自分を責める人、他人を責める人 | きららの心理

きららの心理

アダルトチルドレン専門カウンセラー
心の在り方について綴っています

自分を責める、他の人を責める、こういう人は自分にも他人にも厳しい人なのだと思います。

職場でミスをして責められると、意地悪をされたと思う。相手の言い方、言葉にもそう感じることはあると思います。
何もそこまで、言わなくても・・・」 と思ったことがあるなら、相手は責め続けたのだと思います。
逆に後輩のミスを責め続けたなら、相手は心から「申し訳ありません」と言えなかったかも知れません。

意地悪というと幼稚な言葉に聞こえてしまうのだけれど、分かりやすいと思い、あえて使いますが、
責めることと、責め続けることを区別して考えると、責めるのは、自己責任を取りなさいということだと思います。
責め続けることは意地悪になるのだ思います。

自分を責め続ける、自責の念が強いと、どんどんネガティブ思考に陥ってしまいます。責める自分を嫌いになります。嫌いだから責めてしまうということもあります。
責め続けると、一歩も踏み出すことが出来なくなります。

相手を責め続けると、相手は必ず背を向けます。責め続けると、人は逃げたくなり、逆切れしたり、自分を正当化しようと一生懸命に言い訳を言ったりします。
正しいことを言われても、正しいことを言われるからこそ、責め続けると素直に謝れなくなります。

自分を責め続けても、相手を責め続けても、事態は変わることはなく、解決の糸口はますます閉ざされます。
たぶん、そんなことは分かっているのだと思います。分かっていても、責めずにはいられない、責め続けてしまうのです。
誰も好きで自分や相手を責めたりしてはいないのです。ただ、気持ちのやり場が無いとか、感情のコントロールが出来ないとか、そんな時に責め続けるという攻撃的になってしまうのです。

責めるというのは、正しいか間違いかに捉われている場合があります。そこには、自分の持っている 「べき」 という考えがあるものです。
親ならこうすべき、夫ならこうすべき、友達ならこうすべき、上司なら・・・、先輩なら・・・と、自分のゆるぎない正しいと思っている 「べき」 です。
そして、その「べき」という枠の中に自分も他の人も当てはめています。枠からはみ出すと責めるということになります。

責め続けている時というのは、解決策を考えることも自分を見つめ直すことも、相手の気持ちになって考えるということがありません。

過去に対しても執拗に思い出しては、あの時、私は~出来なかったのがいけなかった、あの時、こう思っていれば今とは違っていた、こうしてくれなかった、こう言ってくれなかった、と過去を責めるクセがあります。解消されていない思いや解決していない出来事があるなら、尚更そうなります。

自分を責める時、自分だけが悪いという思いが常にあると思います。
失敗や嫌な出来事にこだわり続けているので、自分を許すことが出来ずに、責め続けます。

相手を責め続ける時、怒りが納まっていないからなのです。怒りに任せて、自分が正しいと相手に分からせる為、相手が間違っていると認めさせる為に責め続けています。

責め続けない為には、許すということも大切なことです。
許すというのは、いいよ、いいよと見過ごすことでも、無かったことにすることでもありません。
起こったことをしっかりと受け止めた上で、許すという思いになるものです。
許すとは、自分の中の許容範囲を広げることです。許容範囲とは、そこまでは良いとして、認める、大目に見るということです。

ただ、矛盾しているようですが、どうしても許せないと思うこともあると思います。事の重大さによっては何が何でも許さなければならないというものでは無いのだと思います。ただ、間違ってはいけないのは、許すことが出来ないということが、憎むことではないということです。
憎むとは、また別の気持ちです。

「べき」に縛られていると、なかなか許容範囲を広げることが出来ません。
許容範囲を広げる為には、自分の持っている 「べき」 という思いを緩めるか、または、そうではない考え方もある、思い方もある、違うやり方もある というように視野を広げて考えてみることす。


「北風と太陽」 という話しは良く知られている話しかと思います。
北風と太陽は旅人の上着をどちらが脱がすことが出来るかという勝負をします。最初は北風が、強い風で旅人の上着を脱がそうとしますが、旅人はしっかりと上着をつかんで離さなかったので、脱がすことは出来ませんでした。次に太陽がサンサンと照りつけると旅人は暑くなり、自分から上着を脱いだという話しです。

この話は物事に対して、厳罰で挑む態度と寛容に対応する態度との対比です。
冷たく、厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるけれど、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって、自分から行動してくれるという教訓なのです。

この話しの前にもうひとつの勝負が実はあったとされています。
それは、旅人の帽子を取ることでした。最初は太陽が照りつけると、旅人は帽子をかぶり、取ることをしなかったのです。次に北風が力いっぱい吹くと帽子は簡単に吹き飛んでしまいました。

この二つの勝負の教訓はこうです。
何事にも適切な手段が必要だということです。一方で成功したからといって、他方で上手くいくとは限らない、その逆も然り。結果を見据えて、手段を選ぶということです。

これは視野を広げることの教訓だと思います。

今、悪いものを刈り取っている人はその過程に問題があったということであり、手段を間違えている可能性もあります。それを見直す時なのだと思います。見直して、良いものを刈り取る準備と新しい手段を考える、そして良い(自分の望む)結果の為に行動をすることだと思います。

過去は変えることもやり直すことも出来ないけれど、過去から学ぶことはいくらでも出来ます。それは自分や人を責め続けることではなく、相手のせいにすることでもありません。
自分のして来たこと、していることを見直してみることだったり、相手の気持ちを自分に置き換えて考える事だったり、先入観や思い込みをしない為に、前向きに反省をするなら、責め続けることは時間の無駄だと気づくはずです。

そして、北風と太陽の話しも思い出してみるといいかも知れません。