昨日、心羽があたしにみかんを分けてくれた時のこと。

 

「ありがとうって、目を見て言ってないやんっ」

 

・・・と、一渇。

 

座ってみかんをくれた心羽と、立ったまま受け取って

軽く“ありがと”って言ったあたし。

 

確かに・・・。

 

目は見てないどころか、顔も合わせてなかったぁ。

 

朝の忙しい時間なんて、そんなの見事に言い訳(汗)。

 

「あいさんだって、ありがとうって目を見て言ってくれんかったら

寂しい氣もちになるやろ?」

 

ごもっとも!

(どっちが親なんだか・・・。)

 

 

この出来事で、ちょっと前に子どもえんでの心羽とお友達との

やり取りを思い出しました。

 

 

その日は雨で、お散歩の時に心羽が仲良しの女の子に

長靴を貸してあげたそう。

 

帰りの時になって、その長靴を女の子が返してくれたんだけど、

心羽がなぜか不満顔。

 

どうしたのか聞くと、「あたしが長靴をかしてあげたのに、

ありがとうって言ってくれなかった・・・」と。

 

二人とも一日遊んで眠いのもあって、心羽はありがとうって

言ってほしい~とぐずぐず。

 

女の子は、眠いのと頭をぶつけたのとでぐずぐず。

 

最後にはふたりして大泣き。

 

あたしは、心羽に

「ありがとうって言ってもらいたかったんやね。

ありがとうって言ってくれんかったら、泣きたくなるんやねぇ。

ありがとうって言ってくれたら嬉しいもんね。」

って、繰り返し言いました。

 

その時の心羽は、そんなことまったく耳に入ってない様子で、

その後もしばらく泣いて機嫌が悪かったんですが。

 

でも、みかんの出来事で、あの日のこともちゃんと心に

積み重なってたのかもなぁって思いました。

 

何かをしてもらって、「ほら、ありがとうは?」って言って

ありがとうを言わせることは簡単。

 

だけどそれだと、してもらったら「ありがとう」。

くれたから「ありがとう」っていう、形式だけをインプットして

しまいそうです。

 

ありがとうって言葉は、どんな氣もちの時に使いたくなるのか、

ありがとうって言われた時は、どんな氣もちになるのか、

ありがとうって言ってもらえなかった時は、どんな氣もちになるのか。

 

それをまず感じてほしい。

 

そうやって、感情から言葉を覚えていけたら素敵だなって思います。

 

子どもえんでは、五感で感じる体感も大事にしてくれてますが、

心で感じることも大事にしてくれているように思います。

 

子ども同士、いつも仲良しこよしではないです。

 

時にはけんかしたり、だれかを仲間はずれにしたり。

 

そんな時、園長の正人さんも保育士の美鈴さんも、じ~っと

見守ってくててます。

 

仲裁に入るわけでもなく、どちらかを諭すわけでもなく。

 

仲間はずれにされた子は、どんな氣もちでどうしてほしい

のかを自分で伝えられるようになるように、見守りながら

導いてくれてます。

 

もちろん、すぐには変われません。

 

じっくり、ゆっくりと。

 

仲間はずれにした子も、自分が外された時にその氣もちを

知るでしょう。

 

大人が間に入る前に、子どもたちを信じて待つ。

 

心羽のみかんの出来事も、そんな日々の積み重ねで出てきた

ことかもしれません。

 

“ありがとう”を、目を見ていうこと。

 

そうされると嬉しいから。

 

そうされなかったら寂しいから。

 

とっても大切なことを、改めて氣づかせてもらいました。

 

素敵な心羽さんに感謝です。