「認めてもらいたい欲求」 アダルトチルドレンの心 | きららの心理

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アダルトチルドレン専門カウンセラー
心の在り方について綴っています

アダルトチルドレンの心というテーマでACの主な特徴について、私なりに掘り下げてみようと思い、これまで書いてきました。
今回が最終回となります。

ACの特徴は細かいことが実は結構ありますが、比較的大きく自分を苦しめていると思われる特徴について取り上げました。

最後は 「認めてもらいたい欲求」

人は誰でも認めてもらいたいという欲求があります。そのこと自体は何も問題はありません。
とても当たり前の気持ちです。

けれど 「認めてもらわないといけない」 と過度に考えているとしたなら、それは間違った欲求だと言えます。
考えているというよりも潜在意識の中に、認めてもらわなければ・・・という強い欲求があるのです。

ACの人が認めてもらいたいと思う時、誰かに認めてもらうことが出来れば、自分はやっていける という思いがあります。
それは、自分で自分を認めることが出来ないからなのです。
そして、この自分で自分を認めることが出来ないからこそ、今まで書いて来たACの特徴に対して、対処出来ないのです。

親との関係で自分を認めてもらえなかった思いから、自己肯定感が育たずに、自己否定感を学んでしまいました。
共依存の関係では、自分を認めることが出来ない為に、必死で誰かの役に立つことでしか、自分の存在価値を見出すことが出来ませんでした。
境界線をを引けないせいで、相手を自分の思い通りにしたいという欲求があり、自分を尊重することも、相手を尊重することも出来ませんでした。
自分を信頼出来ず、自分にOkを出すことが出来ないので、こんな自分では見捨てられるという思いが生まれます。それが、見捨てられ不安です。
このACの特徴が人間関係や社会人として、世の中に出た時に 「生きづらさ」 という思いになるのです。

自分で自分を認めるとは、どういうことなのかが分からないのです。
だから、誰かに認めてもらうことばかりを切望してしまうのです。

認められたいと切望すると、認められなかった時に傷つき、認めてくれなかった相手に対して、怒りを抱くこともあります。
この怒りの感情は、子供の頃に親に対して持っていた感情です。子供の頃は、この怒りの感情を封じ込められていた為に、大人になってから認めてくれない相手に投影しているのです。
本来は親に向かって吐き出すはずの怒りなのです。

認めてもらいたいと思う時、人が期待している自分になろうとします。
人の期待にいつも添うように動こうとします。
その期待というのは、実は相手がこう期待しているのではないだろうか? という自分の思い込みであることが多いのです。

自分がしたいことや思うことでは無く、相手がどう思っているのかを必要以上に気にしてしまいます。それは、自分がどう思われているのかが、とても気になるからです。
自分に自信が無い為に、自己肯定感が低い為に、
相手が思う自分、
相手が期待している自分、
相手が望む自分になることで安心感を得ようとするのです。

このような思いで人と接していると、自分が解らなくなってしまうのです。
自分がどうしたいのか、
本当は何を望んでいるのか、何をしたいのか、
どんな気持ちでいるのかということを周りの人や周りの思いを通してしか自分を見ることが出来ないので、自分が解らなくなって行くのです。

自己肯定感を持つこと、自分を認めること、受け入れることで、必要以上に、過度に認めてもらいたい、認めてもらわなければいけないという思いに苦しまなくなります。
そして、自分らしく生きることが出来るようになります。

他人や世間がどう思うかよりも、自分がどう思うのかを純粋に考えてみることで、自分の中の気持ちと向き合うことによって、自分らしさの答えは見つかるのです。

さて、自分を認めると言っても、いったいどうしたらそれが出来るようになるのでしょうか?

それは、今まで認められなかった自分のダメと思っているところや思いに対しての見方を変えるということです。
たいていは、良いところよりも悪いと思っているところ、ダメと思っているところに意識が行きやすくなります。
それを続けている限りは、自己嫌悪がつきまとうだけになり、前向きな反省が出来ません。

認めるというのは、受け入れることと同じ意味で使います。
受け入れるというのは、その思いに対して、または気持ちに対して反発をしない事であり、抵抗しないことです。

反発や抵抗というのは 「こんな自分って嫌だ~」 を 「私ってこうなのね」 「こういう私も有りだよね」 って自分に対して思えることが受け入れることです。

こんな自分って嫌だ~と思いながら、それを変える為の努力が出来ないのが、ACの人に多いのです。
努力をしないのではなく、出来ないのです。

それは、反発や抵抗がとても強いからなのです。
自分の思いを頑なに守っていて、その殻から出ることがなかなか出来ないのです。
頑固さから、いろいろな見方があるということに気づいても、認めようとしないのです。

抱え切れないほどの荷物を後生大事に持ち歩き、いらないものまで全て持っている状態です。
何かを手放さないと新しい荷物は持つことは出来ないのです。

自分を認める為の理論的な方法は、いろいろとあります。

自分の良いところを見つめる、出来ないことに目を向けるのではなく、出来る事に目を向ける
人と比べない、自分の好きなところをたくさん書いてみる
などなど、書店へ行けば、このようなワークやエクササイズの本はたくさんあります。

けれど、私はACの人にとって、こういう本は危険だと思っています。
その本の書き方にもよりますが、だいたいこういうワークの本を読んで自分を変えたいと思うと、失敗します。
なぜなら、その本に書かれてあることを完璧にやろうとしてしまうからです。そして、完璧に出来ないことで、更に自分はダメだと自己否定感を高めてしまう恐れがあるからです。
つまり、本に書いてあることに、合わせて行こうと無理をするのです。
だから、失敗してしまうのです。

例えば、育児書や子育ての本、雑誌をたくさん読んで自分の子供に当てはめようとする母親がいます。
本に書いてあるけれど、うちの子は出来ないとか、違うとか・・・。
個人差があるのは当たり前のことですね。それを本の通りに完璧に子供を育てようなんて、出来るはずがないんです。
それぞれ発育の早い、遅いがあって当然で、本の通りに順序良く子供が育つとは限りません。

また、親はこうしなさいみたいなことを書いていますが、出来なくても自分を責めるようなことはしないで、ゆっくりと構える方がいいのです。
親が自分を責めると、子供にも当たりたくなるものです。

なので、本に書いてあることは、それを実践出来れば良い方向に行くということが確かに書いてあります。
それを活かすか、駄目にするかは、本人の気持ち次第なのです。

理論だけに頼るのではなく、自分の心と照らし合わせて、参考にしていけばいいと思います。

子供の頃から自己肯定感を持てなかったのですから、原因や理論が解っても、すぐに自己肯定感を持てるようになる訳ではないと思います。
今まで、何年間も肯定感を持てない自分としか付き合ってきていないのです。
その思いを変えるには、時間が掛かるのではないでしょうか?

肯定感を持つには、反省は必要だけれど、自己嫌悪はしないことです。
反省とは、何がいけなかったのかを前向きに考えることであり、自己嫌悪はそれ自体、自分にダメ出しをしてしまうことになるので、反省だけをして、次にどうするのかを考えて行く方が良いのです。

自己肯定感は自己否定感がまったく無くなることではありません。
その否定感をも受け入れることなのです。

意識を変える、思いを変える、考え方を見つめ直すことなどを、日々積み重ねて行くことで、少しづつ自分を認められるようになって行きます。

ACの回復は、自分自身を認めることから始まります。

「自分への教育は自分の無知を認めることから始まる」 
        スティーブン・コヴィー