およそ二年ぶりの更新です。
母がこちらからあちらへ瞬間移動してから
五度目の母の日です。
ささやかながらカーネーションを買って
部屋と店に飾りました。
心の中でたくさん対話しました。
生きてるうちにもっともっと話をきいてあげたかったな
今になってそう強く思います。
戻ってきてくれたらなんにもねだらない。
むしろなんでもしてあげたい。
と言いつつ
実際戻ったらまた色々ねだられるの
わかってるからか母戻ってこない。
私の店は西新井大師の裏手からだいぶ離れたところにあります。
母は金比羅山の麓、九人兄弟の末っ子として生まれ育ち
都会での暮らしに憧れて兄弟の中で唯一人
家族中の大反対を押し切って上京したそうです。
その地が四国とも縁の深い足立区西新井大師裏手。
そして私が産まれます。
私の幼少の頃の写真はほとんどが大師で撮ったもので白黒写真です。
母が亡くなる直前まで大師の毎月の縁日はよく一緒に歩きました。
そんな地で
『インコ雑貨と遊びのはんこや』という生活感希薄で
ある意味特殊な客層をターゲットとする店を営むには
いささか不利な立地条件の下オープンから6年経とうとしています。
オープンの資金も母に借りたまま
暑い盛りに大変だった引越しも
手伝ってもらい
母に甘えてばかりで脛かじりつくして
なんという親不孝でしょう。。。
オープンから一年経たずに母は急逝してしまいました。
自分の命とこの店を引き換えに、、、
何の恩返しも出来ぬまま
安心させてあげることも出来ぬまま
踊りが好きで、笑うのが好きで、背筋がぴんと伸びていて
元気で働き者で優しくて身近な人の物まねが得意で
自分のこと後回しで苦労ばっかりして生きていた母。
私のはんこの仕事をずっと応援してくれてた母。
亡くなる一ヶ月前まで舞台で踊ってた母。
当時、あと一年生きられないと知ってたらこの店はやってなかった、、、
とてもそれどころではなかったと思う。
だからこの店は言わば母の奇跡のおきみやげ。
神棚はないけれど母の写真は飾ってる。
ずっと見守っててくれてる。
(まだ頼ってばかり苦笑)
流れる水のように形を変えながら
行く雲のように方向を変えながら
色々な方々や鳥たち、ご縁に恵まれて
可愛がられたり助けられたりしながらの6年間。
店を畳もうと思ったのは一度や二度のことじゃない。
続けていくことは本当に容易なことじゃない。
ここ最近も更新を目前に控え
もう手放そうかなと真剣に考えていた。
気持ちの定まらない苦しい日々だった。
だけど今日の母の日に決意した。
オープンして軌道に乗る前に
最愛の母他界
その三年後に最愛の鳥他界
このことは私を二度と立ち上がれないくらい
二度と腹の底から笑えないくらい
脳が幸福汁を分泌出来ないくらい
打ちのめしはしたけれど
このことが逆に私を強く太くしたのだと捉えたい。
このことで私は行きたい方向、生きたい方法が
はっきりしたのだと捉えたい。
母とティヨコの天国からの応援を
からまわりで終わらせないために
私は自分の人生を
面白いものにしたい。
多少しんどくてもいい。
おもしろおかしい愉快なものにしたい。
そしてその面白い波動が
じわじわじわじわいろんなところに
伝わって拡がって繋がってったらと想像すると楽しい。
ここがそんな拠点になれるようにがんばりたい。
インコのこともはんこのこともがんばりたい。
学生時代の恩師
鬼の根田
と恐れられていた先生が
卒業のときに贈ってくれた言葉です。
とても跳べそうにない飛び箱を前にして
それでも跳ぼうと走り出した奴の跳ぶ瞬間の背中を押したら
跳べるかも知れないけれど
あきらめて跳ぼうとしない奴の背中を押しても
跳べないよ
あきらめんなよ
って
背中押させてくれよ
って。
先生!お元気ですか!?
あれから何十年も経っちまいましたが
今、私跳びますからね!背中ね背中!
押してくださいね!!!
母の日の決意でした。
なんだか思いもよらず長くなりました。
一言で要約すると
がんばるぞ
ってことです。
もう一言足すと
手が空いてる方は私の背中を
押したり掻いたりしてくださいねってことです。
優しくね。
いつもいつもありがとうございます。(深々と一礼)