病理の結果、切除した胆嚢付近に癌が見つかりました。




ベットが空き次第、大学病院へ転院する事になりました。

母には「出来物が見つかった
そのままにしておくと癌になるから」と兄が説明しました。

退院出来ると思っていた母はそんな説明にも泣いていました。




転院先に決まった病院は、現在私が通院している大学病院と同じ病院。

今は場所も変わり、新しくて広くてホテルの様だけど

母が入院していた13年程前の大学病院は、狭くて古くて暗くて

まるで刑務所のようでした。

その時の私の心境がそう思わせていたのかもしれませんが…。




2000年4月 《母 68歳》

今でも忘れない、転院の日は娘の保育園の入園式の日。


入園式を終え、私は娘を連れて、そのままの服装で大学病院の病室を訪ねました。


真新しい園服姿の孫を見てベットの上で涙を浮かべて喜んでくれました。

後で思えば、母が娘の園服姿を見た最初で最後でした。



大学病院では連日の検査。

手術用の自己血輸血のための採血。



それでも、胆嚢切除術から時間がたつと共に

少しづつ食欲も出てきていた。

食欲が出てきた頃に検査のための絶食。

そんなことを繰り返す毎日でした。


その頃の母の細やかな楽しみは、
病院の売店で孫に好きなものを買ってやったり、
ガチャガチャをして喜ぶ孫の姿を見ることでした。



手術の日。

姉、兄、兄嫁、私で母を手術室前まで見送った。
(父はすでに他界していました。)


談話室、長い手術の待ち時間をどう過ごそうかと相談していた時

看護師さんが手術の終了を告げに来た。





余りにも短い手術時間。


嫌な予感がした…。