昨日、とても大きな気付きがあったのでこちらに書かせて下さい。

 

 

 

 

昨日の朝、とてもショッキングな話がありました。

私の近しい人が原因不明の難病かもしれないという話でした。

その病気は日に日に体が動かなくなってしまう。

と言うもので、進行すれば寝たきりになってしまう可能性もあるとの事でした。

 

 

私の母は、その人の支えになりたい。

力になってあげたい。

 

そして私も、そんな母を支えていかなきゃ。

 

そう思っていたのです。

 

 

 

でも、この

 

きっと誰もが抱く思いであろう

 

「私が○○しなきゃ」

 

という心の在り方が

 

すでに対等でなく、傲慢さである。

 

と、気付かせてくれた方がいました。

 

 

 

 

そして、自分の心を深く掘り下げてみたら

出てきたのは

 

私の中にあった母親に対する思いでした。

 

 

私は母に対していつからか

 

母を支えなきゃ

 

と思っていて、今も無意識にそのように接していた事に気付かされました。

 

 

 

それは、本来の私の居場所ではありません。

 

私が無意識にやっていた事が

 

母にとっても、母の役割。居場所を奪う行為になってしまっていたんだと思います。

 

 

 

つまり、

 

私がそうやって母を支えなきゃと思えば思うほど

母は相談事やトラブルの対処を私に求め

 

私は負担に思って苦しいのに

 

その状況を自分で作り出していた。という事です。

 

 

 

また母も、歳をとった祖母との関係に悩んでいました。

 

自分の母親だけど、これからは私が介護しなきゃ。

私が支えていかなきゃ。

 

そう思い行動するのに祖母との関係はどんどん悪化していました。

 

実の親子なのに。

 

もう、他人と思わないとやっていけない。

 

一時はそこまで悩んでいたのです。

 

 

 

でも。

これも結局同じこと

 

それぞれの役割。

本当の自分から逸れてしまったからこうなっていったのだと今なら解ります。

 

 

 

 

 

アドバイスしてあげたい。

この人を変えてあげたい。

私が支えなきゃ。

私が頑張らなきゃ。

 

 

きっと、家族だったり夫婦だったりいろいろなシーンで

こう思う事は多いんじゃないかな?

 

 

 

それが深刻な問題なほどに陥りやすい。

 

 

けど、

 

ありのままの私。本当の私。

 

結局これが全てで、これが本当の意味で解ると

 

 

もう障害があるとか、寝たきりとか関係なく

 

相手と対等に相手をリスペクトする関係ができる。

 

 

 

支えるとか支えられるとかじゃなく

 

お互いが高めあえる関係。

 

 

 

 

起こる事にはすべて意味がある。

 

それぞれの視点で

 

それぞれの悲しみ苦しみ

 

色々ある。

 

 

それでいいのだ。

 

それぞれが、目の前の出来事の中から自分に気づき

 

本当の自分になる事。

 

 

それが、本当の意味で相手の助けになるのだ。

 

 

 

病気があっても、寝たきりになったとしても

 

自分の命を自分で輝かせる事は出来る。

 

それを信じて、相手もありのまま受け入れる事。

 

 

 

 

そんな事を気づかせて頂きました。

 

 

 

今、心の奥深くが癒されたような

そんな感覚があります。

 

 

 

ブログってすごいな。

 

会ったこともない。

誰かの記事で

 

ここまで心を動かされる事があるなんて。

 

 

 

 

この場をかりて改めてお礼を言わせて下さい

 

和田真紀様。本当にありがとうございました。