今朝のドトールの諍いのきっかけは… | 働くママ(SOHO編)

今朝のドトールの諍いのきっかけは…

早朝の静かな店内は、高齢の常連客が一人二人と集まりはじめた途端に、居酒屋のような雰囲気に一変する。
窓際で居心地のよい場所を集団で占拠し、先客がいても動じず、席を飛び越えて大声で会話を始めるので、私はいつも席を移るようにしている。


今朝も先客の男性が座っていたのに、両隣に常連が座り、あっという間に周囲を囲まれてしまった。
面食らっている。かわいそうに。


男性は、最初は驚いている。
だって、店内は空いていて、他にいくらでも席がある。なのに、なぜわざわざ隣に座るのかと普通は思う。
しかし、常連客にその常識は通用しない。
男性が彼らに尋ねると、「どこに座ろうが自由だ!」と、常連客の一人が声を荒げて口喧嘩が始まる。

男性同士の喧嘩は、みるみる激昂してゆく。

周囲ははらはらしながら、それを静かに見守る。


その時点で、相当にうるさく、剣呑な雰囲気を撒き散らしている。
私は離れた席から男性を応援していたが、いつまでも終わらないので席をたつ。
我慢しているのは、その男性客ばかりではない。
私と一人の女性が、彼らはいつもその席を占拠しうるさいのだと伝えたが、まぁのれんに腕押しだ。
やがて、常連客が男性をまるめこみ、その男性が帰った後に、ひとしきり悪口で盛り上がる。
よくない人たちだ。


能登半島地震と比べていかに平和な日常かとも思うのだが、このドトールではいじめもあるし、集団思考の危うさをいつも感じながら観察している。気遣いや優しさといった人間らしさは、利己心に打ち負かされる。それが生きる強さであり、彼らは勝ち抜くのだろうと思うが、それでも私はその境界に立ちどちらにゆくべきかを見定める余裕を持っていたい。
それが、私たちの得た理性であり、目指すものだから。