膠原病をなめていたら痛~い目に遭った私!

私は膠原病の中の強皮症という病気と日々闘っています。

症状としては皮膚症状と内臓症状に分かれていて、個人差があり私は皮膚症状よりも内臓症状が強く現れていて、決定的なダメージを受けているのが肺で、特発性間質性肺炎と診断され肺線維症と呼ばれる状態にまで進行しています。

肺が病気の進行と共に縮んでいくので呼吸が苦しくなるので在宅酸素療法を行っていて、24時間カニュラで酸素を吸いながら日常生活を過ごしているので、外出する時には携帯用の酸素ボンベが必要なので、なかなか一人では外出ができません。

でも時々孫に会ったり、映画に行ったり、大好きな東方神起の歌を聞きながら日々過ごしています。


2000年3月に退職し、ネットで色々病気について調べてみましたが、10万人に3人ぐらいの割合での発症率ということで情報が少なく、得られた情報は落ち込むような内容ばかりでした。

その頃ちょうど個人でHPを作るのが流行り始めた時だったので、どうせなら自分でHPを立ち上げて同じ病気の人とお話がしてみたいと思い、試行錯誤しながら9月にHPを立ち上げました。

特発性間質性肺炎との闘いの日々  


そしてブログが流行り始めた頃、私も便乗して日記をブログにしてみました。

肺線維症とわたし、闘いの日々、徒然なるままに。。。


そして今年6月末にこのアメブロに引っ越ししました。

でも、引っ越ししてから1週間後ぐらいに肺の感染症で入院してしまったので、きちんとカスタマイズができないまま、とりあえず記事の更新だけしてました。


3週間後になんとか退院したのですが、感染症が完治したわけではないので、いつ再入院するかわからない状態で1ヶ月を過ごしてきました。

やっと最近、もうしばらくは再入院はないだろうと思えるようになり、余裕がちょっと出てきて少しずつカスタマイズしています。


今回4年ぶりに入院したのですが、4年前の3ヶ月に渡る悲惨な入院生活を綴ったページも見ていただけたら私の今置かれている状態をご理解できるのではないかと思います。

2006年入院生活


そしてもう一つ、ブログにカミングアウトしたら、以外に反応があった大好きな東方神起を語っているブログです。

興味がある方はご覧になって下さい。

東方神起と共に生きる。。。

Amebaでブログを始めよう!
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お知らせ

お知らせが遅くなり申し訳ありません。

haruは9月19日に永眠いたしました。

長い間ブログを読んでくださり、

本当にありがとうございました。


                                          家族一同

遅くなりましたが。。。

今更なのですが、私は7月16日に退院しました。
今回自分のパソコンを持ち込まず主人のタブレットを使っていたので余計に更新しずらかったということもあります。
退院後、1週間後ぐらいに一応退院のご報告の記事を書いたのですが、アップするときに上手くいかなかったような感じだったのでその記事を保存しておいた、と勝手に思い込んでいたのですが、実際には保存も出来てないし、更新も出来てないということを。つい最近気がついたのです。
いつも気にかけて下さりご心配いただいている皆様には本当に申し訳ないことをしてしまいました。
もちろん、退院直後ということで簡単なご報告だけの記事でしたが、一応今は自宅にいるということはわかる内容でした。
それからすぐに更新しなくてはとずっと思っていたのですが、今本当に体調が最悪で、今までの闘病生活の中で最悪な状態で日々を過ごしています。
とりあえず、今日は退院してすでに自宅でへろへろになりながら闘病生活を過ごしていることだけ報告させてください。
詳しいことはまた、後日。。。

甘かった。。。

採血と心エコーの結果を見てから今後の今後の事を決めるって研修医が言ってたから、甘く考えていたのでガックリ(ToT)
外見的にはかなり浮腫が減ってきていたのですが、まだまだ血液のなかは水が一杯なんだそうで、先日主治医には専門医が揃っている病院への転院もちらっと言われましたが、嚥下食のことが一番ネックになるので利尿剤を増やして様子を見て 8落ち着いたら自宅に戻るようにしてくれるみたいです。
もう消灯しているので寝ます。

只今、入院中

22日から心不全で入院してます。
浮腫がひどくて日に日に身体中がポヨポヨになっていたので本当はもっと早く入院すべきだったのですが、私の両親の認知症がひどくなってこんな体の私が、「動けない、立ち上がれない 、来て欲しい」と言われたら行かない訳には行かないので、行ったら母が玄関の扉が開けられなくてショートステイに行っている父の所にケアマネさんが取りに行って下さりやっと扉をあけたら動けない母がいました。
結局入院の手続きを終えて帰宅したのは10時半を過ぎてました。
翌日も病院に書類手続きのためにでむきました。
こんな状態が私の体に良いわけがありません。毎週の診察を受けてましたがもこれ以上はお手上げなのですぐに紹介状を書いて地域連携室と連絡を取りますから自宅待機するように言われたので自宅待機していたら入院先の病院から電話があり翌日受診しそのまま入院となりました。
続きはまた明日。
ご心配おかけしました。

本当に久々の更新です

本当に、皆様にご心配させてしまっているだろなあと思いつつも、夜になってメールチェックし、いつも利用しているスーパーの宅配商品の注文するだけで精いっぱいでした。
足というか、腰を3月初めごろに痛めてから結局先日の整形外科の受診の時はほとんど痛みがなかったのでそのことは触れずじまいになりましたが、やはりパソコンを置いているテーブルは本来はソファーの前に置く、ディスプレー的なガラスのテーブルで足を延ばせないので私のように人工骨頭にした人間にとっては30分座っただけで、人工骨頭の辺りが痛くなり、あわててパソコンを終了する羽目になるという状態をずっと繰り返していました。
それと、もちろん冬ならではの膠原病の症状の辛さなどが加わり、心拍が上昇してしまうと安静にするという日々を繰り返していたら、すっかり足の筋肉が落ちてしまって、思うように歩けなくなってしまいました。
家の中でも短い廊下ですが、そこは車椅子を使っています。
もちろん通院や買い物など外出するときは車椅子が必需品で、以前は買い物をするときにはカートにボンベを乗せてバックも盗難にあわないようにかけて、自分でゆっくりではありますが、カートを自分で押して買い物をしていたのに、今はそれさえもできなくなりました。

そんな自分自身が今までで一番辛い状況にあって、アップアップしておぼれそうな状態なのに、私の認知症の両親のことでケアマネさんから電話があって、頭が痛くなるようなことばかり知り、余計に体調が悪くなるばかりでした。
今はちょっとでもストレスを感じると心拍が上がってしまいます。
入院した時の状態に今、逆戻りしてしまっていて、これ以上無理すると病院にカムバックする羽目になりそうなので、洗濯ものを干したり家事の色々なことを主人にやってもらっています。
夕食さえも、主人が卓球の練習やコーチの仕事で帰宅が遅いので、主人が帰りに外食することが多く、まともに夕食を作っていませんね。

とにかく今は全く心に余裕がなく、コメントのレスもメールのお返事も出来なくて申し訳なくおもっております。
もっともっと書きたいことがいっぱいあるのに、もう足が痛くて限界なので、今日はこのぐらいにしておきます。

何日か前に、夜中に主人が私があまりに静かに動かずに寝ていて、手を触ると凄く冷たかったので、”えぇ~!、まさか死んだんじゃないよなあ!!”とあわてて私をゆさぶって起こしたそうです。
まるで人ごとのように書いていますが、私はマイスリーを飲んで2時間後ぐらいだったので全く覚えていないのです。
翌日の夜になってその時のことを言うので笑ってしまいました。
でもその時の主人の心中はどんなにかあせっていただろうなあと申し訳なかったなあと反省しました。



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アメブロを使う前に書いていた闘病ブログはこちらです。
そして10年前に立ち上げた本家のHPはこちらです。嚥下障害が悪化したり入院したりしてリニュアル作業は止まったままですが、闘病記とか採血の結果とかCTの結果とか色々載せてますので興味のある方はご覧になってください。
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