花咲けるニライカナイ

花咲けるニライカナイ

書きとめておきたい想い虫が山繭の中に蠢いている。
絹糸が解けてやがて空に土に還り浄化できるように。

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『しぼめる花』はフランツ・シューベルトが作曲した全20曲からなる歌曲集『美しき水車小屋の娘』の1つ。
一般に「冬の旅」・「白鳥の歌」と並び「シューベルト3大歌曲集」の一つと称される。

この歌曲集は「修業の旅に出た粉職人の若者が、美しい水車小屋の娘に恋をするが、狩人が現れて彼女を奪っていき、悲しく立ち去る若者は小川に語りかけ、永遠の眠りにつく」という物語からなり、20曲の歌によって語られる。作曲が開始されたのは1823年5月から11月にかけて行われ、友人の家でふと目にしたミュラーの『旅のワルトホルン吹きの遺稿からの詩集』を手にしたことでこの曲を作曲したという。
「この詩集を持って帰った翌日にはもう3曲も作曲していた」というエピソードがあるように、シューベルトはここに描かれている若者の姿に大きな共感を抱いていたと思われ、音楽にそれが十分に表れている。物語性を持たず、嘆きと諦めに満ちた男の心象風景を描いた歌曲集「冬の旅」に対して、4年前に書かれたこの「美しき水車小屋の娘」は、希望に胸を膨らませて旅に出かけた若者が恋によって次第に変化してゆく姿が生き生きと描かれたいわば「青春の歌」といえる。

シューベルトはミュラーの原詩集からプロローグとエピローグを省き、更に第6篇(『水車小屋の生活』)、第16篇(『最初の痛み、最後の冗談』)、第20篇(『忘れて草の花』)の3篇を除いて、残った合計20曲に作曲する。そして、題名を変更し、歌詞の一部に手を入れたが、大規模な変更はしていない(バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは、1962年録音のEMI盤で、プロローグとエピローグを朗読のかたちで付し、前口上、後口上として生かしている)。
この作品はテノールのために書かれており、バリトンやバスによって低く移調して歌われることも多いが、シューベルトが友人のアマチュアテノール歌手であるカール・フォン・シェーンシュタインにこの作品を献呈していることからも、本来はフリッツ・ヴンダーリヒに代表されるような、独墺系作品を得意とするリリックテノールによって原調で演奏されるのが作品の内容からみても最も相応しいと言える。
ちなみに、シューベルトは翌1824年に第18曲によるフルートとピアノのための『「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲』D802を作曲している。

      上記wikiより



 

 

 

 

 

 

出来ることなら 光の中で暮らすことは たいせつ

 

わたしの体を照らす光

 

わたしの心を照らす光

 

寒い国から届いた手紙も

 

うなされて目覚めた汗ばんだ肌も

 

悪気にまみれた人混みも

 

どれも自分に巣食う悪い菌のようなもの

 

だから

 

少しだけ湿り気のある太陽の光が好き

 

遮るものを透過する太陽が好き

 

滴の上で踊る太陽が好き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日から10ヶ月

 

ぼくはどんな感情も持つことができなかった

 

ゆいいつ人には合わないこと

 

ただ淡々と日々を過ごすこと

 

じぶんにも向き合わないこと

 

そうして甘えていたかった

 

そうして自己弁護したかったのに

 

思考は拡散し

 

星屑になり

 

何もなかったかのように

 

それでもどこかで痛みだけを感じている

 

だからこそ言葉と音が必要になる

 

こころを紐解くのは言葉

 

感情を紐解くのは音

 

明日出会う出来事が

 

どうか狭苦しい憎悪にならないように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=hrDTuXyph20

 

 

 

 

生まれて死んで逝くことなんて

星の瞬きよりも短い

なのにその中は濃くて重いガラクタでいっぱいだ

さざめき笑う声

苦しく長い日

なにもかも

そこに有ってそこに無い

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 


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嘘つき

ぼくが気がつかないと思うの?

自分についた嘘を君はまるで異国の事のように話す

もしもそのせいで誰かが深い沼に溺れても

きっと君は無関係だと笑い

不満と自慢をぶちまける

美しい月にさえ嫉妬して

わたしを見てと自慢の笑顔をふりまくの

分かってるよ。

梅雨のあけた蒸し暑い夜に

その虚しい嘘を思い出しては

ちょっと哀しくもなり箱庭を見るように安堵もする

人間をますますキライになり

そしてまた愛おしくなる。












 

 

 

 

 

 

 

重い空気のように存在してたパパンはもうこの世にいない

 

肉体から魂が離れる瞬間

 

生物が物に変わる

 

時間と空間の隙間に潜り込んでしまったかのように

 

生きる物たちみんなに吸い込まれてしまったかのように

 

スゥっと消えてしまった命の炎

 

その先には何も無い

 

ぼくはこの世に無駄に生き、いずれ同じように死んで逝く

 

春になり花が咲き秋に実をつける

 

あるいは淘汰され

 

有ったのか無かったのかすら分からないまま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今朝も山から霧が降りて、いつものように一日が始まった。 



ママンと過ごした時間はきっちり20年。 


ぼくは冷血動物のようにママンを家から切り離し 


当然のように退化する老人の精神の上に君臨する、 


今日はそう心に決めて滲み出た血液と羊水を呑み込む。 


脳性麻痺とアスペルガーの上にもゆるぎない現実の雨を降らせて 


お喋りインコの足音を黙らせる。 





可哀想とは誰のこと? 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
窓の下に映る映る冷たい月が粉々に割れて 
ぴかぴか光りながら痛々しく海へと流れていく。 

枯れた芦がメリメリと音を立てて凍っていく、 
ぼくの日々もそうやって絶えきれないくらいの寒さに凍りつくと 
きっといつか潔く砕け散るに違いない。 

本当の歌が聴こえない。 
ナニが善いことで悪いことなのかわからない。 
ぼくはどんなカオをしてるの? 

突き刺さるような明るいメールの文面も視線も 
小さな反応ひとつひとつも語れない皮膚や内蔵の沸騰も鼓動も 
例えば青いみずみずしい瓜の中に閉じ込めて 
夏になったら食べてやろう
柔らかい芽が出る前に。



でもね、 
まだ春は遠いんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬をすすむ舟がいる

 

白い、

限りなく白い、

なのにひどく蒼ざめて、

 

雪と霧と息がまじる

 

しんしんと、

鋭く、深く、高く、

ゆっくりと、

 

甘くあたたかく明るい方へ