伯父の訃報~最後の仕事 | 望む未来をご案内~花らっきょうのブログ

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日本のゼントルマン・花らっ京の「東京見聞録」
新潟県・弥彦(やひこ)菊まつりのデモ展示(一部)。 

白菊はやはり品が良い。JR上野駅、09年10月

(他の写真は、09年10月31日 若しくは09年11月12日 の記事をご参照)




本日も御覧いただき有難う御座います。
2011年から「世界に輝く法律家」。日本のゼントルマン・花らっ京です。



今月7日、母方の伯父が78歳で旅立ちました天使


彼については、昨年8月29日の記事 でも一度書いていますが、

破天荒だった自分の父親を「尊敬する」と言っていた人物です。





伯父は、かれこれ30年来糖尿病を患い、近年は人工透析を受けていました病院


私が最後に会ったのは昨年の夏ヒマワリ


その日は、先生として赴任していた高校の同窓会に参加するとかで、

比較的健康だった時でした。


私としても、彼としても、最も良い時機に会ったものと思います。




母方一門の家長というべき位置にあったにも関わらず、

生まれた子供4人は全員女子女の子女の子女の子女の子


末っ子が生まれる時は、男の子なら花火を上げよう打ち上げ花火

そこまで男子を望んでいましたが、結局花火は不発に終わった。


そのような経験を持っています。


ただ、娘たちに男子が生まれていたことが、せめてもの救いでしょう男の子




晩年は、末娘が地方裁判所で書記官をしていることもあって、

しばしば刑事裁判を傍聴していました椅子


詰所に挨拶すると、当の娘はずいぶん恥ずかしがったそうですがあせる


自分が法学部を出ていたこともあって、

娘が司法の現場にいるのが嬉しかったのかもしれません。




私にはもう一人、母方の伯父(故人の弟)がいましたが、

2001年の10月に他界した時は、私自身は学業の途中学校


何しろ、遠方に家庭を成していたこともあって、

母はあえて葬儀に呼ばなかったそうです。


幸い、今回は叔母がすぐにケータイでメールを送ってくれたので、

私もその日のうちに知ることができました携帯




私自身は、

遠方にいるのと、来月の行政書士試験とのために不義理をさせて頂き、

自宅で2日間の喪に服しました。


司法試験の論文式に合格していても、口述式が来週なので、

どのみち、葬儀には参加するなと言われたことでしょう。


年末にも仏前にお参りしようと考えています。




いづれにしても、一門で男系男子は自分の弟の子孫だけ。


そのようなこともあって、故人は、生前、遺言(いごん)をしていて、

家督と財産の相続について、詳細を定めていたのだそうです。


後の代は、自分がきちんと決める。


一門の家長として、最後の仕事をしたということに、

深く頭を下げずにいられません。


謹んで、伯父の冥福を祈ります合掌・ワイ




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