十一
メモ
悪魔崇拝についての記述あり
一度読んで終わりの書でないぞ。
読めば新たな学び頂けますぞ。
御魂、光出しますぞ。
喜び、宝、幾らでも取り得でありますぞ。
人民、まず肉体様を知りなされよ。
肉体は
神の答れ物じゃ。地の大神様の分身じゃ。
ウの大神様の雛型じゃ。
そなたが何もせずとも生きておるではないか。
そなたが肉体生かしておるのでないのぞ。
そなたは肉体使わせて頂いておる御魂じゃ。
十二
メモ
分け合うこと出来ぬ我良しは、悪魔に操られておりますのじゃぞ。
世の初めから人民の物、何一つ無いのじゃ。
すべて神々様の物であるぞ。
ゆえにすべて神々様より頂くのであるぞ。
日々ありがたく頂くのであるのぞ。
皆々様、己が要る分だけ頂けば充分嬉しいはずじゃから、決して要らぬ分まで欲しがるでないぞ。
人民働かせ苦しめ続け、自らは遊んで暮らす世の仕組みは、悪魔の仕組みじゃ。
当たり前の世では無いのじゃぞ。
人民望めば変えられるのであるぞ。
多数決の世であるでないか。
人の意識変われば変わるのぞ。
数増えれば変わるのぞ。
嘘の世は変えねばならんのでありますぞ。
十三
メモ
悪自由の奴隷。
甘い罠が悪自由悪平等
人民、よいか。言葉は選ばねばならんのじゃぞ。
言の葉は、もの生みますぞ。己作りますぞ。世生み出して参りますのぞ。言の葉は力ぞ。霊と繋がりますのじゃ。どのような霊とつながるかは、言葉で決まりますのじゃ。
良き言葉は良き者らと繋がるもの、悪しき言葉は悪しき者らと繋がるもの。自ら悪魔呼び寄せ、悪魔の容れ物となって下さるなよ。外国言葉使えば、外国御魂の容れ物となりますぞ。流れ来るもの違いますのぞ。念、教え、霊力、皆々異なるぞ。
この地はこの地の言葉、教え、昔からあるのじゃぞ。大昔から神の言葉あるのじゃぞ。
言葉は思考選ぶことじゃ。思考は靈と関わる所じゃ。どのような者と関わるか、言葉で決まる。己、選ばねばならん。
神世の教えは良薬口に苦しじゃぞ。じゃが、後になればなるほど溢れんばかりの喜びとなるのぞ。
悪魔の世、人民、皆でて合わせて、終わりにいたすのじゃ。皆々喜ぶ神世となるぞ。
十四
メモ
真世の仕組み喜べる人民、真人ぞ。
苦しく思えるのはまだ洗脳されておる残像でありますぞ。
神人共に参りますぞ。
まこと神に感謝いたし生きる者、皆々神人ぞ。
神靈人(かみひと)ぞ。
十五
メモ
山川海の神々様の御身体汚し壊し、食べ物飲み物何もかも奪っておるのぞ。
生き物住処奪われて、皆々嘆き苦しんでおりますぞ。
人は悪魔じゃと申し恐れておりますぞ。
人は何殺しても良いのじゃ、何食っても良いのじゃと申して、悪魔の僕となっておるのじゃ。
これまで世に遣わした聖人ら、皆々真の教え伝えさせてきたが、悪魔の僕らにすり替えられた教え植え付けられて、まんまと操られておいでじゃ。
悪さいたして来た人民、別の星へとお移りになりて、同じ学び何度も学ばせて頂くのじゃぞ。
皆々それぞれに別れて納まる所へ納まるから、うれしうれしたのしたのしじゃぞ。
混ぜこぜならんのぞ。
海のものと山のものは一緒に暮らせんのじゃ。
無住相応の仲間、場所、生き方、学びあるのぞ。
それぞれ相応に別れて暮らすのじゃ。
靈の世界も同様ぞ。
日の出の神様、光、浄めの力、頂けよ。
良き氣、吸いなされ。
悪しき氣、吸い取って頂きなされよ。
神々様には、
守り給え浄め給え導き給え、と何度でも申せよ。
大日月地大神、日の大神、月の大神、
地の大神、星の大神、
水の神、火の神、土の神、雨の神、風の神、巌の神、木の神、金の神、人の神、ありがたいありがたい、奉りて下され。
十六
メモ
神示雛型じやぞ。
世に顕われますぞ。
神示活かして下されよ。
真見極める力、つけて下され。言葉変えよ。
生き方変えよ。喜びに変えられるのじゃぞ。
十七
メモ
真人、皆々様の喜び祈るのぞ。
祈るとは感謝の思い込め生きることぞ。
己、喜びに誓うことぞ。
皆々様方共に喜び生きられる世となるため、己できることをさせて下されと誓うことぞ。
人民出来ることは何かと申せば、皆々様尊ぶことぞ。皆々共に生きることぞ。分け合い生かし合うことぞ。
真の神には感謝のみぞ。日々生かしてくださっておることを深く感謝申して、ありがたく、生かさせていただくのみじゃ。神礼には清らかな喜びを捧げるのぞ。感謝を捧げるのぞ。物は要らんのじゃぞ。
己ばかりの喜び、我良し、恥ずかしことぞ。獣、虫けら、草木に至るまで皆々必要であるから生きておるのじゃぞ。
この地に生きるすべての物の喜ぶ世にいたすのじゃぞ。
人民、もう壊すでないぞ。汚すでないぞ。奪い合うでないぞ。苦しめるでないぞ。人民のもの、何一つないのじゃから、好き勝手いたす世は終わりにいたすのぞ。
感謝いたし殺して食うならば、人民何食うても良いのじゃと申す魔の教え、邪教であるぞ。
真の神を拝むに儀式儀礼は無いのであるぞ。男拝みたい時に拝めば良いぞ。おのおのの神霊に感謝いたし、全て貴び生きるのみじゃ。神に授かっておる肉体拝んで、ありがたく使わせていただくのみじゃ。肉体生かしてくださる自然、森羅万象、生き物全てに感謝いたし生きるぞ。感謝いたせばいたすほど、喜び流れくるぞ。無限に無償の喜びいただけるのじゃぞ。まことの身魂磨きぞ。御霊太りて輝くぞ。まことお陰は感謝いたすのみぞ。祝詞も経も呪文も要らんぞ。
腹からの言葉で感謝申せよ。思いで通ずる世界でありますぞ。
真の修行は他のために生きることぞ。皆々様をゝ言(まこと)で喜ばす生き方することぞ。
十八
十九
メモ
人民の思考は、簡単に操ること出来るのであるぞ。
何事も霊の世界からと申しておるであろうに。
靈の世界は神の世界から流れて来るのぞ。
今の人民、九分九厘、御魂曇りておるぞ。
悪魔に騙されて、まんまと損得勘定、我良しの愚民に成り下がっておいでじゃ。
この神、霊団は、人民のご機嫌取りはいたさぬのじゃぞ。
皆々学ばさせ苦しめ改心させる、怖くもありがたい神、霊団であるのぞ。ゆえに人民厳しすぎると嫌うのも無理ないなれど、悪自由に慣らされてしまっておるからであるのぞ。
悪自由は一部の者たちにとっては都合の良い教えであるなれど、持続出来ぬ、地を蝕む猛毒であるぞ。
してはならんことは、してはならんのじゃ。
分からぬ者は苦しみ通して学び、改心いたさねばならんのじゃ。ゆえに苦しめるのぞ。損得勘定、八方美人の腹黒い人民、霊人殿、何もかも自由じゃ、すべては許されると申して、人民のご機嫌取りばかりいたしておるが、世の中を悪くいたしておるのはそなたらの悪自由弁論であるのじゃぞ。
真の神の教え、砂糖は少ししか与えんぞ。
苦くて渋くて辛い物、次々食べさせるぞ。
真の教え血肉にいたし、世に広めて下されよ。
真の喜び悟りたなれば、皆々手分けいたして人民の洗脳解いていって下され。
後は人民に染み付いた癖外すだけであるぞ。
難儀であるから時間掛かるなれど、真の教育いたせば、真人となる人民ばかりぞ。
それぞれに分かりやすく説いて聞かせて下されよ。
有る所は無い所へと分けるのじゃ。皆々食べられるように生きられるように、何もかも分け合う仕組みいたすのじゃぞ。
獣、虫けら、草木に至るまで、必要であるから生きておるのじゃから、生かさねばならんのじゃぞ。人民、今までのように壊し汚し殺すでないぞ。悪自由ならんぞ。新たな世の法であるぞ。
これ以上どうにもならん所まで、地の大神耐えに耐えて来られたのじゃから、人民皆々地に手ついて深くお詫び申して、日々感謝いたし暮らさねばならんぞ。地の大神、人民生かす親神であるから、今までのように懐手いたして、己の物じゃと申す慢心はもう許さぬのぞ。
霊主体徒ではあるが、霊人の下に人民あるということではないのじゃぞ。霊人、人民の上、かみ、神ではないのじや。友ぞ。共にぞ。同じ御魂ぞ。
人民いつまでも可笑しな儀式儀礼に拘るなよ。
怖れ外してみなされ。棄てなされ。棄てれば真掴めるぞ。もう怖がらんで良いぞ。
真を悟らねばならん。
悟るには要らんもの棄てねばならん。
これからの学びは新たな世、皆で創ることぞ。
神示皆で手分けいたし世に広めて下され。
二十
メモ