$harunoのブログCD神との対話 映画版 [DVD]
¥ 3,675 通常配送無料


【 amazon.com レビュー引用 】
アメリカで数年前に公開されていたが日本語版がなかなかでないので「スピリチャル分野での日本のニーズはそんなにないのか・・」と諦めていた。が、おそらく日本の有志の方々の尽力なのであろう,日本語版が発売となった。内容は、「神との対話」の中身のストーリではなくニール本人の物語。原作では所々,対話の中に出てくる程度なのでこの映画を観ることでニール本人の物語がすっきり分かる。講演会なのでニール本人にお会いしたことは数回あるが映画で主演されている方はかなり似ているし,その意味で違和感はないです。ただ、原作をこの映画をどの程度楽しめるかは疑問。映画から入って原作へ原作から入って映画へといった両方の流れがあるが後者向きの映画だ。

目↓( 神との対話 DVD )


wikipedia 引用

神との対話
ニール・ドナルド・ウォルシュ(Neale Donald Walsh)著作

原著は英文(英文タイトルは、Conversations with God)である。
1998年時点で24か国語に翻訳され、何カ月も続けて国際的にベストセラー・リストに登場した。
日本語訳は、吉田利子によるもので、サンマーク出版から、
第1部が1997年に、第2部が1998年、第3部が1999年にそれぞれ発刊されている。

さらに、ニール・ドナルド・ウォルシュは、
続編として「神との友情」(Friendship with God)2部作を 2000年に、
「神とひとつになること」(Communion with God)を 2001年、
「新しき啓示」(The New Revelations)を 2003年、
「明日の神」(Tomorrow's God)を 2006年に執筆出版し、
2007年に出版された「神へ帰る」(Home with God)で、神との対話シリーズを完結させている。

また、ニール・ドナルド・ウォルシュは、
これらのシリーズに共通する「ただひとつであるわたしたち(ワンネス)」という概念を広めるため、
2003年にヒューマニティ・チームを創設した。
ヒューマニティ・チームは、2010年に「ワンネスの日」制定のための署名運動を世界規模で行い、
168カ国から寄せられた5万人の署名を国連へ提出した。



【 沿 革 】

■ 著者ウォルシュの生い立ち

著者は、小学生時代、神父のような聖職者になることが夢だった。
それは父親の反対でかなうことなく、マスコミ関係の仕事を手始めに、
医学、政治などいろいろなことを経験している。
私生活では、複数回の離婚を経験し、時にはホームレスの生活をしたこともある。
まさに聖職者からホームレスというありとあらゆることを経験し、波乱万丈の人生を送っている。
彼は、『神との対話』をおこなって、
「自分の人生は、今のためにあったと気付いた」と述懐している。



■ 『神との対話』が始まったいきさつ

著者は、1992年のある日、行き詰まった人生に憤怒し、
テーブルに置いてあったノートに怒りや失望の思いを、神に当てて書きなぐった。
書き終えてしばらくすると、自分のペンを持つ手が、何者かの力に拘束され、
神の言葉が、自動的にノートに書き始められた。
それは、「まるで口述筆記をしているようだった」と著者は述べている。
彼の質問に、神が答えるという対話形式で書かれている。



$harunoのブログ本神との対話―宇宙をみつける自分をみつける
(サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)
¥ 730 通常配送無料


【 amazon.com レビュー引用 】
本のタイトルどおり、神様との筆者との質疑応答が書かれている。タイトルを読んだだけでなんとなく敬遠したい気分になったが、やはり、「神」とはどんなものか、嘘なら嘘でどんな風に描写するのかずっと気になっていた。宗教にはまるのもなんとなくイヤだったので初めから没頭せずに、寝る前にパラパラと頁をめくって開いたところを読む、という方法で読んでみた。頭では「そういう考えをすればいいのか」とか「なるほど」と思うことが多く書かれていて、そのうち、神様が答えている言葉が心に残るようになっていった。「良い悪いを決めているのはあなた方だ」という答えが胸に刺さった。良い悪い、正しい、間違っていると判断を下すことは自分の幅も削っていることを痛烈に感じさせる。物事の受け止め方や、見解を大きく捕らえることを教えてくれる。なかなかすごい本だ。

目↓( ニール・ドナルド・ウォルシュ~「神さまの言葉:その通り!」 )


【 概 要 】

■ 神の宇宙創造

神の宇宙創造は、すべての根源である神が、自らの性質(神性)を体験するために、
自分の姿に似せて被造世界を創造した。
「存在のすべて」である神は、絶対の存在であるため、概念としての知識はあったが、
体験としての知識はなかった。
そこで、相対的な世界、すなわち被造世界を創造し、体験的に、
あるいは実感的に、自らの神性を知ろうとした。
被造世界は、物質的世界と、霊的世界からなっている。



■ 魂の創造

神は、神自身の性質と能力を分与した魂を創造した。
魂は、宇宙創造の時に、決められた数だけ創造されている。
神の分身である魂が、物質的世界の人間に宿ることにより、いろいろな体験をする。
人間は、魂-精神-身体という3層になっている。
魂自身が自らを体験的に知ることによって、神自身も自らを体験的に知ることができる。



■ 人間の創造と人間の構成要素

人間は、魂の乗り物として、創造された。
人間は、魂、精神、身体からなっている。
魂は、神の分霊として個別性をもちながらも、全てがつながっている。



■ 人生

魂には、無数の神性が、概念としての知識として付与されている。
人生は、魂が、その宿った人間の生活活動を通して、神性を実体験して、
体験としての知識に変えていく過程である。
すなわち、現実の生活に起こるさまざまな出来事をツール(道具)として、
人間が考え行動することによって、概念としての神性を体験して、体験としての知識を体得していく。
人間関係は、自分と他人との関係性の中で、自分自身を表現し、
経験することのできる重要な場である。
人間関係の目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、
本当の自分になっていくことである。



■ 生と死

『神との対話』でいう「生命」は、ほぼ、「魂」と同じニュアンスで使われている。
死は、魂が宿った身体から、離れる時をいう。
しかし、本来の自己とは、魂そのものであるから、
人間の身体の死はあっても、生命(すなわち魂)は死ぬこと(失われること)はない。
ただ、形を変えるだけなのである。
死後、魂は霊的世界に入る。
そして魂の成長が未完成の時、魂自身の希望により再び物質的世界に戻って、
別の人間に宿り、未体験、未完成な部分を、新しい人生の体験を通して成長、完成させていく。



■ 前世・現世・来世

魂は、自己を完成させるために、現在の人生(現世)を通じて神性を体験するが、
その人間の個体で、体験できる内容が尽きると、身体から離れて(死)、霊的世界(来世)に行く。
そして、さらに神性の新しい体験を希望・意図したときに、
再び現世に戻って、別の人間に宿る(輪廻)。
魂には、前世の全ての体験が、記憶されている。



■ 地獄

既存の宗教がいう地獄はない。
地獄は存在するものではなく、自分自身が創り出し、自分自身が体験するものだ。
成長の低いレベルの魂は、自ら低いレベルの現実を創り出す。
その最低のレベルが、地獄なのである。



$harunoのブログCD神との対話 映画版 + ニール・ドナルド・ウォルシュとの対話
DVD2枚組 Deluxe Box
¥ 5,775 通常配送無料


【 amazon.com レビュー引用 】
以前、「神との対話」など著者の本を読んだので購入しました。正直、本の映画化には期待していませんでした。しかし、この映画は思っていたものとはまったく違っていました。まず、「神との対話」は本の内容とは違って著者のニール氏のことが中心に描かれています。どの様にして本が書かれたか、著書にも記してはありましたがより深く知る事ができますし、映像も構成も素晴らしいので映画としても素晴らしかったです。もう一方の「ニール・ドナルド・ウォルシュとの対話」はニール氏が実際に聞こえた神の声の話が中心にインタビュアーと対談形式で構成されています。こちらを「神との対話」というタイトルにしてもいいような気がします。内容はとても深いです。受け取り方は人それぞれだと思いますがきっと、見る人に一番最善の形でメッセージが届くと思います。

目↓( 神との対話 「ニール・ドナルド・ウォルシュとの対話」DVD 日本語版 )


【 『神との対話』の内容とキリスト教教理の相違点 】

■ 堕落と原罪

キリスト教では、人間の始祖である、アダム(男)とエバ(女)が、
エデンの園で、神から取って食べてはならないと言われた、
善悪を知る木の実を、ヘビの誘惑によって、食べるという罪を犯し、
堕落したため、それ以後の子孫は、生まれながらに原罪を負って、生まれている、と説く。
ヘビも堕落して悪魔となった。
『神との対話』では、エデンの園の神話の本質は、神の最初の祝福を、表現していると説く。
人間は魂の乗り物として、人生で神性を体験していく。
魂の宿った最初の人間は、相対的世界で、ゼロから神性の体験を始める。
善悪を知る木の実を食べたということは、相対的世界の体験を、
人間が始めたという祝福すべき船出を意味している。
人間に原罪はなく、悪魔は存在しない。



■ キリストと救済

キリスト教では、原罪を生まれながらに持っている人間を救済するために、
神から、イエスキリストが遣わされた。
イエスキリストは、罪人(人類すべて)の罪を、自らが背負って、
十字架上で亡くなり、3日目に復活した。
そのイエスキリストを、信じることによって、人間は原罪から解放され、
神に許される、というのが、キリスト教の救済論である。
『神との対話』では、神は絶えず、魂を通して、自然を通して、
多くのマスター(師)を通して、人間を導いているという。
マスターとは、輪廻を繰り返して、神性を体得し、
悟りのレベルに到達した、魂(の宿った人間)をいう。
イエスキリストは、マスター(師)のうちでも、最高のマスターの一人であるといっている。
そして、イエスキリストを信じて求める者には、今も霊的に、導いているといっている。



■ 輪廻と地獄

一般的なキリスト教では、輪廻は、説いていない。
人間は、死ねば、霊界に行き、その人間の生き方の良否によって、
それぞれ、天国、地獄、煉獄(天国と地獄の中間)に、行く。
大罪を犯し、イエスキリストによる贖罪(罪のあがない)を受けなければ、
地獄に行くと、教えている。
『神との対話』では、輪廻を説いている。
現世で神性を体験した魂は、死んで来世に行く。
その魂が、さらなる神性の体験を希望した時、現世に戻ってくる。
これを繰り返す(輪廻)といっている。
『神との対話』では、地獄は、存在しているものではなく、
来世において、魂の最低の成長レベルによって、
自ら創り出し、経験するものだと、いっている。



■ 選民と宗教

旧約聖書には、人間始祖のアダムとエバ以後、その子孫が増えて、
ユダヤ民族となり、堕落によって追放されたエデンの園に、再び帰っていく歴史が書かれている。
ユダヤ民族は、神の国を建設するべく、神に選ばれた民族で、それを選民といっている。
『神との対話』では、旧約聖書は、一民族での歴史的物語で、
人間始祖は、地球上の複数の地で誕生しているといっている。
そして、神にとって特別な民族というものは無く、
すべての人間、民族が、神にとっては、神の分身という特別な存在であり、
神性を体験する道を、等しく歩んでいるという。
宗教はどの宗教も、神に至る道を教えているといっている。
しかも、どの宗教にも優劣はなく、すべての宗教が、
神に至る道を示す、一つの教えだといっている。



目↓( 2pac feat. Linkin Park - Nothing 2 Lose )


※エンディングテーマ的な感じで観てください。



2PAC = ドンッドンッ



ペタしてね 読者登録してね アメンバー募集中

   

■ harunoのブログは、毎週 月・木 曜日に更新します。
■ harunoのルームは キラキラコチラキラキラ
本 関連記事だから結構使える Google Ads 本
コンビニ ほりだしもの商品 コンビニは、商品写真にポインターを合わせると、レビューが読めます。



ダウン人気ブログランキングポティっ!とお願いします!
人気ブログランキングへ

ダウンFC2ブログランキングポティっ!とお願いします!