白いキャンバス
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6月23日、晴れ。

62年前のこの日
第32軍司令官 牛島満中将と長勇高級参謀が
この平和祈念公園のある摩文仁の丘で自決をし、事実上の沖縄戦が終結したと言われています。

牛島司令官は自決する際、
「最後の一人になるまで戦いをやめるな」
と言い残し、捕虜になることもできず、
民間人の犠牲者はこの後もどんどん増え続けました。

牛島司令官と硫黄島の栗林中将の一番大きな差は
「民間人を巻き込んだこと」。

沖縄上陸時アメリカ軍48万人
沖縄県人口45万人。

人々がひしめきあい、逃げまどい、激しくも醜い

「この世の地獄をすべて集めたような」
と言わしめた戦争が
この小さな島で62年前に起こりました。

沖縄県人の戦死者は、16万人とも言われています。
いまだに遺骨も見つかっていない行方不明者、多数。

アメリカも朝鮮も日本も関係なく
沖縄戦で亡くなった、そのすべての御霊を慰める日
それが6月23日
慰霊の日。

ようやく一般公開がはじまった、
ひめゆり学徒隊の勤務した「南風原陸軍病院壕」を見学した後、一路摩文仁へ。

いつもなら閑散としている、摩文仁への道も今日は大渋滞。
車は全然動かない。

近隣の臨時駐車場からバスで摩文仁へ。

しかしバスは一向に来ない
来ない

来ない。


汗が吹き出し、背中を流れる。


梅雨明けし、元気を取り戻した沖縄のてぃーだが容赦なくワタシを照りつける。

待つこと1時間。

たった1時間の間に、私の肌は見事に赤くなり、時計の跡がしっかりとついた。
日焼け止め塗ったのに。
SPF50+++なのに。


62年前の今日も、恐らく梅雨は明けていた。


たった1時間でねをあげた私。


どんなにしんどかったんだろう。
追い詰められ、海に身を投げる人
手榴弾で自決する人、
アメリカーから辱めを受け、殺されるぐらいなら…と
家族で殺し合う人
親を殺した人
子供を殺した人。


「泣き声がうるさいとアメリカ軍にバレるから」と日本軍に強要され、生まれたばかりの我が子の首を
「この手」で泣きながら締める人。

餓死した人。
離島に集められ、マラリヤで亡くなった人。
肉弾戦と称し、爆弾を抱えて突っ込んで行く少年。


暑く蒸し蒸ししたガマの中で
息を殺し、
頭の上をアメリカ軍の戦車が通り過ぎるのを聞いていた人
ガマの中で馬乗り攻撃にあった人。


書き切れないほどの「地獄」がそこにあった。

この暑さの中、追い詰められみんな亡くなっていった。
日本本土の決戦に備えるための時間稼ぎとして。


こんな沖縄を知っている今、
「青い空と碧い海」だけを求めて沖縄には来れない。


バスの中で、年輩の方に声をかけられた。

その人はもう一人、おじぃと一緒だった。


当時小学生だったそのおじぃは
やんばるに身を隠し
そこでおばぁを餓死で亡くした。


そのおじぃは一言もしゃべらなかった。


辺野古にまた新しい基地ができる。
自衛隊が毎日わんさかやって来てる。

「日本軍が毎日来るのが怖くて怖くてしょうがない」
もう一人が言う。

この人の中で、まだ戦争は終わってないと感じた。

教科書問題の件。
「日本軍の強制による集団自決はなかった」
そう、日本政府は結論づけた。

一部では、暗いガマの中
「3歳以下の子供はみんな集めよ」
そう言われ儚い命の火が消えていった。

「方言を話す者は“スパイ”と見なし罰する」
方言しか話せないおじぃ、おばぁはどうすればよかったのだろう?
捕虜になろうとガマを出て行く人に、後ろから銃を向ける日本軍。

「生きて虜囚の辱めをうけず」


そう言って手榴弾を民間人に渡した時点で
強制にはならなかったのだろうか。
「無言の強制」

頼むよ、安倍さん。
「美しい日本」とは、美しく見せるために、日本にとってまずいモノを隠すことですか?

その人は言った。
「嘘は言っていないかもしれない。けれど真実を伝えてはいない」


結局、渋滞のため黙祷には間に合わなかった。
総理に生卵ぶつけようと思ってたのに。


でも貴重な言葉が聞けて良かった。


微力だけど、ホントに微力だけど。
これから私たちがこの事実を伝えていかないといけない。
決して風化させないように。


摩文仁の丘は人々でごった返していた。
こんなにもまだ、いる。
この人達と全員で伝えていければまだ何とかなるかもしれない。




今日も摩文仁の海は青い。