GW明けの1週間、忙しくてあっという間だったけど、なーんか疲れました 無気力ピスケ
 
やっぱ休み明けはしんどいですね。

皆さまも、お仕事だったり、お子さんのフォローだったり、1週間お疲れ様でした ニコニコ


さて、タイトルの自立ですが、子ども達ではなく私のことです。


昨年の春、娘が大学進学とともに、秋には息子が留学で家を出ました。

思いがけず、こんなに早いタイミングでの夫婦二人暮らし。

夫は忙しくて、家に一人でいる時間が増えました。


そんな暮らしにも、そろそろ慣れてもいい時期ですが、むしろ益々寂しさが増しています ショボーン

子どもが側にいなくなって気付いたのは、自分がいかに子どもに依存していたかということ。

子どもの学校のことや習いごとで忙しくしたり、あれこれ心配したり、小言を言ったり、世話を焼いたり。

そんなこんなが、私の意識の大部分を占めていたんですね。長年にわたって。


寂しくなると、つい子どもの声が聞きたくなります。

息子には無闇に連絡しないようにしていますが、娘とはかなり頻繁に連絡をとって、おしゃべりしてます。

娘が毎日のように電話してくるから、というのもあるんですけどね。

今、娘とはとても仲良しだし、昨日も娘はLINEで、「ママ大好き❤」とメッセージを送ってくれました。

そんな風に子どもに言ってもらえるのは、とても幸せなこと。

でも、やっぱり親は子どもに依存しちゃダメですよね。

娘が頻繁に電話をくれるのは、もしかしたら私の寂しいテレパシーに反応しちゃっているのかもしれません。


息子の不登校を引き寄せた要因のひとつに、私の子どもへの依存があるかもしれないなってことも、ずっと自覚してました。

子どもの人生と、自分の人生を一体化させてしまって、その結果、子ども達に不要な期待をかけてしまってました。

息子が学校に行かなくなってからは、不登校問題が私の一番の課題で。

ある意味、それを生き甲斐にしちゃってたのかなぁ、とも思います。

そう考えると怖いけど ショックなうさぎ


今も、離れて暮らす子ども達が心配で、気になって、寂しくてしょうがない私。


息子の不登校を機に、自分がいろんな面で良い方に変化したと自負してるけど、この「自立」が最後の課題と言ってもいいような気がしています。


これが出来た時、私自身も子ども達も、もっと自由になれるような気がしています。


仕事を持って、趣味もあって、一見自立してる風の私。


でも、そういう表面的なことではなくて、内面的にちゃんと自立した人になれるよう、自分の心の声を聞いて向き合っていきたいなって思います。



そう言えば。

この間、息子に「ママのハゲは孤独ハゲやな」と言われました。

おお、、、

寂しがってること、息子にもバレてます てへぺろうさぎ



最後まで読んでいただきありがとうございますカナヘイハート