私の田舎 | 幸せ介護はハピネス♪ 出会い~幸せ~絆 そして信頼関係へ…

私の田舎

おはようございますヾ(@°▽°@)ノ渕辺です音譜




10月28日に神奈川に戻り、急なシフト調整が必要で


羽田からご利用者様宅へ直行しケアがありました。





偶然ですが、父の訃報の連絡を受けたご利用者様宅です。




ご挨拶するとご利用者様から・・・


お父様が亡くなられたそうですね・・・大変でしたね。」と


優しく声をかけてくださいました。



話の流れで他のスタッフから聞かれたようです。



この前、いらした時にお電話があったでしょ?

 その時に連絡がきたのよね?  辛かったでしょ

 お父さんといつもと様子が違うね・・・って話していたのよ



優しい言葉に心がキュンとなりました。



こちらのご利用者様は、9月からのご利用者様です。




初めて介護保険のサービスをご利用になり、


当初はヘルパー利用に際し不安感を持っていましたが


今はヘルパーが来るのを楽しみにしてくださっています。(≡^∇^≡)




自分の心が弱い時には、人の情が染み入るんですよね・・・


こんな優しい方々に守られている私達の仕事


やりがいを感じた一瞬でした。




その後夕方、M様のケアに伺い無事会社に帰社。





会社のドアを開ける時には・・・「ただいま~」と大きな声。


今の私の我が家です。(=⌒▽⌒=)

 



帰社した私を会社にいたスタッフが、笑顔で迎えてくれました。



宮崎空港で買った土産を分けてスタッフに・・・


・ういろう


・チーズ饅頭


・かるかん


・つきあげ(さつま揚げのような物)


・柚辛子明太子


・地鶏ごぼうの炊き込みご飯(お米に混ぜて炊く)


日向かぼちゃの味噌づけ⇒デイのご利用者様へのお土産です。

※塩分があるので薄く切って出しました。



どれも宮崎でしか食べられない物です。


スタッフも喜んで食べてくれました。ヨカッタデス(-^□^-)








今回、宮崎に帰ったのは9年ぶりでした。



父が57歳で怪我をした以降は・・・



私が田舎に帰るというより定期的に父がこちらに遊びに来て


3ヶ月から4ヶ月滞在するパターンが多かったのです。



私の長男を溺愛していた父は、息子に会うのを楽しみにしていました。



私が神奈川に来たことでこの5年間はその夢も叶わず・・・



それでも昨年、私の娘の結婚式に上京した際、


娘の家に1週間滞在し、骨折し療養中の息子と時を過ごしました。




亡くなる前に母に・・・


今度、千葉に行って孫に会いに行きたい。

 歩けなくなる前にもう一度千葉に行って雄○に会いに行きたい


  と話しており、千葉に遊ぶに行く計画を立てていたそうです。



母がうつとなり、実家で暮らせなくなってから次女宅で同居が始まりました。


父は自分の生まれ育った地元に帰ることを望んでいました。



失語症・・・高次能機能障害・・・


てんかん発作を度々起す父は、実家で倒れると救急車で地元の病院へ搬送。


近所に住む叔父が妹に連絡して迎えに行くことがあったそうです。



小さな部落は、ほとんどが親戚。


実家の前の家は父の従兄弟が住んでおり、


父が帰ってくると家の電気がついている・ついていないで安否確認。


仲が良かったので父もよく遊びに行っていたようです。




父がいなくなった前日に夜に


家の電気がつかないので心配していたと話しをしてくれました。




27日実家に帰った際には、父の遺影を持ちご挨拶に伺いました。



父の歩いてきた道をたどると、父が実家に帰った時の様子がわかりました。



実家から次女宅までは車で2時間半かかります。



57歳以降・・・会社の仕事が出来なくなった父は


農業の仕事をすることで、自分のできる事を探していました


現役の頃のようには、当然仕事はできません。



本家である叔父や私の従兄弟のお兄ちゃんが中心となり、


父は自分の出来る範囲で農作業をしていたのです。



当然に体が思うように動かない父は十分な農作業はできず、


叔父自身も父の体調を心配していました。



叔父が説得しても言い出したら言う事をなかなか聞いてくれず


手を焼いたと話しをしてくれました。




以前、私の家は農家和牛を10数頭飼っていました。


父の怪我をきっかけに和牛は全て手放し、


残された物は、お米作りでした。



自分の家で作ったお米を家族や孫に食べさせたい




それが父の希望でした。




皮肉ですが・・・足腰の弱ってきた父は、今年の米作りで引退を考え


従兄弟に全てを託す事を決めていたそうです。




私達娘が父を一人で実家に帰していたことは、やや無謀ではありましたが


父が父らしく余生を送ってほしい・・・という思いからの行動でした。




現実、仕事をしている次女がずっと実家で傍にいる事は出来ません。


実家に帰った時には、叔父に父の事をお願いするしかありませんでした。




親族の挨拶では私達の勝手な思いで叔父を始め親戚の方に


ご迷惑をかけたことをお詫びしました。






私が会社のスタッフやブログで知り合った方々に支えられているように


父も実家に帰った時には親戚や近所の方々に支えてもらっていたんだと


宮崎で滞在中実感した数日間でした。




久しぶりに帰った田舎では慌しい日々の中、時間はゆったりと感じました。


神奈川の時間と、宮崎の時間は一緒なのに不思議でしたが


きっとそれは、その土地に住む人柄もあるのかなと思いました




宮崎の人はのんびりしています。


同年代の従兄弟ものんびり・・・


田舎に帰るとすごく癒された感じになります。




若い頃は、夜8:00以降周りが真っ暗になり遊ぶ所もありません。




学校卒業後、早く都会に出たいビックリマークと思いました。


でも自分自身が年を経て考えが変わったのか?


ちょっと微妙な感じになってしまいます。




今回の帰省で26歳の長男が宮崎に住みたいと相談してきました。




現在は食品関係の仕事をしています。


本社勤務ですが・・・


宮崎のフランチャイズのお店に就職をして勤めたいと言い出しました。


私にとっては衝撃的な一言でした。




長男には一時的な感情だけで自分の将来を決めるのは


よくない事だから時間をかけて考えるように話しをしました。




その事については今度2人でゆっくり話しをするつもりです。




時の流れとともにいろいろな事があります。


子供時代過ごした実家・・・


家庭を持ち子供を出産し子育て・・・


やがて子供が成長し大人になり親離れしていきます。



親が経験した事を、私も経過を追って過ごすことになります。




両親が私達にしてくれたことを忘れず


その思いを子供達へ伝えていきたいと思います




日々業務に追われ殺伐と過ごす私に・・・



父がくれた大切な時間となりました



   ・・・お父さん・・・ありがとう


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