[事件]ニュース トピック 【東日本大震災】
「両親の味」継げず後悔 笹かまぼこ店3代目の長男
2011.4.9 12:15 (産経ニュース寄与)

 東日本大震災の津波で、仙台名物・笹かまぼこの老舗店3代目の父親を亡くした長男が、後悔の日々を過ごしている。4代目を継ぐか、別の道を歩むか-。答えを出しあぐねている間に、長年積み上げた老舗の味が津波とともに奪い去られてしまったからだ。「結局、親に甘えていただけだった」。失って初めて分かった価値の大きさをかみしめる。(市岡豊大)

 地元では活気あふれる朝市で知られる宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。創業60年の笹かまぼこ店「丸一」で、家業を手伝っていた菅野大輔さん(35)は、いまは市立名取第一中学校で避難所生活を送る。自宅と笹かまぼこ工場は3月11日の津波で流され、3代目の父、仁さん(62)と母、悦子さん(59)を亡くした。

 地区内に笹かまぼこ工場が建ち並ぶなか、唯一の家族経営。両親は「値段を上げずにうまい物を」という思いで1日1千枚以上を生産した。冷やしても柔らかい絶妙な歯応えが人気で、直売限定だったが当日中に完売していたという。

 菅野さんは大学卒業後、アルバイトをしながら何となく家業を手伝っていた。広告を出さず味だけで勝負する両親の姿勢に、本格的に作り方を教えてもらうのは二の足を踏んだ。「漠然と継ぐのではないかと考えていたが、本当にそれだけで食べていけるのか不安だった」と振り返る。

震災の日、地元の消防団員を務める菅野さんは防潮堤の門を閉め、助けを求められたお年寄りを軽トラックの荷台に乗せ、避難所へ逃げた。しかし、そこにいるはずの両親の姿はなかった。2日後、工場の近くで冷たくなった両親が見つかった。

 「代々大切にしてきた機械を守ろうとしたのかも」。津波が引いた後、工場があった場所に行くと、生産に必要な機械はほとんどなかった。喪失感と情けなさで涙があふれた。

 再開を望む周囲の声には励まされるが、数百万円する高価な機械をそろえられるのか、微妙な調合や練り合わせの技をどうやって再現するのか…。4代目を継ぐと決意せず、父親のもとで真剣に修業もしていないため、何もかもまったく見当がつかない。

 どっちつかずの自分が招いた結果。しかし、前に向かっていくため、これだけは決めた。「二度と後悔はしない」と。



   親に甘えて自業の修練を受け継がなかった悔しさ。消防団員としての責務遂行。
   振り返ってみた自分の足跡。失った物の大きさ。悔やんでも、悔やんでも・・・
   しかし、意は決したようですね。後ろは見ずに前に向かってください。