ロッテオリオンズ 金田正一 監督 ニッポンハムソーセージカード | 秘宝館

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秘宝館-金田正一カード

秘宝館-ニッポンハム金田正一カード

ロッテオリオンズ 監督 金田正一 背番号34。

1973年、ロッテ監督に就任した金田は親友の稲尾和久(当時太平洋監督)と相談し、パ・リーグ人気回復策として、ロッテ - 太平洋戦を盛り立てようと、互いに悪口の応酬をして『遺恨試合』を演出した。目論見は当り、ライオンズの本拠地平和台球場では客が集まりマスコミも注目、金田とファンが衝突し暴動まで起った。だが、警察沙汰となりせっかくのアイデアも世間の非難を浴びてしまった。

上記にもあるように、当時人気が落ち込んでいたパ・リーグに話題を提供しようと率先してマスコミに露出し、親会社のテレビCMにも出演している。その豪放磊落な人柄で人気を得たが、激しい気性から様々なトラブルも起こしており、先頭を切って乱闘に参加することも珍しくなかった。こんな時でも手は絶対使わず主に足で相手を蹴飛ばしていた。第二期監督時代の1991年5月19日には、秋田市営八橋球場での対近鉄戦で園川一美の内角攻めに激昂して暴れるジム・トレーバーの顔面にスパイクで蹴りを入れており、その時の映像は何度もフジテレビ系『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』でお茶の間に流された。自らの野球人生に汚点を残すこととなった1990年6月23日の西武ライオンズ戦(西武球場)でのパ・リーグ審判員の高木敏昭に対する審判暴行事件も足蹴りである。通算7度目の退場処分を受け藤本定義に並び最多退場となる。連盟から罰金100万円と出場停止30日という重い処分を課された。その際に受けた出場停止中には、川崎球場のスコアボードの裏からベンチにサインを送っていて窒息しそうになったという。また乱闘では、足蹴り以外に右腕で殴る、バットを持って威嚇するというケースもあった。1991年5月10日の日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)で球審の判定に対して暴言を吐いたとして通算8回目(国鉄1回、巨人1回、ロッテ監督6回)の退場処分を受ける。
2005年5月29日にタフィ・ローズが更新するまで最多記録だった。
気性の激しいイメージが強い一方、実は非常に気が優しく、よく人を気遣っていたという。審判に対しても小声で「すまんがこれから怒鳴るから、悪いがしばらく黙って聞いててくれ」と前置きしてから大声で怒鳴る事も多かったという。
(Wiki)

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