急性前骨髄球性白血病を発症した私が、最後の入院加療を終えてもうすぐ四年。
先日出産して母になりました。

突然の発症に、自分が死ぬということを改めて気づかされたあの頃。当たり前のことだけど、その時がいつであるかはそれぞれだけど、必ずすべての生き物にその時がやってくる。健康で幸せな時を過ごしていると、その当たり前を忘れてしまっているだけなのだ。

私と同じ病気だった市川海老蔵さんの父団十郎さんが亡くなったのは私が治療中だった2013年、そして海老蔵さんの奥様の麻央さんが亡くなったのがつい先日。

発病したばかりの頃、私の心を重くさせたのは、まだ新婚といってもいいほどの時期にもし私が死んでしまったら一人遺されてしまう夫のことだった。強い人だけれど、もし逆な立場だったら…度々そんな思いが胸を詰まらせた。

血液内科の主治医からは抗ガン剤使用の前に、卵巣にも影響するので治療後の妊娠は難しくなることを伝えられていたものの、ブログを通じて同病で寛解後に出産している人を何人も知っていたので、催奇性のある薬を飲み終えたころ、もし子供が欲しいなら年齢的にそろそろリミットだなぁと思いつつ、子供を授かった後に再発したら…と思うと、積極的にはなれなかった。

健やかな日々が続き、この先歳を重ねて夫か私のどちらかが先に旅立つ日を想像した時、もし二人の子供がいたらどんなにか心強いだろうと思うようになった。

そんな話を夫にしても、積極的に不妊治療をしても確実に得られるものではないので、子供ができたら嬉しいけれど自然に任せようということに。

そんな矢先の妊娠発覚だった。
自分が力をもらったように、同病の方々の助けに少しでもなればと始めたこのブログに、報告すべきだなぁと思いながらも、無事に出産を終えるまで、周囲には平静を装いながらも心の底では地に足のつかないような不安の海を漂うような気分が続いていたので、何度か書きかけてもアップすることができなかった。

新しい命を授かったこと、そしてその命がこの世に無事誕生して歩みをスタートしたこと、温かな人々が涙を流して喜んでくれた。

聖路加の日野原先生の著書、『いのちのおはなし』を白血病退院後に友人にプレゼントされた。
『いのち』とは『じかん』

祖父母、父母、そして私達、受け継がれていく命とともに流れ出した時間。
これまでもこれからも、すべての時を慈しんでいきたい。