耳栓を外したら、中年女性がご年配の女性をいじめている。公共の場でも大人でも醜い人はいる。
毎朝のドトールで、私は今週からずっと耳栓をつけている。
「『おまえのしゃべり方はうるせぇ!』って旦那に言われるから、家ではしゃべんないんだ」とその人は言う。
私もそうだと思う。彼女の話し方は、とてもべちゃべちゃしている。
相手の女性が、「若いうちは妥協できるけど、年を取るとお互いが相手の欠点を許せなくなるんだよ」と応じる。
それは不幸だろうなぁ。
運命の相手を最終的には憎むことになる。
死ぬまで寄りそって生きる人に「うるせぇ!」と煙たがれる人生だ。
そんな彼女たちの会話を記録したメモ用紙を捨てようかと迷っていたけれども、今朝は耳栓を外すと同時に、その女性の暴言が飛び込んできたので許せなくなった。
どの席に座ろうが、自由じゃないか!
思い返せば、先日も同じことがあった。彼女たちは、あるご年配の女性を敵視していて仲間内で過剰な悪口を言いあい、足の悪い老女が誰かに助けを求めることにさえ、いちいち文句をつける。老女のかわりに水を持っていってあげることぐらい、お安い御用なのに!
それよりも迷惑なのは、店内での騒々しさ。彼女たちは2階の窓から更なる大声を出し、杖をついて歩く老女の自転車の位置にいちゃもんをつけて、無理をして移動させたようだ。
なぜ、健康な彼女たちが、弱者をいじめるんだろう。
なぜ、誰も違和感を持たないんだろう。
これ、同調圧力?
でも、このおそらく無意識の同調圧力と非寛容こそが、不幸な生き方や社会を作る。敵意はまわりまわって自分に返ってくる。言葉の暴力も、自分のなかで反響しあって自分の心を傷つけている。
わたし、今度直接目にしたら、もう黙っていてやらない。
誰もが嫌な思いをしないように、なんとか方法を考える。