奥さんの 屁理屈 | harukoの ほぼ岡村靖幸さん ブログ

奥さんの 屁理屈

少し前に友人と中野ブロードウェイに遊びに行きました。

一日中、いられますね。

前から興味があるもの、新しく知るもの、よくわからないもの。ビックリするもの。

大人のおもちゃ箱。


人生で二回目の中野ブロードウェイ探訪でした。

一度目は去年の初夏。

そうとうカオスな状態で色々なものがあることを知らず、大失敗。

京都に住んでいる妹と香港に遊びに行った帰りに探訪したのですが、ああいう所にはソレ相応の格好で挑まないといけないですね。

旅先で買ったばかりのクラッチ・バッグとピンヒールを満喫したいばっかりに場所柄もわきまえず大失敗。

欲しいものを時間をかけてじっくり探せないし、入れるものないから大物に挑めないしでサンザン。

まあ、でっかいトランクなどを持っていたわけではないので、人様に迷惑をかける格好でいかなかっただけが、せめてもの救い。

あんなに狭くて濃いなんて、知らなかったよう。



スニーカーに手ぶらが一番と知った二度目は、満喫でした。

あらかじめ、あったら嬉しいなあって思っているものをイメージして行くといいのかなあ、と。

あったらいいなあ、は

・写真集 稲越功一 「男の肖像」

・アンクルトリスの爪楊枝入れ

・児童書 「こちらマガーク探偵団」

・ザ・シンプソンズのフィギュア クイッキーマートのインド訛りのおっさん

・リカちゃん人形の自作ドレスの型紙本

・小林信彦 「60年代日記」

・井原高忠 「元祖テレビ屋大奮戦!」



そして、大本命は一度目の探訪の時にはその存在すら知らなかった岡村靖幸さん。

岡村靖幸さん関連の何かが載っている雑誌とかムック本。


と、いいますのも。

以前も書きましたが、関東に住み始めたばかりで、岡村靖幸さんを知ったばかりなので一人遊びしか出来ない。

と、いうことは、当時の勢い、雰囲気、空気、生を知ることが不可能。伝聞も不可能。


現代文明のありがたさか恐ろしさか、DVD以外にもインターネットを通じて色々な映像を見ることはできますが、それも「岡村靖幸さんが映っている」のを見るだけ。

なんと言うか、見る側の、受け取る側の当時の、時代の空気がまったくわからないのですね。

映像の中に少し、ギャラリーが映ることもありますが。

とても幸せそうに。


その点、雑誌やムック本だと、その人のみではない空気の塊を、しかも「映す」「写す」だけではなく、「書く」ゆえに、書く側の主観を含んだ空気が出るというか。

岡村靖幸さんがいたある時代時期の、彼以外のものたち。状況。

湿度というか、空気感?



下手な例えですが、わがオットが愛読する「月刊エアライン」。

harukoにとって、記事はそのほとんどが意味不明の単語の羅列と、どう捕らえていいのかわからない写真の連続。

でも、ちょっとしたところで、その空気感、盛り上がり、(良い意味での)お約束を読み取ることが出来たりします。

航空ファンの素人カメラマンが投稿する写真と本人のコメント、それに対する編集側からの評価とアドバイス。

「売ります買います探してます」みたいなコーナーの「将来パイロットになりたい中学2年生です。航空無線の聴ける○○、安く譲ってくれる方いませんか」とか「整備士を目指して勉強中です。色々悩んでいることにヒントをくれる方と文通希望」とか。


もし私が生まれて初めて飛行機に乗ったとして、物凄く衝撃的な経験をしたとして。

それ以降、そうそう簡単に飛行機に乗る機会もないし、身の回りに飛行機はもちろんの事それを乗りこなしている人もいなかったとしたら。

飛んでいる飛行機が沢山出てくるDVDをずっと見ているのも幸せだけど、動かない活字で書かれた上記のようなものに触れることでなお、その興奮を共有できる。

共有できる、ような気がする。

より、幸せになる。


人間の想像力の、なんという素晴らしさよ。



岡村靖幸さんのインタビューや広告が載っている雑誌の、それ以外のページ。

ほかのミュージシャンやアーティストのインタビューや広告、読者参加のページ。

グラビアのデザイン、なにより記事の言葉遣い。

そういうものを、追体験にすぎないにせよ、共有したくて。




「私、最近になって岡村靖幸っていう人を知ってさ。夢中なんだけど知ってる?」

「ああ、石野卓球とアルバム出してた人でしょう。一曲だけ聞いたことあるわ。」

そんなことを同行の友人と話しながら、中野ブロードウェイ内をうろうろ。


すると、その友人が

「あなたって、自分が知らないものを好きになるよね」


・・・?

へ?

「いえね、自分より前の物というか。今日探しているって言ってたものだって、結局自分が本当に生で知っているものではないわけでしょう?」


ああ、そういう意味ね。

「そうだねえ、前も話したけど小学生のときは江戸川乱歩と『千石イエス』とか『中ピ連』とか言ってる古いアサヒグラフと、山藤章二のブラックアングルに夢中だったしね。中学生のときは森村誠一とザ・バンドとサルバドール・ダリに夢中だったわ」


「でしょう?でも、それってharukoがちゃんと生で知っているものではないじゃない?だから、未知のものを懐古しているような、変な感じだよね」


「別に現代を軽く見て、過去の確立しているものに淫しているわけではないよ?メジャー嫌いでもないし。

当時、光GENJIのカセットテープ持ってたし、MICHIKO LONDONのパーカー着てたし、ニルヴァーナのコピーバンドのライブに行ったし、桐野夏生の新刊買ったしさ」


「でも比重は圧倒的にちがうでしょう?そういうものを好きになるのって、本物ではないような気がするなあ。

オンタイムを知らないわけだしさ」


「・・・。確かに『当時』を知る方法はあっても、体験実感するのはムリねえ」


「でしょう?なんか、納得できない感じなんだよね。それって、本当に楽しい、面白い、素敵、って思ってすきになってんの?」


!なんてこったい!


ビックリ。

大ビックリ。

なにがって、そんな考え方をしたことが今まで一度も無かったからでした。

人って面白い。


でもちょっと、ムッとしちゃう。

「じゃあ貴方、コルセット着けたことも8頭馬車に乗って社交界デビューしたこともない今の人はモーツアルトを真に評価できているはずがないってこと?蹴鞠も牛車で通い婚もしたことない人は源氏物語について語るなってこと?ブロンクスで育ったこともなければ生で銃声を聞いた事も無い人はヒップホップで踊るなってこと?」


「あのねえ、それは屁理屈でしょう」


へ?へりくつ!

「『口だって穴のうち』でしょう?屁理屈だってリクツのうちだもん」


「・・・いや、最後の一つはそう思う。前の二つは、なんというか・・・熟成されているし、枯れてるから別に問題ないというか。んー。経年的な問題?」



なんだそりゃ。ワインか。

フレッシュ、ライブ以外はしばらく待てってこと?

文化も寝かせる必要があったりするんか。

メディチ家や王朝や内乱や景気変動や全共闘は「当たり年」か。


「同時体験していないことでも、素敵なものを初めて知って衝撃を受けることはあるもん。好きになることは普通のことだもん」


「そうかねえ」




あれから少し経ち。

最近よく目耳にするのが、例のスノーボード選手の話。

やれ、服装の乱れだの。やれ、言葉遣いだの。

そして、ふと思い出しました。

友人の、

「あなたって、自分が知らないものを好きになるよね」


いえね、公式ユニフォームに関しては、だらしないどうこうの前に、「ユニフォーム」ってのが何かの団体集団に属しているから着るものだからこそ、着崩すのは格好悪いと思います。みっともない。

だったら、中途半端に自分のスタイルを出したりしないで私服で行けばよかったのに。

集団に属しつつ、集団の和を乱すのは行儀の悪いことであって、一匹狼ではまったくない。

学校や先生が嫌いで言うことを聞く気がないなら、やめればいい。

法律に反するほどやりたいことがあるなら、違う国に行けばいい。その法律のない国に。


言葉遣いに関しては、前述した「若者と世間」とか、美意識の問題。

二十歳も過ぎたいい大人に、人がアレコレ言っても仕方が無い。



そんなことではなくて。

そのユニフォームに関して「腰パン」が話題になっていましたが。

「腰パン」。

実際に刑務所で服役してベルトを取り上げられた経験の無い人が、アレをするのはいかがなものか。

格好いいのか。

出所した人がハクをつけるため、周りに誇示することでマウントポジションをとるとかならわかるけど。

ドレッドロックスも、実際に悪性腫瘍ができているのが分かっていても神の為に体を傷つけない人ならわかるけど。

もんすごい乖離しているので、ピンとこないのね、きっと。

実際、リアル日本文化であるヤンキー的な眉毛そりには、そんなに大きなクレームもでないもんね。



そして、ふと思いました。

文化の差異はある。

差異はあるけど、それをつむいで、積み重ねていくのは時間の技。

共有される文化にも、時間の流れだってある。



じゃあ?

岡村靖幸さんを最近知って、夢中になっているharuko。

その私が、理解できないスノーボード青年の自殺防止ズボン。

その私の夢中を、理解できないという友人。


なんとまあ、友人と青年と私は限りなく一緒ではないですか。




同じ経験が無くても、同時代を生きていなくても、本当に魅力的なものならば。

素敵なものは素敵だ、好きだ。となると思う。

全く同じ魅力ってのはありえないけどね。二次使用、三次使用的な。

それでも、魅力は魅力。

それこそが、本物の持つ力であろうと思う。



流行だって、もともとそのものに大きな魅力があるから多くの人が惹かれるのならば。

なんてこったい。

あの「腰パン」についてグダグダ言う私と、岡村靖幸さんにムチュー!という私。

なんというアンビバレント。




なんでだろう。ねえ、なんでこういう風になるんだろう。

自分の中でどうなっているんだろう。



30行くらい?上の「あれから少し経ち。」からのくだりを、その友人にメール。



「だから、あれは屁理屈だったでしょう?」

という返事をいただきました。




友人はなぜ、私の「好き」に疑問を持ったのか。

私の「好き」はなぜ故なのか。

私はなぜ、あの青年に疑問を持ったのか。


相互理解は難しい。なんて良くいいますが、その前に自己を把握するのが難しい。

自分に対する認識も、否定も批判も。

他人に対するそれらも。


自分で自分が分かっていないうちには、何一つ出来ないじゃないさ。

自分を把握するなんて、不可能だから宗教や哲学があるんじゃないの。

じゃあさ、好きってなんだよ。嫌いってなんだよ。

認めるってなんだよ、認めないってなんだよ。

理解ってなんだよ、俺に教えろよ・・・・・・





屁理屈ってなんだよ。

・・・酷くない?ヘリクツだって。

オナラのごとき、ですョ。

成人して以来、初めていわれたかも。

しょんぼり。



しかし。

谷崎潤一郎が、漆器の金蒔絵や僧侶の袈裟の刺繍について、

「ああいうものは漆黒の闇の中で蝋燭の光明を頼りに物を見ていた状況での『美』であって、蛍光灯全盛の今、影の存在しない光のみでその『美』の本質を見ようというのは不可能」

みたいなコトを言っていたのを読んで激しく膝を打ったことがあります。


嗚呼、なんだか意外と重要課題。





ところで。

男子フィギュアスケートのフリーを見ていました。

小塚崇彦さんが滑りだす前にリングサイドでコーチと言葉を交わしている、その後ろに立っている男性。

ティッシュの箱を小塚さんに差し出してたのが映っていたのですが、そのティッシュがね。

「鼻セレブ」。

鼻・・・セレブ?


まさかの真剣勝負の舞台でなんの意図があって・・・と思ったら、真剣に売られているものなんですね。

「鼻セレブ」。

一瞬、意味の分からない冗談かと思っちゃった。

リラックスの為の、仲間内の符牒とかさ。


真剣に発売中です「鼻セレブ」。

人間が真剣になる舞台は色々、さまざま、人それぞれ。

ホームページから「超」真剣さを垣間見ました。

買ってみようかなって思ったけど、・・・高!!

でも、一度知ったら戻れなさそう。

日常のひょんなところにも、nevermore。