◆ 気仙沼市の福祉の現場から ◆ その1 | ハッピーライド

ハッピーライド

みんなの楽しいをカタチに
 ハッピーライドです。

           ハッピーライド 篠 原 淑 恵
 
 震災後、テレビ等で毎日流れる東北のニュース…避難所の方々の生の声も放送される中、あまり報道されない福祉の声。障がい者の方、高齢者の方はどう過ごしているのだろう。
 福岡で東北のような災害が起こった場合、障がい者はどうしたらいいか。震災後から話合いが行われている。皆、口ぐちに「どうしようもないね~。怖いね。死んでしもうた方がよかね。」と言っている。この言葉のとおり、どうしたらいいか思いつかないのだ。
 私達ハッピーライドの中には、メンバー自身が障がい者であったり、家族に障がい者を抱えていることから、少しでも現場の生の声を聞かせて頂き、皆に伝え、これからの災害対策に役立つような障がい別のマニュアルを作成したいと思い福岡を発った。
 気仙沼でお寿司やさんの経営をしていた被災者の鈴木さんと幸いにもインターネットで繋がって、被災地を案内して頂くことになり、気仙沼市障がい者生活支援センター、社会福祉法人洗心会の生活介護事業所「夢の森」とワークショップ「ひまわり」を訪問し貴重なお話を聞かせていただいた。
 震災当日を振り返り、皆さんこう語っている。「地震の時、施設の中にいて津波の警報は入らなかった。時々地震は起こっていたので、今度もいつも程度のかと思っていたら、何か違う…これは大変なことが起こるかもしれない。何故だかわからないけれど、物凄いことになる予感があった。そう思った瞬間、利用者さんを守るべく安全な場所へ誘導しました。突然電気が止まり、真っ暗闇になって何が起こったのか分らないまま寒さと闘い皆で励まし合いながら一晩を過ごしました。とにかく必死でした。」と。
 大きな災害となったので、避難誘導は大変だったのではと尋ねてみると、「日頃から訓練もしているし一応マニュアルもあったので、動揺することもなくその辺は大丈夫でした。でも、今回は予想以上なので…」と皆さん同じ答え。
 施設の職員の皆さんは、ご自分の家族の安否確認や家の状況も分らないまま24時間体制で何日も利用者さんが落ち着くまで付き添って対処したとのことです。
 
~ 気仙沼市障がい者支援センターの職員の方々からのお話 ~
  障がい者生活支援センターは鹿折地区の市民総合福祉センター「やすらぎ」の3階にあり、地震が起こった時はまだ利用者さんがセンター内にいる時間でした。地震によってエレベーターが止まり、約40分後に津波の被害を受け2階まで浸水しました。
 車イスの方や歩行困難な方を職員で抱えて階段を上がり、屋上へ避難しました。
  この施設は3階建てで避難場所に指定されていたにもかかわらず、このような状態になってしまって残念でなりません。広いサロンや新規事業もオープン間近だったのに全部無くなってしまいました。現在は児童相談所気仙沼支所の一角を借り、携帯電話のみで相談業務も再開しています。
  職員の車は全て流され、1台だけ残った公用車も入れる燃料がないので何時間も歩き回って利用者さんの安否確認をしてきました。まだまだ連絡のとれない方が多くいらっしゃいます。私達は生きていたら「よかったね」、とりあえず見つかったら「よかったね」、葬儀ができたら「おめでとう」という状態です。
  
 センター外で支援をしていた職員さんは、「地震が来た時、とても立っていられず利用者さんと座り込みました。そのうち津波警報が鳴り始め、6mの津波が来ると聞きとにかく高台を目指して避難し始めました。すると警報が「遠くの高台へ逃げて下さい」から「近くの高台に逃げて下さい」に変わり、これは大変だと急ぎました。そうこうしているうちに水がわぁっ~と流れて来て、目の前で手を振りながら沈んで行く人、車に乗って避難していた人が車ごと丸呑みされて行く…ただ見てるだけでなす術がありませんでした。」と言葉に詰まりながら語って下さいました。
  
 【対策として良かったと思われること】
   ・日頃から防災センターや危機管理センターと密にコミュニティをとっていた。
   (見学と称していろんな障がいの方を連れて行き、センターの人にこの障がいの時には何をどうしたらいいかわかってもらえるようになる。そこから道で会った時でもその人に合ったコミュニティができる。)
   ・聴覚障がいの方の為に支援物資として「らんたん」をお願いした。
    (障がいのある方がいたおかげで灯りを手に入れることができたと感謝された。いつもは厄介者扱いされているが皆の役に立ったと思えて嬉しい。)
   ・「避難場所」と「避難所」の違いが分らない人がいるので、徹底して違いを説明
してきた。自分の地域の「避難場所」と「避難所」をしっかりと認識してもら
うようマップ等を作成して配布していた。(マップは災害に分けて作成)
   ・避難する時の想定時間も考えるよう指示していた。
   ・避難者名簿をすぐに作成。これはとても役に立った。


【避難について】
   ・警報が鳴ってから、津波が到達するまでの時間はかなり微妙な時間だった。
    避難するのに十分な時間とは言えない。
   ・警報の聞こえない場所がかなりあった。(特に建物の中)  
・市民は日頃から訓練や対策委員会などを開き防災に対する意識はかなり高い。
    にもかかわらず、なぜ津波に巻き込まれた人が多かったのか…?
    ①6mという津波が来ると聞いたので、2階に逃げた人が多かった。
    ②車椅子での移動は大変と避難手段に車を選択した人が多く、渋滞に巻き込まれた。(車椅子でなくても車を選択した人が多かった。)
    ③避難所に指定されている所なら安心と思っていたら、被害にあってしまった。


 【困ったこと】
   ・何時間もトイレに行けなかった人が多くいた。身体の障がいの場合洋式しか使
えません。バリアフリーで使用できるトイレがなかなか無い。
   ・車がほとんど津波の被害にあったので、特別支援学校が学校を再開しても足が無く困った。現在はボランティアさんにお願いして毎日送迎して頂いている。


【反省点】
  ・施設に面会に来た人を被災者と直接会わせて物資等を渡させてしまったことが、
誰も面会に来ない人を孤立させてしまう結果となってしまい、配慮が足らなか
ったと思っている。
   ・県の特別支援学校に被災した障がい者を受け入れてもらいたかった。
    (バリアフリーでトイレも洋式、個室にできる部屋数も多い。)
特別支援学校も避難所に指定されているので健常者の方の避難場所にもなっているため福祉関係者だけで利用することはできない。もっと以前から県に協力を要請しておくべきだった。
   ・自分達の地域でライフラインの何が使えて何が使えないかを確認しておく必要がある。携帯電話を支援物資で頂いても、電波が入らなくて実際使えなかった。情報は常に発信しなければならないし、受信もしなければならない。時間と共に変化していくので今何が使えるかが重要となる。