「そして父になる」をストックホルムで見てきました。

尊大な父親が変わっていくところや(人間の変化)、

一見強欲に見えた人物が実は良い父親だった(人間は多面的)

ということがよく描けている秀作です。


ただ、「子どもにとって何が最善か」ということが

全く真剣に議論されない社会、

それが日本だ、ということもわかります。

こういった場合に介入する子どもの権利を守る公的機関

(親のための心理カウンセラーを含む)がまったくない。

6歳になって突然、

「お前はうちの子じゃない。あっちへ行け」と言われたら、

そりゃ子どもは傷つくでしょうが。


映画では「元に戻すのが普通」と言っていましたが、

ウィキペディアの「新生児取り違え」の項目では

「子どもが未成年のときに発覚した場合は、

そのまま養親が育てる場合が多い」

とあり、ちょっとほっとしました。


映画だからあっさりと交換するように描かれていますが、

実際に子どもを実の親元に戻す場合には、

もっと時間をかけて丁寧におこなっていらっしゃるでしょうね。


とはいえ、日本ではまだまだ「子どもは親の私有物」

という考えが強いと思います。


まだ私が日本に住んでいたときに児童虐待死事件がおこり、

そのことについてアメリカ人と話していたら、

「どうして近所から虐待しているようだという通報があった

ときに、警察はその家の内部に踏み込まないのか?」

と驚いていました。


子どもの体罰も日本ではOK。

だから子どもを殴っても「しつけだから」という親の言い訳が

認められがちになります。


昨日某所でおしゃべりしてわかったのですが、ポルトガルでも子どもに

対する体罰は禁止されているそうです。EU指令で。


子どもを叩いたり殴ったりせずにしつけようと思えば、

親に必要なのは時間と忍耐力です。

今の日本には親休暇もないし、社会全体に時間的余裕がないですよね。


リリー・フランキー役の父親が言う

「時間だよ。父親としていちばん大切なのは、子どもと一緒にいる時間」

というのは真実だと思いました。


スウェーデンで暮らすソマリア難民たちが

バンディ・チームを結成し、シベリアでおこなわれる

世界選手権大会に出場するという。

バンディとは、サッカー場くらいの屋外スケートリンクでおこなわれる

アイスホッケーのような競技。


http://sverigesradio.se/sida/artikel.aspx?programid=2054&artikel=5764867


本人たちの努力もさることながら、周りで支援していた人たちも

えらいと思う。ロシアだから、ビザが取れなければ入国できないし。

それ以前に、寄付金を集めないと飛行機にも乗れないし。


私が関心したのは、「逆手に取ってしまえ!」という発想。


まだスウェーデンで難民認定してもらえない。

ソマリア国籍のまま

だったら、ソマリア代表で国際競技会に出ちゃえ!

(これは私の想像です。ひょっとしたら既に難民認定を終えて

二重国籍の人が多いのかもしれません)

アフリカ人だから氷上競技に慣れていない

だから珍しい

話題になっちゃえ! アフリカからの初参加だ。



選手がインタビューで

「僕たちがスウェーデンでサッカーをしていたときは

地域になじむのが難しいと感じたけれど、

バンディを始めたら、地域の人たちの対応が変わった。

なぜなら僕たちは彼らのカルチャーをプレイしているわけだから」

と答えていた。


「スコアが100対0になっても、絶対にあきらめないよ」

「トーマス・クヴィック事件」

「スウェーデン犯罪史上もっとも凶悪な連続殺人犯」だと騒がれ、

7つの裁判で有罪になった男性がいた。

本人は約30人を残虐な方法で殺したと自白していた。

ただし、自白がなされた場所は精神病院の中だった。


ジャーナリストや識者が「彼を有罪にするのはおかしい」という指摘を続け、

本人も2008年に自白を撤回。

2010年から本人は各裁判の再審を請求しはじめた。

今月、有罪となったすべての裁判が見直され、彼の無罪が確定した。

(再審はおこなわれなかったが、検察が起訴を取り消し(?)、

彼は無罪放免された、ってことみたいです)


トーマス・クヴィック(本名ストゥーレ・バリヴァル)は1950年生まれ。

1991年から精神病院に収容され、そこでのセラピーの過程で過去の犯罪を

セラピストに「自白」していたらしい。


1990年代に彼はこうやって「自白」を続け、

1994~2001年におこなわれた裁判で有罪となった。


彼が「自白」した事件はすべて、1964(本人14歳!)~1996年の

30年間(長いねえ)に発生し、被害者が殺されたか

行方不明になっているもの。


有罪になった事件は、1976~1988年におこったもので、

いずれも被害者の死体は発見されていない。

目撃者もいなければ、犯人を特定する物証もないまま、

クヴィック本人の自白を重視して有罪判決が出たらしい。


というのが概要なのだが、これを聞いてたいていの人はこう

思うだろう。

「それ、ほんとに法治国家の裁判なの?」


昨年8月10日に放送された Radio Sweden (英語)の番組 のなかで、

アナウンサーが、これらの判決に批判的なあるジャーナリストを

インタビューしているのだが、その質問のひとつが


ア「検事は、彼の『自白』を本気にしたんですか?」

ジャ「難しい質問ですね」


このジャーナリストの話を要約すると

「クヴィックは犯罪をおかして精神病院送りになり、自分を

役立たずだと感じていました。

また、唯一接触できる相手はセラピストだけでした。

本人が『恐ろしい話』をすればするほど、病院の人たちに

相手にしてもらえたのです。

そのうち警察が来て、マスメディアも来るようになりました。

そうしてクヴィックはやっと、世間の関心を得ることがで

きたのです」



スウェーデン製のゲームとして有名なマインクラフト。

2013年11月5日の Dagens Nyheter 紙に、年次イベントのマインカンの様子が載っていたので、

少し要約してお届けします。


3,400万本――『マインクラフト』の販売総数。

15億クローナ――2012年のモヤング社の収益。

1人――ゲームのオリジナル開発者。


 マインカン会場の入口そばで16歳の少年が、アイドルたちの姿をひと目見ようと立っていた。

「ジェブが昨日ここにいたって聞いたんだ。だから今日もきっと来るにちがいないと思って」と期待に目を輝かせる。

 少年自身はマインカンへの入場券を持っていなかったので、イベント会場わきのロビーにいることしかできなかった。しかし、本物の“ジェブ”(本名はイェンス・ベリエンステーン)が昨日、ここに立っていたのだ。彼が姿を見せるやいなや、サインを求める人たちが長い列をつくったという。ジェブはここではスターのひとりなのだ。2年前、彼が『マインクラフト』のチーフ・デベロッパーに就任すると、ゲームの生みの親マルクス・“ノッチ”・パーションは別のプロジェクトに専念することにした。


『マインクラフト』ファンのために開かれるイベント、マインカンは今年で3回目で、フロリダのオーランドで開催された。

 第一回目のマインカンは2011年のラスベガス。今回同様、熱心なファンが詰めかけていた。段ボールでキャラクターの仮装をつくった人も多かった。マルクス・パーションは、ボディガードの助けを借りないと人混みの中を進むことができなかった。

「『マインクラフト』はゲームとして成功の頂点に立った。これから人気は下がる一方だろう」そんな雰囲気が支配的だった。まったく無名のゲームがあっという間に世界的大ヒットになった成功譚は、何回も語られた。大金持ちになったゲームの作者は、世界中のインディ系ゲーム開発者たちの憧れの的となった。大企業の後ろ盾がなくても、大ヒット作品を生みだすことができる証拠なのだから。

 世間一般に言われることでは、このような大イベントがおこなわれたあとに、ファンは興味を失うそうだ。そのゲームに飽きて、別のゲームを探すようになる。『マインクラフト』は過去のゲームとなるだろう――しかし2年後の今、その予想どおりにはならなかった。


『マインクラフト』のユーザーは数百万人にのぼる。今日まで3,400万本が販売されている。2年前のラスベガスには5,000人のファンが詰めかけた。今年のマインカンのチケットの販売数は7,500だったが、9秒で売り切れた。

「チケット販売には10万人以上の申し込みがありました」と『マインクラフト』を開発する会社モヤングの社長カール・マンネは語る。

「マインカンの観客数をもう少し増やすことはできますが、10万人の観客がいるイベントでは、これまでと同じ体験をファンにしてもらうことができないでしょう。みなさんがマインカンに来る理由は、私たちに会ってサインをもらうことなのですから」

イベント会場は、飛行機の格納庫なみの広さだった。イベントの観客は、独自のゲームサーバー運営についてのパネルディスカッションや、『マインクラフト』を教育に導入することについてのパネルディスカッションに足を運ぶことができる。しかし『マインクラフト』の開発者たちを別にすれば、ファンの大きな関心事は、『マインクラフト』を題材にしたフィルムクリップを投稿しているユーチューブのスターたちだ。



会場の片隅にあるコンピュータで『スクロールズ』が実演されていた。モヤング社が『マインクラフト』のあとに発表した作品第一号だ。この二つのゲームには共通点はない。『スクロールズ』はカードを集めるストラテジーゲームで、現在では10万人のプレイヤーがいる。数人の手によって開発されたゲームにしては好成績だが、「あのモヤング社から発売されたゲームなのだから」という評価はついてまわる。

『スクロールズ』はモヤング社設立以前から企画されていたゲームだ。モヤング社は二人の友人によって起業された。すでに『マインクラフト』で成功を収めていたマルクス・パーション。そして、ゲーム開発スタジオ、キング社(携帯ゲームの”Candy Crush Saga”で有名)でマルクスのかつての同僚だったヤーコブ・ポッシェル。


 今回のイベントでマルクス自身はあまり姿を見せなかった。「『マインクラフト』の生みの親」というステータスがあるので、身動きがとりにくいのだろう。しかし、大ステージでおこなわれたインタビューでは、新しいゲームのアイデアについても触れていた。『マインクラフト』のあと、彼は新しいプロジェクトを始めたが中止している。2012年春にスペースゲーム0x10cを発表したが、そのゲームは大きくなりすぎてしまったので、マルクスはプロジェクトを中止し、数名の熱心なファンにそのゲームの開発を譲った。

 では、次に彼は何をするのだろう? マルクスははっきりとは答えない。「現在進行中の実験について、会社も僕もオープンに話さないことにしたんだ」と言う。外部の人たちの期待が高まりすぎると、会社にとって負担になると言うのだ。

「メディアはときどき大げさに書くので、そいういうとき困るんだよね」



日曜日だというのに、肩が痛くて寝付けません。



とはいえ、これでもだいぶ楽になったのです。

先週は、ご飯食べるのに箸やフォークも持てない状態でしたから。



経過を書くと、



7月4日 

コーンウォールをサイクリング中、雨上りの急な坂道で

スピードのついた自転車から転倒。

頭と右腕を打つ。

腕は擦り傷だったので、そのまま、のこり5日の自転車旅行を続ける。



7月下旬

右肩が痛み、右腕と手首にしびれがあるが、病院に行くのがめんどくさくてほっておく。


9月下旬

右肩と右腕の痛みがひどく、夜寝られない。


ついに医者に行くことにする。

いろいろあったのですが、結論から言うと、腕の炎症(inflamation)だそうです。

レントゲンもMRIも何もなし、触診と問診だけの診察結果だったので、わたしも「んん?」と

思ったのですが、たしかに服薬で症状は軽くなっている。

私は「腱版損傷」を疑っていたのですが、医者によると「手の動きから観察すると

外傷が原因ではない」と言われました。


というわけで、来週、理学療法師に予約をして、リハビリを始めます。


7月に自転車から落ちたときは「ただの打ち身。そのうち治る」と

思っていたのですが、肩の炎症って怖いですね~。

箸も持てない、夜中に激痛がするで、ここまでひどくなるとは思いませんでした。


とはいえ、PC使って仕事はしていたので、おかげさまで、

左手だけの文字入力やマウス操作は上達いたしました。得意げ


でもやっぱり、両手が使えるほうが格段に作業は速いです。

今から遅れを取り戻すべく、がんばります!


あ、リハビリもね。