呆け始めた記憶だけを頼りに、書いたので、間違えました!

謹んで訂正します。引用した「ふるさと」の詩文の作者は、

佐藤春夫氏は間違いで、室生犀星氏でした。ろくに調べも

せずにかいたので、お恥ずかしいです。それを読んで下さり

早速ちゃんと全詩文まで添えて、ご教示くださった、大先輩

のブロガーさまに、感謝で一杯です。

ちかごろは、昔の映画の題名や出ている俳優さんたちの名も

すぐに出てこないのがしょっちゅうですが、グーグルで検索

するのも億劫に思えたり、かと言って、此処に閉じ込められて

いては、自分の頭の中の、事以外には書ける種がないのです。

テレビを見ても、新しいものにはなじめない、判らない。

超高齢者のたわごとと、思ってください。それでも読んで

くださる皆様、有難うございます。これも数少ない生きがいの

大事な一つなのです。

 

 

居酒屋でお冷ちょうだい、というと、冷酒が出てきそう、

おぶうは殆ど聞きません、昔は幼児ではなく、大人も普通に

使っていました。おまんまはのこっていますね。いろいろな

言葉が消えました。実態がなくなったものも数々、廊下は

あっても、縁側はなし、長押も天袋も御手水(おちょうず)も

なくなった。おぶうは飲むお湯っだけでなく、お風呂にも使い

ました。昔は飼い犬のエサは丼のひやめしに味噌汁をかけて

猫には、お皿の残りご飯に鰹節をかけてやっていたようです。

おかか(削り節)をかけてご飯をたべると、猫まんまでした。

おかかも、近頃言いませんね。この間、此処で「いろはかるた」

の話が出て、かったいのかさうらみの意味を聞かれました。

私だってわかっても使ったことはなし、歌留多なんて俗な

言葉のはずなのにね。佐藤春夫?の詩に「故郷は遠くにありて

思うもの、たとえ落ちぶれて、井戸のかたえになるとても帰る

処にあるまじや」とかあったような、怪しい記憶です

風俗で言えば、昔の男の人は良く帽子を被りましたね、山高、

中折れ、鳥打帽、夏はカンカン帽、ソフトと今言えばアイスが

出てきそう、街を歩く男性は、着物に帯で草履か下駄をはいて

みんな上が平らな麦藁のカンカン帽をかぶっていました、

そういえば、ステッキも流行っていましたね。握りの所の形

や材質に凝ったりして。おぼろな記憶では、家の玄関を入る

夫を待っていた奥さんなり女中が、まず受け取るのが、帽子と

ステッキだったような。またしても脈絡もない、昔話を

してしまいました。

 

テレビ番組で、「とびはぜ」を観ました。希少な魚類だと。昭和初期の

浦安は、干潟と海が広がって、東京から、潮干狩りや海水浴に出掛ける

場所でした。少し沖にはハゼ釣り船がいくつか、これは、普通のハゼを

釣って船上で天ぷらにして食べる、東京人の楽しみのイベントでした。

あの辺りは、本当の田舎で、少し手前までは乗り合いバス(市営)で

行けました。父親が釣り好きで、私を連れて、大川❓だったか荒川?

だったかの土手を歩いて海に出る河口までいき、父は釣り竿(つぎさお

手元から先まで何本かに分かれて差しつぎをする)、作者の名のついた

結構高価なさをで、私が持ったのは、細い篠竹の先に、針のついたテグス

を結んだもの、父は土手から海の方に向き、私は土手下の彼方此方に

ある、水たまりで、クチボソや小さい雑魚や手長エビをつりました。

手長はかかると引きが強くておもしろかっす。合間に河口の方に

降りて遊んでいる時に、ピョンピョンと岩の上を跳ねる魚を見つけて、

とても驚きました。魚は水の中の生き物と思っていたので!これが、

私と、「とびはぜ」の出会いです!父は自分の釣りに夢中で、生返事、

名前だけ教えてくれました。90年近くも前のお話です。

その後は、特に戦後、埋め立てや開発で、どんどん様変わり、今や、

ディズニーランドを始め、ホテル、水族館、一大観光地です!

日本橋浜町の実家は20年3月の大空襲で付近一帯まる焼け!私は牛込

河和田町の寄宿舎で、辛くも残ったが、木造の校舎は新旧ともに灰に

なり、付属病院は残ったのでした。

父母、祖母、弟は満州新京で敗戦、翌年漸くリュック一つに一人千円

持って、内地に辿り着いたのです。70歳になってい居た祖母は、

耐え切れず、弱って、途中名古屋の衛戍病院(陸軍)で世を去り、

私が駆け付けた時には、もうダメでした。それで私は引上げの惨状は

知らないが、空襲はたっぷり、そして戦後の寄宿舎では、父母たちの

消息も全く不明お金はなし、大豆や豆かす、ふすまだらけの食事のみ

少しでもお金が欲しい、ガリ版きりのアルバイトや、進駐軍の診療所

の偽x線技師やいろいろやっているううちに、酷い肋膜炎で呼吸困難

になり、入院、医学校で、学生は無料のおかげで助かりました!

浦安と魚の話が、こんなことになりました。とりあえず終わります。