1月1日、能登半島地震が発生
わが町内灘町は、震度5強
▪▪▪▪▪と言われてますけど、もっとあったような
ものすごい揺れでした
私は自宅1階のリビングにいて、牧場へ行こうかなと思っていたところ
息子っちは、2階の自分の部屋にいました
最初の揺れ
私はワンコを自分のお腹にかばいながら、揺れが収まるのを待っていました
息子っちは自分の部屋にある、机の下に入ったそうです
最初の揺れが収まったあと
息子っちは、ワンコ2頭のうち1頭を連れて、外へ出ていきました
そして2回目の揺れ
私はリビングにいて揺れが収まるのを待っていました
❰あとで息子っちから、外に出ないとダメじゃないか!!!❱
と
ものすごく怒られました
揺れが収まってから、外はどうなっているのか、と外へ出たところ
うちの前は、原っぱなので、町内の人、たくさんの人が原っぱに集まっていました
さて、どうする?どうしたらいいのか?
集まったみんなで話してたとき
津波がくるから今すぐ逃げろ!との情報が!!!
みんなオロオロ
周辺道路は割れてるし▪▪▪▪▪
それでも無理矢理車を出して避難した人もいました
結局、津波は内灘町にはこなかったのですが
避難のあり方を考えさせられることになりました
地震直後から、断水が始まったのですが
幸いに、電気は途切れたりすることはあれ、きていたので
寒さはしのげました
あとで、内灘町の人が自宅が継続して住めるかどうかの調査に来ていたらしく
仕事から帰ったら、はりがみしてありました
ふぅ ( ´д`)=3
地震後
とりあえず、家にある物を食べていたんですが
買い置きも少なくなってきて
買い物に行きたい▪▪▪▪▪
でもスーパーまでの道がどんなことになっているのか、まったくわからない▪▪▪▪▪
そんな日が続いていたところ
夜の仕事が終わって、家に帰ったら
自宅の玄関先に、お水が置いてありました、2回!
これは、いまだに誰が届けてくれたのかわかりません
ありがたかったです
いつ頃からだったかは、よく覚えていないのですが
集会所に支援物資がある、と聞き行ってみました
1番最初に持って帰ってきた物資は、災害用ビスコ、でした
何回か物資をもらいに行ったのですが
牧場の仕事は朝早くからの~断水でてんやわんやの牧場
朝の仕事が終わって、集会所に行っても、もう何もないんですよね▪▪▪▪▪
旦那様がお水を取りに行ってた道で、買い物に行ってみることにしました
あれも、これも、買って来ないとな▪▪▪
そう思って行ったスーパー
欲しかった物がない!!! ( ´゚д゚`)アチャー
欲しいものは、そりゃみんな同じで
私は出遅れ組★★★
あれ(紙皿や紙コップ、他紙製品、使い捨て製品)
これ(除菌ウェットティッシュ、などの衛生用品)
どうしようかと思っていた頃
県外の友人から、何か足りないものはないですか?困っていることはないですか?
との連絡があり
甘えさせていただきました
数日後、物資がたくさん届き
私の気持ちは、どんなに楽になったことか
ありがたいことです
旦那様は、牧場を守らなければ!そのことで頭がいっぱいパンクしそう
なので
私は自宅を守らなければ!
そんな役割分担でした
お昼ごはんを食べながら、テレビを見ていたら
テロップが流れていて
そこに
『断水のときはエコキュートは通水栓を閉めておかないと、断水が解消したとき、濁った水がエコキュートに入り、壊れる』
なんて流れて
やったことなんてない私が慌てて、エコキュート開いて、通水栓閉めたり
▪▪▪▪▪▪家のこと全般ね f(^ー^;
自宅は水の使えない日々が続いていますが
今、一生懸命に仮復旧をするために町は動いてくれています
友人、内灘町で働いている人、そして牧場を継続するために動いてくださったボランティアの方々
たくさんのたくさんの方の気持ちで、心はあたたかいです
私もそんな人になりたい、と思いました