す べ て の
コ ト バ に 
 が あ る 。

 

コトバ家 吉井春樹(ってこんな人?)です。

コピーライター、クリエイティブディレクターを経て、

写真詩集を出版。詩人、エッセイスト、などの傍ら、

コトバの自己表現トレーニングの「コトトレ」主宰。

わないコトバ」「さしいコトバ」「されコトバ」の

自己表現、コミュニケーション、アサーションをテーマに、

コトバを心地よく書く・話す・伝える&読む・聞く・受けとる、

そのための考えや視点やコツを伝えたり、サポートをしています。
 

 

おすすめ ▶︎ 「やさしいコトバのはじめ方」へ

 

例えば、お店に入って、

 

席につくときに椅子をひいてもらったり

 

あるいは、扉をあけてもらったりするとき。

 

 

「ありがとう」と伝える人と

 

何も言わない人がいるとします。

 

 

別に「何も言わない人」が

 

失礼だとかそういうわけじゃなくて

 

椅子を引いてもらうこととか

 

扉をあけてもらうこととかが

 

「あたりまえ」なことだから

 

「ありがとう」をいう場面だとは

 

思っていない、という感じなのだと思います。

 

 

毎朝、太陽にありがとうと言わないように、

 

スマホにありがとうと言わないように、

 

駅員さんにありがとうと言わないように

 

他にも人それぞれにあると思うのですが

 

「あたりまえ」だから、

 

「ありがとう」を伝える場面、とは

 

つゆほどにも思わないもの、なのですね。

 

 

どちらのしあわせも

 

選ぶことができるのです。

 

 

「あいされてあたりまえ」

 

「してもらってあたりまえ」

 

というしあわせもある。

 

その一方で、

 

「あいしてくれてありがとう」

 

「してくれてありがとう」

 

というしあわせもある。

 

 

自己肯定感が低くても高くても

 

それをあたりまえと思うのか、

 

それをありがたいと思うのか、

 

どちらを選んでもきっと、

 

その先にしあわせがあるのですね。

 

 

ぼくは

 

「ありがとう」と思えるほうが、

 

なんだかしあわせな気持ちになるので

 

「あたりまえ」だと思っていることが

 

「ありがたい」ことだと気づけることが、

 

なんだか「あいされてる」感じだと思えて、

 

うれしくて。

 

 

だから、

 

相手のために、とかいうよりも、

 

ジブンのエゴとか得?した気分もあって

 

「ありがとう」をいっぱい言ってる気がします。

 

 

いえばいうほど、

 

愛情がたまったり

 

やさしさをうけとれたり

 

そういう感覚になるのです。

 

 

もらえてあたりまえ、

 

と思えるほど自信?みたいなものが

 

きっとないからこそむしろ

 

ありがとうをたらふく味わえている。

 

 

だから、

 

自信がなくて

 

ありがとう。

 

 

大切なのは

 

自信があるか

 

自信がないか

 

というよりもむしろ

 

その特性?みたいなものを

 

ジブンのしあわせに

 

どう生かせるのか、

 

なのかもしれませんね。

 

 

 

 

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 ト  コトバハントを!(ルパン気分で)

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