきまで、そのキャンディーズの仙台公演を、昼夜共に見てきたのである。しかし、ここまでなら、別に問題はない。
 話は去日にさかのぼる。僕が学校で、今日キャンディーズを見に行く事を宣伝していると、友人のひとりである幸久がやって来て、僕の耳もとでこうささやいた。
「そんなにキャンディーズが好きなんだったら、明日ショーが終わってから会わせてやる。午後八時に仙台ホテルのコーヒーショップに来い」
 僕は驚いて聞いた。
「キャンディーズは仙台ホテルに泊まるのか。いったい、誰から聞いたんだ」
 彼はさり気なく答えた。
「ランからさ」


 まさか彼の話が本当だとは思わない。しかし、ちがってもともとではないか。いや、仙台ホテルに泊まるのは本当かもしれない。それを、彼はからかって、ランちゃんから聞いたなどと言ったのかもしれない。万一、会えたら大もうけだ。

 僕は複雑な気持ちで、二階のコーヒーショップへ入った。時間は七時五十五分。幸久はいなかった。
 やっぱりだめか。もしやと期待した僕が馬鹿だった、と思いかけた。しかし、その時、僕を呼ぶ声がした。幸久だった。
「誰にもこの事は言わなかっただろうな」
 彼は言った。僕がうなずくと、彼は僕の手を引いて、エレベーターに乗った。そして、五階のボタンを押した。五階にはメインロビーとグリルがある。彼はグリルに入ると奥へ奥へと進んで行った。人はさほどこんでいなかった。

 僕は夢でも見ているようだった。
 が、次の瞬間、見たものは、まさに夢ではないかと思う光景だった。いたのである。その一番奥のボックスに、まさにキャンディーズが座っていたのである。


 幸久は、何のためらいもなく、
「やあどうも、おくれまして」
 などと言っている。
「まあ、座れ」
 と、マネージャーが、イスをふたつ空けてくれた。幸久が、
「彼が去日、電話で話した僕の友人です」
 と、僕を紹介してくれた。
「エビを注文したけど、君たちも同じでいいだろう」
 と、マネージャーの人は言って、僕たちの分を追加してくれた。しかし、僕は何がどこに入ったんだかもわからない。マネージャーとキャンディーズは明日の仕事について、何か話している。九時近くにグリルを出た。
 僕はミキちゃんの隣を歩いている幸久に聞いた。
「これからどうすんだ」
 すると、幸久は、僕の存在を思い出したかのように、しかも僕がおどろく事をまったく当然の事のように言った。
「まず三人の部屋へ行こう」
 そして、
「おまえ、何時までいいの」
 と、つけ加えた。僕はもう、とっくに帰っていなければならない時刻だ。しかし、僕は今、キャンディーズに会っているのだ。加えて、幸久が、こんなに彼女らと親しいのかを調べなくてはならない。たとえ家を追い出される事になっても、ここから帰るわけにはいかないと思った。


 部屋は八階だった。いつも地方に行った時彼女らは、ツインを一部屋とって、そこに三人で寝るそうなのだが、今日はあいにく、シングルしかとれなかったらしく、三人とも別々の部屋だ。僕と幸久はランちゃんの部屋である八○八号に入った。ランちゃんは、着替えるらしく、バスルームに入った。
 僕は一挙一動が信じられない。
「いったい、どうなっているんだ」
 たまらなくなって、幸久に聞いた。
「ひとつひとつ説明はできない。でも、今、君はキャンディーズに会っている。それでいいじゃないか」

 やがてGパンにトレーナー姿になったランちゃんが出て来た。ミキちゃんとスーちゃんも、それぞれ着替えて、この部屋に入って来た。急に部屋がにぎやかになった。
 僕も少しなれて、やっと彼女らと話すことができるようになった。トランプをしたり、ショーのテープを聞いたりした。十時ごろ、マネージャーがやって来た。
「明日は一ノ関だ。九時半のやまびこだからな。じゃ、あとはかってにしろよ。ただし、疲れないように」
 そう言うと、ドアをしめた。
「今日は麻雀しに行かないのかしら」
 スーちゃんが少しおどけたように言った。
「あら、だって今日はチャッピーさんが、去日の負けを取り戻さなくっちゃ!って、はりきってたわよ」
 などと、笑いながらミキちゃん。

「ところで、おまえはまだ帰らないのか」
 と、幸久が僕に言った。
「おまえこそ、何時までいるんだ」
 と、僕は聞き返した。
「オレは今晩は、家に帰らない」
「えっ、じゃ泊まるのか」
「心配するな。今から、この下のレトワールラウンジへ行って、四人で少し飲むだけだから。あとはスタッフのところへ行って、打ち合わせをして……」
 僕も幸久と一緒に行きたかった。しかし、とても無断外泊なんかできない。


「あっ、この人、帰るの。じゃ、私たちも、下へ行きましょ」
 と、ランちゃんが言った。僕は、ずっといたい気持ちを何とかこらえて部屋を出た。
 幸久とキャンディーズはレトワールラウンジへ入って行った。僕も四人について、中へ入っていった。そして、
「今日のショーすばらしかったですね」
 などと言った。そして、三人ともあく手をした。軟らかくて、小さくて、温かい手だった。
 僕が外へ出ると、幸久が追いかけて来て、
「明日の朝、九時にはここを出るから、八時にロビーへ来い。たぶんカトレアルームで、朝食をとるから」
 そういうと、幸久は、また中へ消えた。


 翌朝、僕は興奮した気持ちでホテルに向かっていた。去日は、本当に会えるのかという不安があったが、昨晩の出来事がそれを全て振り払っていた。もっとも、幸久が、なぜ、あんなにキャンディーズと親しいのかという新たな疑問が生じていたが……。
 ロビーにいると、ホテルの係員らしき人間に呼びとめられた。
「もしもし、どちらにへ」
「あの、キャンティーズさんに会いに」
「お知り合いですか」
「ええ、僕の友人がいるんです」
 しかし、係員は僕を疑っているようだった。無理もない。こういったウソをついて入ろうとするファンが大勢いるんだろう。
 係員が受話器をとった。たぶんマネージャーに電話したらしかった。
「そのような事は、お約束していないという事でしたが」
 係員が冷たく言った。そんなはずがなかった。いくら初対面とはいえ、去日、一緒に食事をしたではないか。とにかく、この係員では、何を言っても無理だと思った。僕は帰るふりをしてエレベーターに乗り、カトレアルームへ行った。マネージャーは、たぶん僕の事を普通のファンだと思っているのであろう。幸久の事を言えば、きっと思い出してくれるにちがいない。
 僕はカトレアルームの中へ入った。確かにそこにキャンディーズの姿があった。しかし幸久の姿は見あたらなかった。僕はランちゃんの前へ行って、おはようございます、と言った。しかし、彼女は、僕なんか知らないといった顔つきをした。そして、
「あのファンの方ですか」
 と、言った。何ということだ、もう忘れてしまったのか。
「あの、幸久はどうしたんですか」
 しかし、彼女の答えは冷たかった。
「幸久って誰ですか」
 僕は、だんだん興奮してきた。いくら何でもひどすぎる。みんなで僕を、かつごうとしているのではないか。しかし、それにしては、三人の顔は真顔だった。
「そんな。去日、ランちゃんの部屋で、一緒にお話をしたでしょ。それから、一緒にお酒を飲みに行ったでしょ」
 その時、彼女らの顔に、一瞬、怒りの表情が表れた。
「ちょっと、いいかげんな事を言わないで。私の部屋に男の人を入れたですって。失礼ね。それに、私たち、お酒なんか飲まないわよ。今日はもう仕事があるんですから、そんな事をされては困ります」
 そこへ、マネージャーが現れた。
「君か、ロビーでしつこくつきまとっていたのは。君の気持ちはわかるけど、こっちは仕事があるんだ。さあ、帰って」
 ウソだ。それでは、去日の出来事は、全て幻だったというのか。そんなはずは……。
 僕はまるでキツネにでもつままれたように、とぼとぼと家へ帰った。
 きっと、みんなとぼけているんだ。それにしても、幸久はいったい……。



 こうして、二日間の、僕にとっては長い連休と不思議な体験が終わった。しかし、翌日、学校へ行った僕は驚くべき事実を知った。
 教室には花が飾られていた。そして、黒い額縁の中で、あいつは微笑んでいた。
 なんでも、おとといの夕方、トラックにはねられ、即死らしかった。
 あのまま、幸久と一緒に泊まれば、僕はずっとキャンディーズと知り合いでいられたのだろか。それとも……。


出典・『ビバ・キャンディーズ』(発行日・昭和53年4月4日/キャンディーズ+オールナイトニッポン編/株式会社ペップ出版発行)


 キャンディーズの解散発表時は高校3年生でした。この話は理系の授業中に大学ノートに書いてたやつです(笑)。「オールナイトニッポン」でキャンディーズの解散本を作るので原稿募集という告知があったので送って採用されました。それまではハガキ1枚の投稿が主だったので、初めての「長編投稿」です。これが載ったことで、その後、『ビックリハウス』の「エンピツ賞」などにも応募するようになりました。
 ありきたりのオチですが、そこまで持ってくプロットは結構しっかりしてたなと自画自賛します。
 しかし文章は下手ですね。30点(笑)。「去日に~ 今日見に行く~ 明日会わせてやる」とか、「表情が表われた」とか……。本からテキストファイルに打ち直していると、直したい部分ばかりでした。しかし、一ヶ所を直せば他も全て書き直してしまいそうなので、目を瞑ってそのまま書き写しました。高校3年生が書いた物としてお読みいただければ幸いです。


はせべゆたか★星屑収集 (Stardust Collection)-ビバキャンディーズ

 いよいよ今日は皐月賞だ。僕は部屋の押入れに作った厩舎をのぞく。コズミックドルシエは元気いっぱいだ。パチンコ玉くらいのボロ(糞)を三つもしている。こういうときはコイツは走る。


 体高5センチのサラブレッド――。21世紀のバイオテクノロジーはとんでもない生物を作り出した。最初は競馬をさせるために作られたわけではない。日本の競馬レースが全て外国馬に開放され、本物の競走馬がなかなか売れなくなった。そこで知恵を働かせたある牧場がペット用として作り出したのが、この5センチの「ミニチュア・サラブレッド」だ。売り出された当時はOLや女子大生の間で「カワイイ~」と好評だったが、流行を漂流する彼女たちのこと、ブームはすぐに去った。けれども、このミニチュア・サラブレッドはじわじわと売れ行きが伸びている。
 こんな「オイシイ代物」を競馬マニアが放っておくはずがなかった。今の時代でも馬主になるのなど、夢のまた夢であるが、このミニチュア・サラブレッドならば、わずか数万円で馬主になれるのだ。全国に無数の同好会が誕生し、ついには日本を統括するJMAなる組織まで生まれた。やがてミニチュア・サラブレッド独自の血統も整備され、1頭数万円のはずだったミニチュア・サラブレッドも、超良血馬は数百万円もするようになった。本物の馬顔負けだ。
 JMAのクラシック優勝など、僕ら貧乏馬主にはかなわぬ夢だが、僕らにも楽しみはある。居酒屋「鳥一」に集まる仲間で作った愛好会のレース優勝だ。僕らは30名ほどのサークルだが、結構これはこれで盛り上がっている。毎週、メンバーの誰かの家でレースが開かれていた。
 そして、いよいよ今日は4歳牡馬のクラシック(※筆者注―執筆当時は現在より馬齢が+1)第一弾の皐月賞だ。会場は中山さんのアパートだ。中山さん宅は六畳一間のアパートだが、やはり皐月賞は中山でなければ感じが出ないので、毎年中山さんのアパートが会場となる。ちなみに先週の桜花賞は阪神ファンの僕のアパートが会場だった。ダービーは各自の家を毎年持ち回り、有馬記念は忘年会を兼ね「鳥一」が会場となる。この日は法律で禁じられている私設馬券屋も現れるほど盛り上がる。
 僕はコズミックドルシエを優しく手に取り、調理秤に乗せる。435グラムか。弥生賞より8グラムほど減っているが、この馬ならベストの体重だろう。水曜日の追いきりでこたつの上を三周させたので、うまく馬体が絞れた。僕の秘密特訓コースがこの「こたつトレセン」で、こたつ板を逆さにしてビロードのような面を上にする。これだと足元に負担がかからないうえ、こたつ板とこたつの間に物を挟めば、坂路コースも作れる。
 僕はコズミックドルシエをキャリーケースに入れると、チャリンコで中山さんちを目指す。馬の負担が少ない電気自動車がほしいが、高くて手が出ない。
 中山さんちには、すでに5~6名の幹事がきており、コース造りをしていた。公正をきすために、出走しない馬主が幹事となり、コース造りやレースの審議を行う。
「やあやあ、おたくの馬もなかなか良い気配ですなあ」
 伊元のヤロウがやって来た。イヤミなヤツだが、確かに強い馬を持っている。
「今日はウチのは走るだけですよ」
 武野のばあちゃんだ。一見優しそうな顔付きだが、これでなかなかのガンコ婆ァだ。
 いよいよレース開始だ。実況中継は杉本さんだ。なんかよくわからないが、昔そういう名字の実況アナがいたそうで、競馬の歴史にうるさい高橋さんが「お前でなければ駄目だ」といって杉本さんに押し付けた。当の杉本さんは口下手でまるっきり実況にはならないのだが、それはそれで味があると僕は気に入っている。
「えっと……。いよいよクラシックの第一弾が、そのう、始まって、いや幕が切って落とされたっていうほうが気が利いた言い方かな? うん。みなさんの夢を乗せて愛馬が走ります……。あっ、ねっ、この言い回しは有馬記念まで取っとけば良かったかなぁ……」
 杉本さんの迷調子の実況が始まり、僕らの緊張が否が応でも高まる。
 割り箸を組んだゲートから一斉にスタート……は、しない。なにせ騎手が乗っていないのだから。なかにはゲート付近で他の馬とじゃれあっている馬もいる。しかしそこはサラブレッドの遺伝子がそうさせるのか、大部分はきちんと走り出す。
 コズミックドルシエもきちんと走り出した。不思議なものだが、レースが始まるまでは、何としても勝ちたいという気持ちしかない。けれども、馬が走り出したとたんに、その勝ちたいという気持ちは消えてしまう。ただあるのは無事に故障せずにレースを終わって欲しいという想いだけだ。これが馬主スピリットというやつかもしれない。
 結果は弥生賞に続き四着だった。優勝は大和田さんのシムブレードだった。ただ気持ちが良かったのは、伊元のオリジンエターナルがブービーに敗れ、ダービーへの出走がなくなったことくらいか。
「四着もブービーも五十歩百歩ですな」
 相変わらず口が減らないヤロウだ。
「やっぱり騎手がいないと競馬にはなりませんやね。騎手が乗ればウチのが一番になるんでしょうが……」
 気に食わないやつだが、そこだけは同感だ。いや、もしも「スモールライト」が発売されれば、われわれは迷わずに買うに違いなかった――。


<『光栄ゲームパラダイスVol.8』(株式会社光栄発行/発行日1994年8月10日)>



今から15年前に書いた近未来小説です。まだミニチュア・サラブレッドは誕生していませんが、巨大魚などが実際に作られているので、2046年よりずっと前には哺乳類の大きさも簡単に変えられるでしょう。実際に行われるかは別として。電気自動車の実用化などはもう始まっていますね。いっぽうこたつが置かれた六畳一間のアパートに住み、居酒屋で楽しむという貧乏人の生活スタイルをそのままにしたのは意図的で、未来の暮らしというと洗練された最新技術の中で快適に暮らしているという発想が多いのですが、確かにお金持ちはそんな生活になっていくんでしょうが、貧乏人は50年たってもそんなに変わってないんじゃないの?って皮肉を込めました。残念ながら、こちらも当たりそうな予感がします(笑)。



はせべゆたか★星屑収集 (Stardust Collection)-ゲーパラ8

 日本史で大きな謎とされる年が1555年である。
 この年に全国的な規模で何かが起こったという記録はない。しかし、北は津軽為信から南は島津貴久に至るまで、全国四十名にも及ぶ大名が、一斉に天下盗りへ立ち上がったのである。
『信長公記』にも
「織田信長の夢はただひとつ
 天下統一!
 四十に及ぶ国を手中にした時
 天下は信長の物になるのだ!」
 という有名な書き出しが見られるが、この年が1555年であった。

 そして紀伊の大名、雑賀孫一も同じく天下を目指していた。


 1555年、各国は戦乱に包まれていた。すでに肥後の国の大名、阿蘇惟将が大友宗麟によって討ち滅ぼされ、また出雲に攻め入った大内義長は討ち死にし、家臣の陶晴賢が領地を継いでいた。だが孫一は思案に暮れていた。孫一に家臣はなく、兵もわずかに四千ほど。
 と、その時、物見に出した斥候から報告が入った。
「殿、伊勢の北畠具教が、美濃の斎藤道三に攻め込まれましたぞ」
 孫一の目標が決まった。敵、北畠の兵も同じく四千。戦闘に優れた紀伊の兵なら、よもや敗れる事はあるまい。
 予想通り、野戦は勝利を収めたものの、篭城されてしまい、伊勢を落とす事はできなかった。
 この年の暮れ、北畠との合戦で二千に減った兵を五千まで増強する。


 翌1556年、孫一は五千兵を率いて、再び伊勢へ攻め込んだ。これに対して北畠軍はわずか一千兵だったため奇襲に命運を賭けたが孫一に見破られて敗走。篭城するも城が陥落して討ち死にした。次に孫一は大和の筒井藤勝を攻めたが、篭城に遭い、ほとんど打撃を与えられなかった。
 他国の情勢では、浅井、朝倉から攻められ続けた山城の松永久秀が、ついに和泉の三好長慶によって攻め滅ぼされた。


 1557年になった。合戦の連続で、雑賀の軍資金が枯渇してくる。そのため、孫一は攻撃を一時中断して国造りに力を注いだ。その一方で、孫一は長期的な戦略を立てた。この乱世を生き残るのは、東は北条、西は島津というところか……。天下統一のためには、このいずれかを早めにたたかねばならぬ。
 そんな時、願っても無い使者がやって来た。北条家からの縁組の申し込みだ。
 (よし。当家はまず西へ進む)
 孫一はこの申し出を快く受諾した。


 1558年。一年掛けて行った国造りが成果をあげ、紀伊は40万石、伊勢は72万石まで石高があがった。孫一は百万石の大名となったのだ。
 が、この年の徴税で思わぬ事態が勃発した。伊勢の農民が一揆を起こしたのだ。
「殿様に、お天下様をとってもらいてえと、これまでガマンしてたが、もう限界だ」
「こう毎年毎年つらい年貢を掛けられちゃ、おらたちは餓死するしかねえだ」
 孫一は戦闘には長けた武将であったが、内政はからきし苦手だった。
「誰か、まつりごとに秀でた家臣を雇わねば……」
 これが目下の雑賀家の最大の課題となった。孫一は全国に物見を遣わせた。
「薩摩の国に、羽柴秀吉なる武将がおりました」
「但馬に細川幽斎殿がおられました」
 しかし、秀吉も幽斎も雑賀家への仕官を拒否してきた。どうも雑賀家は魅力に欠けるようだ。
 その時、
「下野の宇都宮家に明智光秀なる家臣がおりますが、どうも俸禄に不満を持っているようです」
 という報告が入る。
「よし。光秀を引き抜けい。俸禄は望み通り与えよ」
 最高額の俸禄を提示すると、明智光秀は雑賀家に仕えた。光秀の政治力はずば抜けて秀でていた。一揆が起きた伊勢の国を、わずか14金で元の国力に回復したのである。


 1559年。孫一と光秀が伊勢の城で軍議を開いていた。
 と、その時、
「と、殿! 筒井軍七千が紀伊へ攻め込んで参りました!」
「なんじゃと。小賢しい奴じゃ。空き家の紀伊を狙うとは。返り討ちにしてくれよう」
 孫一一万五千、光秀三千の兵を率いて紀伊へ戻る。
「殿、ここははさみ討ちが上策かと存じます。それがしが別働隊となりましょう」
 と進言して光秀が敵軍の後方へと回り込む。この作戦は大成功だった。筒井軍は一兵も残さずに打ち取られ、大将だけが辛くも退却した。
「殿、愚考つかまつりますが、ただいまの合戦において筒井軍は全兵を失いました。今大和へ攻め入れば、敵に反撃の術はございません」
「では一気に攻め込もうぞ」
「殿がご出陣する必要はございませぬ。この光秀一人で十分でございます」
 この年、明智光秀は合計三度、大和へ出兵した。兵が欠けた筒井藤勝は篭城して対抗したが、三度めの兵糧攻めでついに根を上げ、落城した。
 紀伊、伊勢、大和と畿内三国を領有した事で雑賀家の威信も上がったのか、この年、初めて向こうから仕官希望者が現れた。
「拙者、池田恒興と申します。どうか雑賀家の末席にお加えくだされ」
「光秀、いかがいたそう」
「池田殿なら申し分ありますまい。必ずや殿のお役に立つと存じます」


 1560年。雑賀軍は光秀を総大将、恒興を後詰めとして山城を攻めた。しかし和泉から三好の援軍が駆けつけ、一進一退の攻防の末、雑賀軍は敗れた。
「申し訳ござりませぬ。この光秀の不覚でございました。なんなりとご処断を」
「まあよい。確かに我が軍は五千兵を失ったが、三好も同じく五千兵を失ったではないか。そこを浅井長政に突かれて、山城は浅井家の領地となった。漁夫の利を得た浅井は小癪だが、いずれは浅井も討ち滅ぼす敵。しばらく山城を預けておくと思えば良いわ」
「恐悦至極に存じます。ところで本年も仕官希望者が参っております。母里友信にございます」
「母里友信? あまり聞かん名じゃが」
「通称母里太兵衛。あの豪傑、福島正則から名槍日本丸を飲み取った豪傑にございます」
「それは面白い。家臣としようぞ」
 こうして雑賀家の家臣は三人に増えた。


 1661年になった。この年の標的は、浅井との合戦で疲弊して和泉一国となった三好長慶だ。兵力に劣る三好が篭城してくるのは目に見えていたので、孫一は自ら出陣することなく、兵糧攻めが得意な光秀を総大将とした。三度の攻城戦の末、和泉は雑賀家の手に落ちた。
「殿、お慶びくだされ」
「和泉征圧、ご苦労であった」
「にはございませぬ。たった今、黒田如水殿が当家に仕官して参りました。黒田如水、いや黒田官兵衛孝高殿といえば、唐土(もろこし)の諸葛孔明にも劣らぬと高名の天才軍師でございます」


 1662年。黒田如水は評判通りの武士(もののふ)であった。光秀と共に四国へ出兵すると、見る見るうちに讃岐の十合氏と伊予の河野氏を滅ぼした。畿内は孫一が固めていたが、浅井長政、斎藤道三らに攻め込まれて苦戦続きだった。


 1663年。四国攻めから黒田如水が畿内に戻ってきた。
「讃岐、伊予の征圧、ご苦労であった」
 と孫一がねぎらう。
「しかし、その間、浅井、斎藤が当家に攻め込んできたご様子。敵二つは多うございます。いずれかを叩いておかねば、畿内の守りは危のうございます」
「じゃが浅井も斎藤も攻め滅ぼすには力が大き過ぎよう」
「それがしに策がございます。本年中に、浅井親子の首を取ってご覧に入れます」
 黒田如水は、その言葉通りにその年の暮れ、浅井家を滅ぼした。
「浅井といえば山城、近江と二国を所有していたはず。いかにして一年で二国を盗ったのじゃ?」
 孫一が如水に尋ねる。
「まずは山城に寡兵にて攻め入りました。すると敵は野戦に打って出たので、これを撃破して近江に退却させました。次に山城に攻め入った際も野戦になったので、ここで敵の兵力を無にして退却させ、山城の空城を落城寸前まで攻めて退却いたしました。そして次に山城へ攻め込むと、敵は兵力が無いにもかかわらず、山城の国惜しさか、落城寸前の城に立て篭もったのでございます。ここで山城の城を落として浅井長政を討ち死にさせましたので、近江も無傷で当家の領地になりもうした」
 孫一は舌を巻いた。噂以上の天才軍師だ。この漢を敵に回さなくて良かったと痛感した。


 1664年。山城を手中に収めたことで、雑賀家は朝廷を動かして自由に官位を与えることができるようになった。孫一自身は大納言の官位を受けた。四国に残った長宗我部にも官位を与えて従属させた。また九州の龍造寺も従えて、いよいよ西の敵は九州、中国に勢力を伸ばす島津家ただひとつとなった。
 薩摩隼人の島津軍は手強い敵だった。1665年、1666年と進軍を繰り返すが、なかなか滅亡までには至らない。雑賀軍が薩摩まで達したのは1567年のことだった。


 こうして1668年には九州、四国、中国、近畿の西側を所領とした雑賀家だったが、この頃になると東国でも大名の優勝劣敗が明らかになっていた。
「西国の憂いはなくなった。次は東へ攻め入ろうぞ」
 孫一はいきり立っていた。それを光秀が制止する。
「お待ちくだされ、殿。確かに西国に雑賀の旗は立ちもうした。されど、相次ぐ戦闘にて土地は枯れ果て、農民は疲弊し、年貢がほとんど入って参りませぬ。このままでは、たとえ領地は有っても無きに等しうございます。ここは一度、侵攻の手を休め、石高回復に力を注ぐべきと考えます」
 光秀の進言に従い、前線の山城、伊勢を孫一、友信の兵が守り、光秀、如水、恒興は四国、中国、九州に散って内政に専念した。が激戦の爪痕は大きく、荒廃した領地を復興するには三年の月日を要した。

 石高が回復したためか、雑賀家の威信は更に上昇したようだった。但馬の波多野、摂津の本願寺などの大名が続々と降伏勧告に応じ出した。


「美濃の斎藤は度重なる迎撃戦の結果、攻め込む力を失っております。この期に乗じて、越前の朝倉、能登の畠山と北陸道を攻め進んで参りましょう。さすれば強敵は越後の上杉と甲斐の武田のみにございます。幸い当家は、関東の北条家とは同盟関係にあります。北条を盾とすれば、上杉、武田とも互角に戦えましょう。

 西の強豪・島津に比べれば、朝倉、畠山はさほど恐れる敵ではなかった。雑賀家の圧倒的な兵力の前では、強風に吹かれた木の葉のようにあえなく散った。こうして国力をさらに高めた結果、斎藤と並び伊勢を脅かす勢力だった織田家もついに雑賀家に降伏した。
「殿、織田信長殿が参られましたぞ」
「織田信長にございます。拙者も一度は天下を夢見た身。雑賀殿の家臣に加わったからには、必ず殿に天下が渡るよう尽力致します」
 尾張から伊勢を攻められる危険が排除されると、雑賀軍は美濃へ攻め入り、長年に渡って苦しめられ続けて来た宿敵斎藤道三をついに攻め滅ぼした。

 こうして順風満帆に勢力を伸ばして来た雑賀家だったが、計算外の出来事が起きた。次に攻める予定だった上杉謙信が北条氏康によって攻め滅ぼされてしまったのだ。 


 雑賀家の戦略では上杉を滅ぼして越後を奪ったのちは奥州を平定するはずだった。しかし北条によって奥州への進路が塞がれてしまったのだ。
 さっそく軍儀が開かれた。
「上杉家との激闘で北条家は疲弊しており、越後の城はまだ改修されておりません。同盟を破ってでも北条を討つ千載一遇の好機かと存じます」
「わざわざ同盟を破棄するのは下策。今は北条を盾に使い続けて、武田家と決戦するべき時にございます」
 武田信玄は甲斐、北信濃、駿河、三河の四国を有する大名だ。所領では比較にならないが、家臣が強者揃いである。事実、敵の倍の兵力で挑んだが手痛い敗北を喫したこともある。
「殿、いかがなされまするか」
「うむ。たとえ関東、奥州を平定したところで、武田信玄が当家に降伏する大名とは思えぬ。どのみち戦わねばならぬ相手じゃ。ならば武田を討つ!」
 雑賀軍は総攻撃を決意した。全国に散っていた全将を美濃に結集して北信濃へと攻め込んだ。対する敵も全将にて迎撃してきた。兵力では大きく勝る雑賀軍であったが、戦国最強と異名を取る武田騎馬隊の抵抗はすさまじく、なかなか攻城戦まで持ち込めなかった。


 と、そんな時だ。
「殿、北条氏康が当家との同盟を破り、能登を攻め落としました」
 なんと全武将が美濃に集結していたため、空き家となった能登が簡単に落とされてしまったのだ。
「おのれ氏康め。盟約を反故にするとは卑怯なり」
 孫一は地団駄を踏んだ。そこへ如水が耳打ちする。
「殿、これはむしろ好機にございます。向こうから同盟を破ったのですから、こちらからも堂々と北条領へ攻め込めます。能登を奪還し、さらに越後を奪えば、二方から武田を攻められます。
 度重なる野戦で雑賀軍は大きな打撃を受けたが、それは武田も同様だった。しかも石高で大きく劣る武田家は雑賀家ほど素早く兵を増強することができなかった。武田家のほうから雑賀領へ攻め込んでくる心配は少なかったので、雑賀軍は主力部隊を加賀へ移動させて能登へ攻め入った。関東に本体を置く北条は、能登の防備が手薄だった。雑賀軍はたちまち能登を奪還し、そのまま越後まで奪い取った。
 そして兵力を二手に分けると、尾張からは三河を、越後からは北信濃を攻めた。この戦略によって武田の迎撃兵力は北と南に二分され、さしもの戦国最強騎馬軍団も威力を十分に発揮することができなくなった。
北信濃、三河を攻め落とされた武田信玄は、次に北信濃からは甲斐を、三河からは駿河を攻められて、ついに歴史からその名を消した。


 孫一旗揚げからすでに二十年が経過しようとしていた。
「それにしても、あの武田信玄を攻め滅ぼせようとは、夢にも思わなんだ事よ」
「殿、いよいよ天下統一の仕上げにございます。次は同盟を反故にした北条攻めです」
 北条家の家臣は武田家ほど強者ではなかったが、居城の小田原城は難攻不落の要塞だった。ここに一度立て篭もられると、びくともしなかった。


「あの城,なんとかならぬものか」
 孫一は思案に暮れていた。
「では敵を誘い出しましょう」
 如水が言った。
「下野を囮に差し出します。わざと下野の守りを手薄にし、北条に攻め込ませまする。北条が攻めてきたら、すかさず退却。その後、上野、上総を落とせば敵軍は南北に分断されて武蔵へは逃げ帰れません」
 如水の策は当たった。下野を相手に盗らせる事で、北条軍は北関東に展開し、その領地を南北に分断されると南領は蛻の殻となった。さしもの小田原城も武将が一人も立て篭もっていない状態ではなんとも脆く、雑賀家の力攻めで落城した。


 1580年に関東を平定した雑賀孫一は、いよいよ奥州へ攻め入った。
 奥州を平定していたのは出羽の最上義光だった。さしもの奥州の覇者も、関東以南を平定していた雑賀軍の敵ではなかった。各地の合戦では成す術も無く敗れ続け、ついには出羽の地で勝敗が決した。


 1581年、雑賀孫一によって天下は統一された。
 戦国と呼ばれた時代は、ここに幕を閉じた。
 二年後、孫一は朝廷より征夷大将軍を賜り、
 以後、雑賀幕府は346年の長きに渡って日本を支配していくのである。


「不如帰」(発売日1988年8月19日/発売メーカー・アイレム)


<『マル勝ファミコン』1990年1月26日号に”わずかに”掲載/発行・角川書店>



初めて書いた歴史SLGのリプレイです。歴史SLGといえば、やっぱり光栄(現・コーエー)が名作を数多送り出していますが、ファミコンの『不如帰』は隠れた名作歴史SLGと高く評価しています。『信長の野望』で鈴木家でプレーすることは殆ど無いんですが、『不如帰』の雑賀家は結構やり込みましたねえ……。名前でしょうか、それとも顔グラでしょうか(笑)。



はせべゆたか★星屑収集 (Stardust Collection)-マル勝表紙