母の日に思う、母とのこと
母という存在には一生きっとかなわない私は今、そう思ってる*母とは本当にいろいろあった長女だった私は、両親にとってはじめての子当日、母がつけていた母子手帳には産まれたての私を見た母の「かわいい」という声が書き留められている大人になってそれをみた時、母の私へのあたたかな眼差しを感じたことを覚えてる 父はとても忙しい人で、仕事で家をあけることもしょっちゅう実家からも遠く離れた場所で、もとから誰かに頼るなんてことが苦手で、一人でなんでも頑張ってやって生きてきた母にとっては子育てはとっても大変だったんじゃないかと思う年子の妹と二人を一人でお世話して、朝から晩までずっと忙しそうにしてた姿を今でも覚えてるだから、子どもの頃の母は「忙しい」が口癖で、忙しさにイライラしてて、子どもながらにもその気配を感じてとてもじゃないけど遊んでなんて言えなかった*躾にもとても厳しい人で、お箸の使い方から姿勢、言葉遣い、振る舞いまで、たくさん注意されて怒られた小さな頃の母は、怖い人で怒る人っていう印象だったそこから少しずつ大人になって、仕事をしはじめてからは、母といろんなところが似てると感じることが多くなった冒険心と好奇心が旺盛なところ人目を気にせずになんでもやりたいことはやっちゃうところ生き方とか人生哲学的な話とかもたくさんしたでも、あまりにも距離が近すぎて、そして、母にとってはどんなに大人になっても私は子どものままでいつまでも、こうしなさい、ああしなさいと叱られていたそんな母と子としての関係がしんどくなって、いつまでも子どもをしつけるみたいに怒らないで!と喧嘩して以来、何年もずっと距離が空いてしまっていた*母は頑なに一人で生きようとする人で、信用できるのは自分だけだよと昔から言っていたそう思うようになった理由を、大人になってから知った無邪気に人を信じて生きてきた中で、何度も裏切られて悲しい思いをしてきたことだから、人を信じられなくなったこと一人で生きた方が楽だと思うようになったことそして、娘である私にも「いつまでも子どもみたいに叱らないで」と言われたことで、娘にも心を開けなくなってしまったということも*それからずっと、母は私と会うこと、家族みんなで過ごすことを避けてきたどんなに誘っても、頑なに「うん」と言わなくなったそんな心を閉じた母の姿を見て、私自身も、娘として愛されてきたのかわからなくなったほんとは妹の方が可愛かったんじゃないか私の性格のこと、結構ボロクソに言われたなぁ私のことそんなに可愛くなかったのかな…今でも私のことたいして大事に思ってないんじゃないかなそう思いながら、いつしか空いてしまった母との距離をどうやって埋めればいいのかわからない日々をずっと過ごしてきた本当はもっと、ありのままのポンコツな私のままで、愛して欲しかったその叶わない私の中にあるわだかまりのような思いは、いつか解消されるのかな…もしかしたら、母が生きてるうちに、母との関係かよくなることはないのかもしれないと、半ば諦めかけていた*そして、今年の母の日それでも電話をしようと思って、実家にかけてみた母の日だから電話してみたよそう言って、他愛のない話をして、最後に母は「ありがとう」と言ってくれたもう、その言葉だけで十分だった*電話を切った後、涙が止まらなかったほんとは母からの愛が欲しくて、でも叶わなかったと思っていたのは間違いで母は、私が生まれた時からずっと、どんな時だってそのままを愛してくれていたそれを私が受け取れていなかっただけお腹の中に命を宿して、10月10日、自分の体の中で育んでくれた母命をかけて、この世に私を生み出してくれた人抱っこしてくれて、寝かしつけてくれて、おっぱいをくれて、優しい言葉も、あたたかな眼差しも、ずっと変わらず注いできてくれた人そうやって私という命ひとつを、自分の命をかけて育んで、生み出してくれた母という存在には、一生かなわないって思う*母との関係に悩む人は、何も私だけじゃないどんな人にも、その人だけの母と子の物語がある拗れてしまった関係もあれば、仲のいい関係もあるし、どこかで変わってしまったものも、変わらずにあるものもあるだろうもしかしたら、憎む思いや、怒りや悲しみ言えなかった思い、伝えられなかった本音もあるかもしれない母だから、子どもだからって思って、近いからこそうまくいかない関係性に思い悩むこともあるかもしれないだけど、どんな関係性の中にも、きっと愛も優しさも喜びも幸せもある今はたとえ気づけなかったとしても、癒えない傷があったとしても、誰もがいつかその愛に気づける時がくればいいなと思ういま、あなたの命がここに生きているということは、あなたには母がいたということだからその命のつながりを、ほんのひとときでも慈しめたら…そんなことを思った今年の母の日でした