夜明け前に散歩に出かけ、大宮公園を散策する。

数日前から暖かくなり、梅の花がかなり咲きだした。

花びらを注視すると、同じ幹や枝から白い花びらの中に、数個赤い花が咲いている。写真を撮って知人へ配信すると、2本の木が重なっているように見える。との返事があった。

なぜ同じ枝から色違いの花が咲くのか、ネットで調べて見た。

赤白の斑に咲くことを「源平咲き」と言うらしい。

梅の木の「源平咲き」・・・氷川参道

源氏が白と平家が赤の旗をそれぞれ掲げて戦ったので、そのように言うらしい。妻の前で、「初めて知った」と言ったら、何をいまさらと笑われてしまった。妻は小学生の頃、祖母から教えてもらっていたらしい。なぜ平家が赤旗なのか・・・そして源氏が白旗なのか・・・

平氏は大陸との貿易を盛んにやっており、不変不滅の色として信仰していた、中国の影響を受けていたとの事。又平安時代の貴族は赤を尊び、好んだそうで安徳天皇の御座船や公家の船にも掲げられたとの事。

源氏の白旗は偽りなき結束や、神の宿る清浄な色と捉えられ、武士にふさわしい色としていたとの事。

それでは花嫁の衣装は「白無垢」で、白が使われてきた歴史は・・・・・・平安時代からと言われている。白無垢は生まれ変わりを意味するようで、生家の娘としての役割から、婚家の嫁として新たに誕生することを意味しているそうである。又神様に仕える人の衣装が白色だったことから、邪気を払い神聖な儀式に挑む衣装として白無垢が使用されてきたそうである。

・室町時代には幸菱文様の上に、白打掛を着ていた。

・江戸時代には白一色でなく。下着には紅梅色を使用したり、打掛の裏に紅絹を付けたりした。

・明治時代は白無垢が神前式の定番となる。

・現代の和婚と言えば白無垢となる。

白・赤・ピンクの躑躅満開(昨年写す)

 

お葬式と言えば

・現代は黒の喪服に白の真珠のネックレスやカフス、黒ネクタイをする。黒い腕章を普段着に着けることもある。

一方昔は、白は白無垢のみならず、喪服にも使われて来た。今では喪服の色は黒になっているが、白喪服は千年以上の歴史があるとの事。 江戸時代は白い喪服が庶民の間で、着用されていた。そして土葬で家族も参列者も白喪服であったようである。

白い喪服を着ることは、亡くなった方の気持ちに立ち、供養することや故人の不安をやわらげる意味合いも含まれている。

昔の女性は、婚礼の際に着た白無垢を残して置き、夫が亡くなった際に、白喪服として袖を詰めて着用していたそうである。(二夫にまみれずの教えが広まっており、清い心を持った良妻賢母の女性が多かったのであろうと思いたい。)

  しだれ梅の木(早朝の氷川神社境内)

 

喪服が白から黒に変わったのは、英照皇太后(明治天皇の嫡母)葬儀に、世界各国の要人たちの服装が黒であった事がその要因であるらしい。第二次世界大戦中は、戦死者の葬儀が頻繁になり白の喪服では汚れが目立ち、管理が大変なことも理由の一つとされたらしい。 遺体だけは、古来より「白装束」の白い衣装を着せることが、今も引き継がれている。

 

運動会は赤白合戦ですね。今でも赤白分かれて勝負をつけている。日本の国旗が赤白なので、国旗の色から赤白に分けたと思い込んでいた。幼い時、祭日は家々に国旗をかざしていた。今やほとんど見かけなくなってしまった。オリンピックの時の国旗掲揚ぐらいである。海外に単身赴任して帰国すると日本の良さを実感したものである。若い時に「苦労せよ」「旅をせよ」とよく耳にした。

そして今がある。今日できることを、精一杯にやる。

自分の為にも、そして他人に良い影響力を与えることができれば本望である。

ベランダに咲くサボテンの花(つぼみはピンクで覆われる)

「梅の木に枝から枝へ小鳥舞う源平咲のうららかな朝」

「富士を観て夕陽に映える空眺む真の幸福晩年にあり」

 

 

 

 

十数年前、妻と二人旅で京都・奈良の古刹巡りをしていた際、唐招提寺の鑑真御廟へと向かう参道が、とても素晴らしかった。苔に覆われた木立の間を進むと御廟へと至る。木漏れ日が射し込み一面に生えそろった苔に木々の影を映す。静寂で厳かであったことを,今でも鮮明に思い出す。そこで詠んだ歌

「鑑真の心を映す木漏れ日が俗世を忘れ苔の林に」

 

この神々しさに感動したのが最初であった。光と影が織りなす美しさに,その時初めて気が付いた。数年前より散歩を始めてから、木漏れ日の美しい被写体を数多く写真に収めてきたが、なかなか気に入るものが少ない。

 

 (蛇の池の祠)  (霧にむせぶ公園に朝陽射し込む)

「陽は昇り木洩れ日かかる祠には古代の神が氷川護りて」

「水たたえ見沼潤す蛇の池朝陽射し込む苔むす祠

 

とっておきの2枚が上の写真である。しかし木漏れ日の中に身を置いてこそ、その美しさを知ることができる。身体が融けて周りと一体感になる。実感を歌に表す力量が無いのが悔やまれる。文字で表現するのは容易ではない。現在、早朝散歩の中で木漏れ日を歌にしたのは少ない。

①氷川参道

  「朝ぼらけ十八丁の参道を精霊宿り調息無心」

  「果敢なくも今この時ぞ蝉の声木漏れ日映す氷川参道」

②氷川神社境内

  「蛇の池霊気漂う祠在り武蔵野潤す泉と蛍」

  「鎮座する水辺に祠苔むして

         木漏れ日の中我と向き合う」

③大宮公園

 

 (昔の光今いずこ・・・明治時代の茶屋跡)

「陽は昇る公園内の木漏れ日は光明照らす老木の苔」

「公園に朝の陽射し燦燦と松の梢に白雲浮かぶ」

 

 

(松尾神社)         (天津神社)

 

  (氷川の源流)      (公園の木漏れ日)

「やおらかな朝陽を受けて燦燦と

          草木が映える木洩れ日の中」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 素晴らしい夕暮れであった。

思わずシャターを切った。

黄金に輝く空に富士が映る。

太陽が沈む時、雲や空を彩りながら沈んでいく。

 「西方浄土に富士は輝く」

今まで、夕暮れの写真を数多くとってきた

朝陽に輝く富士、夜明けの富士、宵闇迫る頃の富士、いろいろ写してきた中で、冬の間に見せる富士は四季を通じて特に美しい。

  「やがて宵闇が迫る頃の富士」

毎日、夜明け前に散歩に出る。

地平線から太陽が昇る暁の頃が一番好きである。

これから一日が始まる。

天からの陽射しは散歩の足取りを軽くしてくれる。

 

              「参道脇の曙、暁の空」

 「大宮公園内の朝陽を写す水辺」

夜明けが始まる。

地平線が薄く赤くなり始めると、その上空の青とのグラデーションが魅力的である。

朝焼けは、赤の色も柔らかである。

遠慮しながら、ほのぼのと明るさが増していく。

この時が値千金であろう。

大和の國は、古来から春の曙の頃が「万金値」なのであろう。

 「北風冷たし朝陽を浴びて富士は輝く」

朝、肌を刺すような冷たい風が吹くときに富士は白い山肌を

裾迄覆う姿となる。

太陽の昇る位置は四季を通じて大きく異なる。

私のマンションから見る富士は,冬は富士の近くに沈む

夏は、浅間山の近くまで移動して沈む。

月は夜明け前に西方上空に見える時がある。ベランダからは西方の山並みが見える。

朝は3-4時に起きるので、起きてから仏壇の水を

ベランダにあるプランタンにかけてやる。

その際、空を眺める。朝陽に映える富士をとる。

月が西方に沈む前にその姿を見せてくれることもある。

     

「燃えるような夕陽」      「夜空を照らす満月」

溶岩が溶けて流れるような夕陽になることもある

月に関しては当ブログ

「中秋の名月・・・2021年8月31日付け」

陽が沈む頃、飛行機が飛び航跡が雲帯となる。


 「沈む夕日に飛行機雲が・・・」

夕陽の時に雲はいろいろな形を見せてくれる

 「ちりばめた雲に夕陽が当たり天に描く花火?」

「雲の間より差し込む光明?」

  「妖精達が集散?}

        「沈む夕陽と富士に平穏を感謝する」

富士に関しての歌を記す

1.新年の希望を胸に日々新た陽射しを浴びて富士は輝く

2.朝夕に居間より眺む富士の峰天下泰平安寧祈る

3.富士の山世界遺産も孫の次爺が聞かせる愛しき人よ

4.日本の三世の諸仏富士宿り我が立つ家で見えぬ日は無し

5.願わくば妻に看取られ春死なむ夕陽に映える富士を眺めつ

6.朝陽受け白雪映える富士の山見つめて祈る神宿る峰

7.凛然と雪を頂き天を衝く朝陽を受けて富士は輝く

8.凛として初日に映る白雪の鶴もはばたけ栄えよ大和