手術は9時間を超える大変なものでした。
たった1.2㎝の小さな腫瘍で こんなに大きな手術をうけて 大きな傷が残るなんて思ってもいませんでした。
でも、生きていられるんですもの それだけで幸せなこと ですよね。
手術は まず腫瘍がある後頭部を 腫瘍を含めた広範囲に切り捨てます。次に、頭がい骨を丸く切り取り とった頭がい骨を煮沸してから元の場所にはめなおし、チタンの金具で留めます。その後、後頭部の棄てた部分をあてがう為に とった背中の皮膚と筋肉を血管を繋げたままで ぐるっと回して後頭部へつけるというものでした。
手術室から出てきた私はICUへ。。。
家族と、そこで一度 対面しました。
その前に家族は ホルマリン漬けのとった後頭部を見せられたようで。。。息子はあまりの衝撃に吐きそうになっていたとか。。。息子よ させなくていい経験ばかりさせて 本当にごめんね(>_<)
対面の時、私は 妹の名前を呼ぶのが精一杯でした。
皆の顔がうっすら見えました。目が悪いからぼんやりだったけど 妹が泣いてくれてるのはわかりました。確か、『よく頑張ったね。。。』と言ってくれたかな? 『息子も かぁちゃん!大丈夫?』と心配そうに声をかけてくれました。。。苦しくて返事はできなかったけど 皆に会えて安心したし嬉しかったな。
でも、義理両親には 本当は来てもらいたくなく 会いたくもなかったので無視したのは覚えてます。。。苦笑
後で聞いたら、手術が終わった私は もう別人のようで 顔も腫れているし元に戻れないよね。歩けないかもと。家族みんなが思ったほど酷かったらしい。。。 今は、よくここまで戻れたよねって言われてます。
そこから 3週間寝たきりになりました。管に繋がれ TVから流れる音を聞きながら 空を見るだけの日々でした。息子や母、妹家族や 妹が見舞いに来てくれるのが 楽しみだったし力になりました。
初めの 1週間は母や妹達が順番に 病院へ泊まってくれたので 死への恐怖心や孤独感を感じることも少なく済んだと思います。ありがとう。
本当に感謝しかありません。 妹はいつでも寄り添い力になってくれてます。
妹の子 。姪っ子ちゃんも毎回 お見舞いに来てくれました。小さな手で『痛いの良くなるといいね』と 一生懸命、なでなでしてくれました。絵を書いて持って来てくれたりね。でも 私の病室にあったチワワのぬいぐるみを可愛いから ちょうだいと持って帰ったりしてたけど。。。(笑)
そこもまた 可愛いでしょ(*^^*) 癒されてました。
息子はちょうど思春期で(今もだけど) 言葉で何か言ってくれることは少なかったけど。
妹の家で 弱音も言わず普通に過ごしていてくれたようで 安心しました。 きっと息子も辛かったよね。心配もしていただろうし。よく頑張って乗り切ったなって思います。
そして退院する3日前にようやく『滑膜肉腫』という病名が確定しました。
腫瘍をとった後頭部は、背中のお肉が 付いているので禿げています。背中の半分はえぐれた 大きい傷が残りました。そこは今でも触ると痛くて、突っぱり 皮膚がよわく固く感じます。
後頭部は感覚が鈍くて初めのころは 麻酔がかかっているようなボワンとした感じでした。今は 痺れるような感じが続いていて たまにチクッと痛みも感じます。
最近は 首が突っぱり貼り付くような症状があり 左手の 痛みと痺れが酷いです。
けど 生きています。
そして、がんサバイバー2年生になりました。
滑膜肉腫が 治ったと言える日は来ません。
何年、何十年経っても 再発、転移の可能性があるからです。
それは、他の がんも同じだと思います。皆さんそれぞれ、精一杯に今を生きています!!
だから 私も後悔のないように 言いたいこと、やりたい事は我慢しないと決めました。笑顔でいられるようにね。
次の定期健診は 8月の終わりです。
それをクリア出来たら 本当に2年生になったと言えそうです(*^^*)
8月の健診、無事にクリア 出来ますように♪♪♪