東京下町ことば | ・・・・・昭和30年代築地あたりの横丁ばなし・・・・・

・・・・・昭和30年代築地あたりの横丁ばなし・・・・・

終活カウンセラー・FP技能士として、「わたし手帖」作成のお手伝いをしています。 
   
自分自身のこれまでを振り返る中で懐かしく思い出した子ども時代(東京築地あたりの昭和30年代)の
あれこれを書いていきます。 (→写真は聖路加病院前での記念撮影。左端)

調べ物をしていてたまたま見つけたサイト
東京下町ことば
http://www.muse.dti.ne.jp/~squat/tokyoben.htm

懐かしさでいっぱいになりました。
普段使わなくなって
すっかり忘れていた物言いとか
そんな風にしゃべっていた
家族はもとより
近所のおじちゃん、おばちゃんの顔が浮かんできて
しみじみしてしまいました。
しばらくの間
横丁で遊んでいた時代に
タイムトリップ。

一人暮らししている姉にもこのサイトを紹介して
今度一緒にもりあがろっと。


ただ、江戸(東京)のことばも
職業、地域によって微妙に違っていますね。

通っていた小学校は築地小学校。
ほとんどの子が魚河岸関連の職業の家でしたが
その家々でも例えばお母さんがよそから嫁に来たとすると
微妙にその言い回しが影響していたり
ごくたまにサラリーマン家庭の子がいると
これまた、言葉遣いが違っていたり。
他の方言と同じように
その頃普及し始めたテレビなどの影響で
共通語のほうがちょっと上等、という
意識もあって、だんだんに言い回しが
変わっていったということも
あるのかもしれません。


時には私のほうが少数派ということもあって
上でご紹介したブログにもかいてあった
「おみおつけ」

これ、我が家では「おつけ」だったんです。
子どもながらにちょっとコンプレックスで
(おみおつけのほうが上品っぽかったので)
人前ではおみおつけといっていましたが
大人になってから志ん生師の咄のなかに
「おつけ」という言葉が出てきて
なぜかホッとした思い出があります。(笑)