てっちゃんの生きづらさオンライン@Ameba

フリーライター・渋井哲也のブログ。生きづらさのほか、ネット・コミュニケーション、自傷、自殺、援助交際などを取材。「実録・闇サイト事件簿」(幻冬舎新書)、「解決!学校クレーム」(河出書房新社)。「生きづらい」「死にたい」「消えたい」と思ったら

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 震災によって全壊した岩手県陸前高田市の市庁舎の再建はどうなっていくのだろうか。再建場所を巡っては議論が続いている。最も有力な候補は、現在の市立高田小学校を解体、移設し、新築するというものだった。しかし、3月14日の3月定例会では、高田小跡地に市庁舎を新築するための「庁舎位置改正条例案」が否決された。そのため、市は、他の案を含めて、再検討することになっている。

「庁舎位置改正条例案」が否決される

 陸前高田市は宮城県の気仙沼市と隣接する県境、かつ沿岸南部の市だ。また、県内で隣接する大船渡市や住田町とをあわせて「気仙地区」と呼ばれている。現在、市の業務は、内陸部の高台にあるプレハブの仮庁舎で行われている。仮庁舎は、三陸道の陸前高田IC出口付近、国道340号線(高田街道)沿いにある。

 市の資料によると、これまで再検討された新市庁舎の位置は3ヶ所4案だった。

 1)高台に新たな用地を確保する、
 2)現在の仮庁舎の敷地内。その場合は、別の仮庁舎を作り、本庁舎を建設することになる。
 3)移転予定の高田小学校の場所。
   a)高田小が新しい場所に移るのを待って、改築する
   b)新しく建設する

 '13年に行われた市民アンケートでは、「仮庁舎の敷地内」との回答が41%で最も多かった。

 しかし、市側の説明では、敷地面積ではクリアできるが、駐車場の面積が確保できない。また、交通網として難しい面があるという。さらに高台に新しい用地を確保する場合、私有地がほどんどで、用地確保に時間がかかる。そのため市では、高田小跡地での建設案に絞った。

 建設費用の面でも、高田小跡地案は安かった。

 1)の場合は総事業費64億円(市の負担は24億円)
 2)の場合は総事業費45億円(同18億円)
 3)の場合で、
   a)校舎改築なら、総事業費56億円(同17億円)
   b)校舎解体し、庁舎新築なら、総事業費54億円(同11億円)

 という試算だ。

 これらの案の中で、市側は3)案のb)、つまり高田小を解体し、庁舎を新築する「庁舎位置改正条例案」を提出した。改築案ではない理由は、小学校建設の財源が不足することや、築30年が経っているため、今後のメンテナンス費用がかかることだ。市議会の3月定例会の復興対策特別委員会では、同条例案が過半数の同意を得て通過した。しかしこの採決は、地方自治法の特別多数議決案件のため、可決には出席議員の3分の2が必要だ。

 本会議の討論では6人が賛成、4人が反対の趣旨で意見を述べた。結果、賛成は10人、反対派7人となり、出席議員17人のうち3分の2(12人)を超えなかったために、否決となった。議会後、戸羽太市長は「私自身は何が何でも高田小という考えは持っていない」などとし、6月議会に再提案をする考えだが、市によると、「市長が6月定例会に提出すると会見で言ったが、それ以上でも、それ以下でもない。今後のスケジュールなどは詳細は決まっていない」といい、市議会や市民への説明会などは、まだ決まってないという。

「想定では2階以上は浸水しないはず」も浸水した旧庁舎

 東日本大震災での被害を振り返ってみる。 津波にのまれた旧市庁舎(コンクリート3階経て。一部4階建て)は、気仙川の西に約1.5キロ。海岸線まで約500メートルほどの位置にあった。

 岩手県の「地震・津波シミュレーション及び被害想定調査」('04年)では、高田松原付近で最大遡上高10.2メートル、市庁舎周辺の浸水深は50センチ以上1メートル未満とされていた。これを前提にすれば、少なくとも市庁舎は2階までは浸水しない。本部長室や副本部長室、防災対策室、総務課、対策本部を予定していた会議室などは2階以上にあるために、浸水被害にあわない、とされていた。

 しかし、東日本大震災による津波では3階まで浸水した。

 「陸前高田市東日本大震災検証報告書」('14年7月)によると、'11年3月11日には震度6弱を観測している。市内の死者・行方不明者あわせて1757人('14年6月末時点)で、人口2万4246人('11年2月末時点)の7.2%を占める。被災地では宮城県石巻市につぐ死者・行方不明者数で、岩手県内では最も大きい被害だ。市庁舎も津波にのまれ、屋上に登った人だけが助かった。公的な役割を持つ人からも多くの死者行方不明者を出した。市職員は111人、消防団員は51人、区長が11人、民生児童委員が11人だった。

屋上に避難して助かった住民の証言

 津波発生から約1ヶ月後、避難所になっていた高田一中の体育館で、市庁舎の屋上に避難し、助かった老父婦を筆者は取材していた。男性(当時74)は津波から難を逃れて、屋上で一晩過ごした。家は市役所のそば。そのおかげで助かったという。

 「大きな地震があって、避難する前、用事があって出かけており、車の中でラジオを聞いていた。そしたら、釜石ではもう津波が来ている、とのことだった。そのため、『ここにも来る』と思った」

 急いで家に帰り、避難所になっている「ふれあいセンター」に向かおうとしていると、すでに黒い波が見えていた、という。

 「線路の手前に2階建ての建物があったが、それを超えていた」

 結局、市庁舎に避難でき、屋上まで上がった。そこから見えるのは、市民会館、ふれあいセンター、スーパーだが、その屋根まで津波がきていた。男性と妻は助かったが、どこからともなく助けを求める声が聞こえた。しかし、助けようにもその手段はない。

 「暗闇から、『助けて!』という声があちこちから聞こえた。誰がどこにいるのか見えない。どうしようもなかった」

 市庁舎周辺は津波の遡上高は15.8メートルにも及んでいたのだ。

 そのため、内陸かつ高台にあった学校給食センターに市災害対策本部を移動した。その後、100メートル離れた場所にユニットハウスの仮設庁舎を設置。さらに、5月、国道340号線沿いにプレハブの仮庁舎を完成させていた。

商工会は「高田小」案を推進

 岩手県は津波対策の考え方を示している。頻度の高い津波(数十年~百数十年)に関しては、海岸堤防で、人命や財産、産業・経済活動、国土を守ることが目標だ。また、発生頻度は低いが、最大クラスの津波の場合は、住民の避難を軸に、土地利用、避難施設、防災施設などを組み合わせる方法で被害の減殺をはかるというものだ。これは岩手県のみならず、復興庁の考え方でもある。

 中心部に近い海岸では、岩手県が整備する長さ2キロの防潮堤がほぼ完成している。高さは12.5メートル。震災前よりも7メートル高い。周辺は復興祈念公園として整備される予定だ。また、津波浸水エリアは10m前後のかさ上げをした。


 高田小は震災で校舎の一階まで浸水した。高田小跡地案では、浸水エリアのため、市民には懸念の声がある。しかし、市としては、防潮堤が建設されたことやかさ上げ工事をしたために、「震災クラスの津波による浸水はない」として、安全性を強調していた。高田小の敷地は海岸線から約1.2キロ地点。旧市庁舎が約600メートルだっただけに、倍の距離になる。

 陸前高田商工会の会長で、伊東文具店の社長・伊藤孝さんは、市街地の再建プロジェクトの企画・運営もしている。商工会では、中心市街地と新市庁舎とは近い距離にあることを望んで来た。12年、新たな中心市街地形成について復興計画をまとめた。その中で、市庁舎建設予定地は、「商業ゾーンの隣接地区に」と提言していた。また、16年11月には、市と市議会に対して、「新市役所庁舎に係る要望書」を提出した。

 「市街地の活性化、経済効果など総合的に判断した結果、商工会として、高田小跡地案がいいと思っていた。場所によって中心市街地の活性化も変わるだろう。しかし、市議会で3分の2の賛同を得られなかった。市民に聞いてもだいたい(賛否は)半々かな」(伊東さん)

浸水域への建設に反対の声も

 一方、市職員で二人の子どもを亡くした戸羽初江さんは高田小跡地案に反対意見だ。発災翌日、避難所へ子どもたちを探しに行くと、たくさんの人がいた。安否確認のために窓口にいた市職員に訪ねたところ、「今私たちも屋上にいてやっと助け出されてここにいます。誰がどこにいるのかわかりません」と返って来た。戸羽さんは「ひややか」に感じたという。

 「今ならわかる。あの職員さんは、死と隣り合わせの場所で命からがら助かっても、休むこと無く働かざるを得ない状況にあった。もし子どもたちが生きていたら、あの方々と同じ状況になっていただろう」

 こうした経験がある戸羽さんはさらなる高台がよいという。

 「津波被害の常襲地域のこの土地では、一夜にして壊滅状態になる低い浸水域へ庁舎があっては、職員が十分な市民へのケアはできない。高いところにあれば、そんな思いをせずに、遺族へのケアを考える余裕が生まれるかもしれない」



 語り部をしている釘子明さんも高田小跡地案に反対だ。震災では市役所職員111人が亡くなり、市役所の機能は完全にストップした。だから市民は、災害時、自分たちで、避難所を立ち上げるしかなかった。

 「市役所や病院は、災害の際、最後の市民の砦になる場所だ。だからこそ、安全な、孤立しない高台に作るべき。東日本大震災で、起こった悲劇を二度と起こさない。それが私たち生き残った者の使命だ。未来ある子供たちに、私たちと同じ思いをさせてはいけない」



 津波などの災害から守れる安心・安全な場所を探せるのか、また、市街地との連動をどうしていくのか。市としては、悩ましい選択だ。もちろん、安全が第一だが、同時に、市民の利便性も求められる。市では、6月定例会で条例案の再提出に向けて準備を進めている。
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 宮城県石巻市の佐藤珠莉ちゃん(9)はサンタクロースから招待状が届き、フィンランドまで会いに行った。フィンランド政府観光局からの正式な招待だ。珠莉ちゃんは東日本大震災で姉の愛梨(あいり)ちゃん(当時6)を亡くした。そのため、クリスマスに「お姉ちゃんが帰ってきますように」との願いをサンタクロースにお願いをしていた。しかし、それは叶わない。ならば、二人の人形での世界旅行の実現をお願いした。それが実現したと思い、珠莉ちゃんは「優しいサンタさんに会いたい」と手紙を書いた。協力者の働きかけで、サンタクロースに会うのが実現した。

 

 この世界旅行やサンタとの出会いを記した「ふたりのせかいりょこう 東日本大震災から6年ーー姉妹人形の奇跡」(祥伝社)   が発刊された。二人の母親で著者の佐藤美香さん(41)は「風化はどうしていくものだが、忘れないでほしい」と話している。

 

サンタへの願いごとは「おねえちゃんが帰ってきてほしい」

 

 珠莉ちゃんがサンタクロース村に招待されたのは昨年11月だった。一般的に、人は、サンタの存在をいつまで信じているのだろう。珠莉ちゃんは信じているために喜んだ。美香さんとともに、サンタ村を訪れた。

 

 4歳の頃だった。珠莉ちゃんがサンタに「おもちゃはたくさんあるからいらない。愛梨に帰ってきてほしい」との願いを手紙にした。震災の翌年のクリスマスだった。その後も、七夕の短冊にも「また、おねえちゃんにあえますように」と書いていた。姉である、姉の愛梨ちゃんは震災で亡くなった。そのため、願いが叶わない。

 

 そんな時だった。日本テレビの「24時間テレビ 愛は地球を救う」を見ていた珠莉ちゃんが、「ママ、これ、お姉ちゃんにやってもらえないかな」と言い出した。「これ」とは、飛行機に乗れない病気の少女の代わりに、そっくりな人形を旅行者に託して、海外で撮影した写真を少女に届けるものだった。困った美香さんは、現実的な対応をした。

 

 「素敵だね。でも、これはテレビ局の人が作ったんだよ。同じことは難しいよ」

 

 珠莉ちゃんは「え?やってもらえないの?」と言いながら、不満そうな顔をした。その時は納得したようだったが、その年のクリスマスに珠莉ちゃんはサンタあてに「お姉ちゃんとそっくりな人形がほしい」と書いた。

 

 これも美香さんには無理難題だった。手が器用じゃないので、作れない。そこで、石巻市で家族を亡くした子どもたちの支援をしている一般社団法人「こころスマイルプロジェクト」の代表に相談した。すると、「ぬいぐるみでよければボランティアで作れる人がいる」ということで、写真を参考にした愛梨ちゃんと珠莉ちゃん、そしてサンタクロースのぬいぐるみが届いた。

 

 さらに翌年のクリスマスには、二人の人形を世界旅行をさせてほしい、との内容をサンタあてに書いていた。

 

 <あいり姉ちゃんとたくさん旅行をしたかったので、わたしのゆめをかなえてください。たびをしたときの人形のしゃしんをいっぱいとってきて、きねんにほしいです。わたしのゆめをかなえてください>

 

「ママに言ってるんじゃない。サンタさんにお願いしてるの。

 

これもまた美香さんには悩ましい。

 

 「サンタさんでもどうなのかな。代わりに、珠莉とママとパパとで、人形を一緒に海外旅行に連れて行ったら?」

 

 珠莉ちゃんはこう言った。

 

 「ママに言ってるんじゃない。サンタさんにお願いしてるの。お人形二人で行かせたいの」

 

 美香さんは、親としてクリスマスプレゼントに子どもがほしいものを把握するために、「手紙を書かないとサンタさんからのプレゼントは届かない」と言ってきた。そのため、珠莉ちゃんは、あくまでも手紙はサンタさんに書いているものだ。それにしても、美香さんはまた困った。

 

 そんなときに偶然、地元紙・河北新報の記者とカメラマンが遊びにきて、そんな話をしていたら、記事にしてくれたという。すると、多くの賛同者が集まった。被災地の復興をサポートしているNPO法人「ガーネットみやぎ」が、プロジェクト化して、賛同者を募ることになった。個人や団体が海外へ向かうときに、二人の人形を持っていき、写真を撮る。結果、多くの国々に旅立ち、写真を撮ることができた。

 

安全な場所にいたはずの姉だが....

 

 2011年3月11日14時46、地震が発生した。すぐに津波警報がなっていたが、そのとき、愛梨ちゃんは市内の日和山にある私立日和幼稚園にいた。日和山は、JR石巻駅の南側にある丘陵地帯だ。東側にはすぐ旧北上川がある。南側は石巻湾で約500メートルの距離だ。ここは、松尾芭蕉も訪れている風光明媚な場所だ。かつては石巻城の城郭があり、現在は日和公園となっている。

 

 海や川が近いが、日和山の高さは六一・三メートル。津波警報があっても、津波がこの山を超えることは考えにくい。園はその中腹にある。そのため、地震が起きても園内に残っているか、避難するとしても、山頂へ行けばよい。

 

 母親の美香さんは時計を見た。すると、幼稚園のバスが出発する前だ。津波の情報もあったが、園舎は高台にあるため、「大丈夫」と思った。家族がいる場所で最も安全な位置だったからだ。

 

 一方、愛梨ちゃんの妹、珠莉ちゃんは当時3歳。美香さんとともに家にいたときに地震が起きた。テーブルの下に入るように促した。その後、津波注意報がなったため、珠莉ちゃんを2階にあげた。カーテンが濡れないようにもしていた。しばらくすると、海岸線からは約3キロの内陸部だったものの、近くの運河から津波があふれ、自宅に入り込んだ。二人とも浸水しなかった二階に避難していたため、無事だった。

 

 「津波は10メートルという話もあったが、家族の中では一番、愛梨が安全な場所にいたから安心していた」

 

 危険な場所にいたのが夫だった。幼稚園の近くだが、低地が職場だ。しかし、従業員らは高台に向かった。しばらくして夫は幼稚園へ行き、園長に「愛梨の父ですが...」と尋ねた。園長は「津波に巻き込まれたかもしれない」と返した。

 

 幼稚園のバスは地震後、園児たちを乗せて、海側に向かって出発した。しかも、本来は別のバスに乗るはずの内陸部に住む園児も乗せた。愛莉ちゃんも乗っていた園児の一人だった。

 

 海岸近くに住む園児を下ろした後、バスは一旦、日和山の近くまで戻りつつあった。幼稚園の教諭が「バスを高台にあげるように」と伝えにきた。その場所は、日和山に登る階段が近い場所だった。しかし、通常のルートを運行し、幼稚園に戻ろうとした。園の教諭は階段で避難したが、園児はバスの中だった。

 

 その後、運転手は津波を意識したためか、バスを置いて逃げた。愛梨ちゃんを含む園児5人は置き去りのままだ。その後、津波だけでなく、周囲は火災にあっていた。震災から3日後、園児たちの遺体を探したのは遺族だ。幼稚園関係者は探さなかった。しかも現場は火災が発生していた。服の一部が焼け残っていたために確認できた。死因は焼死だった。

 

 発見場所が火災となるのは津波から10時間後。夜中まで助けを求める子どもの声が聞こえたとの証言もある。

 

 「地震後に園に来た親たちもいたが、せめてその時に知らせていれば助けられた命があったかもしれない」

 

裁判では高裁で和解。「心のからの謝罪」とあったものの....

 

 美香さんら遺族は園の対応に疑問を持った。説明を求めても、園長は「私の判断ミスです」と繰り返すだけだだったため、当日の動きについて調べ始めた。他の遺族と情報を共有したが、園側とは話し合いならない。

 

 「裁判を起こせば、真実を知れると思ったが、知りたいことはわからなかった」

仙台地裁では勝訴。園側は「園児を早く親元に帰したかった」と説明している。そのために、バスを出発させた。しかし、大きな地震の後だ。交通機関が正常とは限らないし、停電をしている。津波がこないとしても、交通事故の危険性はあったのではないかと思えるのだが、そうした点も考慮していない。

 

 マニュアルはどうなっていたのか。同園の災害時の避難マニュアル「地震発生時の園児の誘導と職員の役割分担」は、06年に消防署の指導を受けて策定されている。それ以前から宮城県教育委員会による震災マニュアルが策定されているが、園は私立であるために県教委の管轄外で、指導が入らない。

 

 避難訓練は、園のマニュアルに基づいて、保育中に火災が発生したという想定で年一回おこなわている。しかし、降園時に災害が発生すると想定した訓練はされていない。ただし、津波に関してはこう書かれていた。

 

 「地震の震度が高く、災害が発生する恐れがある時は、全員を北側園庭に誘導し、動揺しないように声掛けをして、落ち着かせて園児を見守る。園児は保護者のお迎えを待って引き渡すようにする」

 

 問題は、このマニュアルの内容について、主任教諭を除く教諭と運転手は知らないことだ。園のバスは「大きなバス」と「小さなバス」があった。「大きなバス」は園児たちを乗せて出発したが、運転手らがラジオで危険性を判断し、園のある日和山に戻った。一方。「小さなバス」は、沿岸部を通り、園児を下ろしていた。そして、日和山に戻る途中で被災したのだ。

 

 一審の仙台地裁では原告側の遺族が勝訴した。しかし、その後、園側が控訴した。仙台高裁では14年12月、和解が成立した。「被災園児らの犠牲が教訓として長く記憶にとどめられ、後世の防災対策に生かされるべき」という前文と、「心からの謝罪」との一言が入った。その「心のからの謝罪」があったために、美香さんは和解に応じた。しかし、6年経った17年3月13日までには、園側の関係者は直接の謝罪も焼香に来たこともない。

 

 もちろん、「心のからの謝罪」と書かれていても、具体的な行動をするかどうかは問われない。しかし、園の関係者はすでに別の保育園に勤務しているという。

 

 「私の子どもを守れなかったのに、他の子どもを守れるのか。これだけ時間が経っても、誰一人、直接、謝罪に来ない」

 

 美香さんは怒りをあらわにしている。

 

愛梨ちゃんが生きた証が欲しくて.....

 

 美香さんは、愛梨ちゃんが生きた証がほしい。そのため、絵本作家にお願いしたことがあった。その結果、愛梨ちゃんが主人公の絵本「あなたをママと呼びたくて 天から舞い降りた命」が完成した。

 

 バスの中では園児たちは泣いていたが、愛梨ちゃんだけが、みんなを励ました。

 

 「大丈夫だよ、怖くないよ。もうすぐ着くからね」

 

 助かった園児がそう言っていたという。絵本にもこの言葉は使われている。

 

 珠莉ちゃんは4月で小学校4年生になる。まだ、愛梨ちゃんの年齢を超えているが、「お姉ちゃん」が近くいると感じている。取材のときも手動の鉛筆削りを使っていたが、「お姉ちゃんは自動式のを持ってるよ」と、現在形で話していた。亡くなったのはわかっているが、そばにいると感じているようだ。

 

 また、愛梨ちゃんが生きていれば、3月に小学校を卒業し、4月から中学校に入学するというタイミングだ。そのために制服を作った。

 

 「生きている子同様に何かを作れるのはこれが最後だと思う。高校は学力が求められるために、想定される高校がわからない。成人式では、自分も振袖を着なかったし、今の子たちはレンタルですから」

 

 もちろん、制服を作ること自体悩んだ。「制服屋さんが嫌がるのではないか」と思った。友人に相談すると、「制服を作るのは1、2月」と言いつつも、制服屋さんに聞いてくれた。結果、制服を作れることになった。そのとき、珠莉ちゃんも一緒に付いて行った。

 

 「珠莉もお姉ちゃんがいるのが当たり前になっている。成長した姿は想像できないが、年を数えるし、誕生日会もする」

 

 遺族のなかには、もう忘れたいという人もいるだろう。しかし、美香さんも珠莉ちゃんも感覚は同じだった。美香さんは「夫も、むしろ、制服を作りたかったと言っていて、考え方は一致した」と言う。どこかに遊びに出かけるときも、愛梨ちゃんが一緒にいるつもりだ。

 

 「車で出かけるときも、夫が運転するときは、助手席は愛梨の指定席のため、誰も座りません。私と二人で車に乗るときもそう。ただ、夫も『もし生きていたら、もう後ろに座っていたかもしれない』とは言うんですが、当たり前すぎて、考えたことがない」

「ふたりのせかいりょこう」も同じ気持ちで作っている。

 

 「NPOを通じて出版社から話があった。記録に残れば嬉しいと思った。裁判で争ったことも、報道では詳細には伝わらない。本ならば、文字数は関係ない。(愛梨のことを)知ってもらう機会になる」

 

 震災直後、芸能人が避難所で炊き出しをしていた。そのとき、焼きそばを欲した珠莉ちゃんが「お姉ちゃんの分もください」と言った。事情を知った上戸彩さんが珠莉ちゃんを抱きしめた。そのときの写真も掲載されている。また、サッカー日本代表選手の長友佑都選手と本田圭佑選手が、ぬいぐるみの人形と写真を撮っている。

 

 ただ、表紙や帯、目次にはそれらの有名人たちの名前は載せなかった。美香さんはその意図についてこう話した。

 

 「(二人の人形の世界旅行に)興味を持っている人が手に取ってほしい。だから、あえて有名人のことを表紙に入れなかった。震災から6年間、どういうことがあったのかを残したい。本は手段の一つ」

 

 今後、珠莉ちゃんがサンタクロースを信じなくなる時がくるかもしれない。だとすると、二人の人形はどうやって世界旅行をしたのかが気になるだろう。そのときはどうするのか。

 

 「サンタの存在に疑問を持った時に、渡すものがある。それは、協力者たちのことがわかるフォトブックを作っている。多くの協力者が実は、サンタの代わりに世界旅行に連れて行ってくれたということがわかる。それを見て、珠莉がどう思うのかはわからない。多くの協力者がいたことに感謝したりするかもしれない。その意味では、サンタクロースの旅はまだ完結してない」

 

 美香さんは、ネタバレしたときのことも踏まえて準備をしている。そのため、珠莉ちゃんに知られないために、学校から帰る前に取材をした。インターネットを使うようになったとき、この記事を含め、これまで報道されてきた記事を見つけるかもしれない。

 

 「いつかはその日が来ます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 東日本大震災で津波が発生したとき、岩手県釜石市の鵜住居地区防災センターには200人を超える避難者が集まっていた。しかし、津波は防災センターをも飲み込んだ。その中に、美容師・片桐浩一さん(47)の妻、理香子さん(当時31)もいた。新婚生活も間もない中、お腹には、4月に出産予定だった子どももいた。浩一さんの語りを中心に、防災センターで起きたことは、拙著「命を守れなかった 釜石・鵜住居防災センターの悲劇」(第三書館)  で記している。今年の3月11日は7回忌。片桐さんが美容室を初めて20周年でもある。翌日開いたイベントで、「あの日のままでいたい」と言っていた片桐さんが震災後初めて髪を切った。心境にどんな変化があったのだろうか。

 

 釜石市は岩手県の三陸沿岸南部に位置する。3月12日、浩一さんは市内の釜石PITで、自身の美容室の20周年イベントをしていた。このイベント内で、震災をきっかけにつながったアーティストや格闘技家が浩一さんの髪を切ったのだ。その直前、「やっぱり、切らないという選択はあるのか?」と意地悪な質問をした。すると、浩一さんは真剣な表情でこう答えた。

 

「(切らないほうがいいかも?と)揺れているのは5%くらい。でも、こうしたイベントを開く形で背中を押されるのも一つではないか。切ったあとはどうなるのか。生き方が変わるのか。切って見ないとわからない」

 

 20年前の1997年3月11日、浩一さんは釜石保健所から「美容所開設検査確認証」を発行された。つまり、美容室の営業許可を取ったのだ。「所在地」にあるのは、震災時までの住所だ。

 

「日にちのところ....。何かあるのかな」

 

 美容室開設の許可が下りたのが、偶然、震災発生日と同じ日付だ。なにか因縁めいたものを浩一さんは感じていた。数日前、浩一さんは、自身の髪の毛の長さをTwitterにアップした。この髪を切るぞという宣言のようにも感じた。

 

 震災から6年目の3月11日。亡くなった理香子さんと、お腹の中にいた子どもの7回忌を迎えていた。これまで、妻子を守れなかったと感じていた浩一さんは「あの日のままでいたい」とずっと考えていた。もちろん、あの日とは’11年3月11日。東日本大震災が発生した日だ。そのため、髪を切らないでいた。

 

 髪を切らない理由について、かつて私の取材に対して、「自分の中でけじめがつかない」といい、また、「妻は、苦しみながら亡くなったと思う。でも、自分はその苦しみをしならい。それでいいのか」などと自問自答していた。そのため、震災当日の自分のままでいたかったのだ。

 

 しかし、浩一さんは「周囲の復興のムードとギャップを感じてきた」という。釜石市内では復興工事が行われ、復興公営住宅も建ち、新しい店もオープンしている。そうした復興ムードとの違和感を抱いた。そのため、7回忌に、髪を切る決意をした。

 

 「自分自身がお客さんの髪を切る仕事。自分が切らないでいいのか」という思いもあった。「髪を切ることは、過去を断ち切るという意味もある。自分が断ち切れていないということは、お客さんに失礼かな。あまりにも女々しいのかな、本気で仕事をしないといけない」という気持ちもあった。

 

 会場となった、釜石PITは震災後に新しく開いた店舗の近くにある。そばには、やはり震災後にオープンした「イオンタウン釜石」や「ミッフィーカフェかまいし」がある。震災前後の風景とは大きく変わった。そこで、震災をきっかけにつながったアーティストや格闘技家たち、そしてそのファンたちがこの日のために集まった。もちろん、片桐さんを震災前から知る人もいた。

 

避難場所ではない防災センターになぜ逃げたのか

 

 理香子さんが亡くなったのは釜石市鵜住居地区防災センターだ。鵜住居地区は市の中心部から北側に位置する。防災センターはJR山田線鵜住居駅の近くに立っていた。震災当時、理香子さんはセンター隣りの市立鵜住居幼稚園の臨時職員だった。

 

 防災センターができたのは震災の一年前、'10年2月1日。同29日にチリ地震津波が発生した。そのときに34人が避難していた。防災センターは津波発生時の「津波避難所」ではない。災害の規模などに応じて開設し、中長期に避難生活をする「拠点避難所」だ。防災センター周辺の地域の津波避難場所は、徒歩で5〜10分ほどの距離にある鵜住神社の境内だ。

 

 しかし、地域では、避難訓練の参加率をあげるために、仮の避難所として防災センターを使っていた。そのため、地域ではいつしか“避難所”と意識づけられた。10年5月の避難訓練では68人、8月の避難訓練では130人、’11年3月3日の「津波の日」(昭和三陸津波の日)の訓練では101人が参加していた。震災の2日前の三陸沖地震のときも4人が避難した。

 

 ただし、チリ地震津波のとき、防災センター内にある「生活応援センター」の所長が庁内メール連絡で、

 

「鵜住居センターは浸水地区内にあり、本当に大きな津波が来れば逃げなければないこと。したがって津波避難所に指定されていないが、今回は2階を使って避難者を受 け容れたがこれで良いか?」

 

と送信している。しかし、この問題提起はスルーされ、検討されなかった。実践を想定し、庁内で防災センターへの避難を疑問に持った人がいたにもかかわらず、なぜ検討されなかったのか。震災後に作成された「釜石市鵜住居地区防災センターにおける東日本大震災津波被災調査報告書」では詳細には触れられていない。

 

 そんな中で、’11年3月11日を迎えていた。地震が発生した14時46分、「預かり保育」で残っていた園児4人とともに園庭に避難した。そこで理香子さんが4人の園児をかばうようにしていた姿が目撃されている。

 

 その後、14時49分、大津波警報が発令された。4人のうち2人の園児は保護者が迎えにきていた。15時14分、予想される津波の高さは6メートル、31分には10メートル以上、と次々と切り替わっていた。その間、消防関係者に「こっちへ」と誘導されて、園児2人とともにセンター2階に避難した。園児は奇跡的に助かったが、理香子さんは津波にのまれた。

 

産休手前だった理香子さん 市教委は訓練を指導せず

 

 妊娠していた理香子さんだが、お腹の子のは、震災が起きた週の月曜日だった3月7日、性別が「女」とわかった。浩一さんが「陽彩芽(ひいめ)」と名付けたばかりだった。予定通りなら、12日から産休で、出産予定日は4月23日。いわば、出産前の最後の出勤だった。

 

 前出の「調査報告書」は地域住民を対象にしたものだ。それによると、少なくとも地域住民248人が防災センターに避難している。しかし、あくまで住民対象の調査だ。この調査では幼稚園の避難行動は対象外になっている。同じく、地域外の人たちが同センターに避難しているが、その人たちの行動も対象にはなってない。

 

 ちなみに、避難者の中には、学校にいた子どもたちに犠牲者が少なかったことで「釜石の奇跡」と称され、その代表的な扱いになった釜石東中の生徒も含まれていた。当日、風邪で休んでいたため、病院から自宅に帰る途中で防災センターに避難したと言われている。

 

 もちろん、幼稚園でも津波想定の避難訓練をしていた。市教委によると、避難訓練は年3回行う。そのうち、津波想定は一回行われた。しかし、園は市教委には訓練内容を報告したが、点検・指導はなかった。この地域では、鵜住居小学校や釜石東中学校が、津波避難訓練で高台に走るなどを繰り返していた。学校にいた児童・生徒たちは助かっている。鵜住居保育園も高台に避難する訓練をしており、当日も訓練通りに避難できた。なぜ幼稚園だけが....と思うと悔やまれる。

 

6年目を前にセンター跡地に立つ浩一さん

 

 一方、震災当日、浩一さんは市街地にある美容室で仕事をしていた。地震があったときに、従業員を自宅に返した。浩一さんも帰ろうとして外に出ると、津波が見えた。必死に「釜石のぞみ病院」に避難した。「理香子は大丈夫だ」と思っていた。子どもを守る仕事に従事していたことが最大の理由だ。しかし、理香子さんは津波にのまれ、6日目の朝に遺体で発見された。

 

 震災後、浩一さんは仕事が休みの毎週月曜日に、幼稚園やセンターに理香子さんの遺品を探したり、手を合わせるために通っていた。財布がなかなか見つからずに、友人や知人らに呼びかけて、幼稚園の掃除をかねて、探したこともある。’13年3月、幼稚園の園舎が解体された。同年12月、防災センターも解体された。それまで、浩一さんらは、震災遺構として残して欲しいと言っていたが、地区住民からは解体の声が大きく、市は解体を決めた。ただ、センター跡地には「メモリアルパーク」が作られることになっている。

 

 2月に取材したとき、浩一さんとはセンター跡地で待ち合わせた。震災後の風景とはまったく違うが、「このあたりだろう」とあてをつけた。まだ取り壊されていない建物と、山並みなどを位置関係から推定した。何度も訪れた場所なので、周囲の風景も覚えていた。当初のころは、「この場所にくれば会えるような気がする」と言っていた。しかし、月日が経ったためか、センターがないためか、「もう何も感じない。ここにはいない」と漏らしていた。

 

「切らなきゃよかったという後悔はない」

 

 壇上で浩一さんの断髪式が始まった。アーティストや格闘技家が囲み、浩一さんの長い髪にハサミを入れた。70センチくらいだろうか。長い髪をばっさりと切り落とした。浩一さんは苦笑いを見せた。

 

 髪を切り落としたあと、浩一さんは清々しい表情をしていた。

 

 「重かったね。背負っているものが重かったのかもしれない。ここまでしないと、新たな一歩を踏み出せなかったのかも。ここまでいくと踏み出すしかない。(切るために)髪を持たれたときの力は強かったし、すごい思いがある。切られているというのはこういう感じなんだな。おれの仕事(美容師)って、すごいじゃん、と思った。髪ってすごいな。(切る行為は)そんなに人の気持ちを変えられるんだなあ」

 

 髪を切るというのは、過去を切り落とすという意味だと言っていたが、

 

「新たな思いがある。それを(亡くなった)嫁と子どもと3人で作って行くんだなと思った。それは俺だけの中で存在する。なかった感じにはならなかった。髪を切ったら、過去がなくなるのか?と思ったら、そうではなかった。髪を切ったことで、すごい化学反応が起きている。切らなきゃよかったという後悔はない。ただ、いまは切った直後。その後はどうなるのかわからない」

 

と話していた。

 

 今後はどう生きて行くのか。

 

 「仕事に向いて行くだろう。自分は美容師をしていて、お客さんの髪を切っている。髪を切るのは、ときとして過去を断ち切ることを意味する。しかし、自分は切れてない。そんなんでいいのか、思っていた。お客さんに失礼かな?あまりにも女々しいかな?もしかすると、これも自分自身の中での風化なのかもしれない。でも、(妻と子どもに対しての)自分自身の向き合い方は変わらない。震災があって、家族を失った。でも、美容室は続いている。生き方が変わるわけではない」

 

 

 

 

 

 

 

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 警視庁は、飲食店やマッサージ店などで女子高生らに接客させる「JKビジネス」で働いた経験がある少女たちへのアンケート結果をまとめた。少年育成課では、昨年6〜7ガウに児童福祉法違反などで摘発した都内の2店舗に勤務していた15〜17歳の少女42人に聞き取りをした。約半数が、勤務を通じて、客との性行為の経験があると回答した。「場合によってはやむをえない」と回答した人は28%となっている。

 

 こうしたJKビジネスを規制しようと、警察庁は全国調査を実施する方針だ。全国的に規制条例が検討されている。また、アメリカの「2016年人身取引報告書」でも、「日本人児童の性的搾取を目的とした人身取引を依然として助長している」として、JKビジネスを取り上げた。そんな中で、「JKビジネスの逆襲」(一般社団法人ホワイトハンズ主催)というイベントが行われた。

 

警視庁のJKビジネス規制強化案

 

 JKリフレ、JK見学店、JK撮影会、JKお散歩....2000年代になって、女子高生とのコミュニケーションをメインにうたった店舗やサービスが増えてきた。しかし、「性的な被害」の危険性が指摘されている。そのため、規制強化は全国的な流れになってきている。東京都でも警視庁が「特定異性接客営業規制条例」案を公表した。それよると、規制対象は、以下の通り。

 

(1)いずれかに該当する営業で、青少年が接客することを明示・連想させるものとして公安員会で定める文字、衣服等を用いるもの
ア)もっぱら異性の客に接触し、または接触させる役務を提供する営業(例 リフレ)
イ)専ら異性の客に同伴する役務を提供する営業(例 散歩)
ウ)専ら客に異性の人の姿態を見せる役務を提供する営業(例 見学・撮影・作業所)
エ)専ら異性の客の接待をする役務を提供する営業(例 コミュ)
オ)喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食させる営業で、従業員が専ら異性の客に接するもの(例 カフェ)

(2)喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食させる営業のうち、水着、下着その他の公安委員会で定める衣服を客に接する業務に従事する者が着用するもの(例 ガールズバー・ガールズ居酒屋のうち、水着、下着その他の公安委員会で定める衣服を客に接する業務に従事する者が着用するもの)

 これらの営業形態では、18歳未満の青少年は保護される。また、(1)の場合は、東京都公安員会への届出義務を課す。また、公共施設周辺などでは営業を禁止し、広告の表示、広告物の配布も禁止する。

 

「アイドルはレッスンを積む。JKビジネスはそれを省いたもの」

 

 「JKビジネスの逆襲」は3月5日、同団体が開催している「セックスワークサミット」の一環で行われた。「女子高生ビジネスの内幕」(宝島社)の著者で、井川楊枝さん(ライター)は、'12年ごろから雑誌でJKビジネスを取り上げていた。男性客にも話を聞き、「センセーショナルに取り上げたこともある」という一方で、「書籍では、基本的には見たままを描きつつ、社会問題として捉えて、掘り下げていった」という。

 

「どんな女子高生がいるのか。個々によって違うが、こういう世界に入って心が傷ついた人もいる。一方で、お金を稼ぎたいので割り切っている子もいる。一概に言うのは難しい。女の子は基本的に稼ぎたい。ならば、おじさんからお金を取るしかない。アイドルとJKビジネスは何が違う?アイドルはCDを10枚とか、100枚買って、例えば、ハグができたりする。そのためにはアイドルはレッスンを積まないといけない。JKビジネスはそのレッスンを省いたもので、効率的に稼げる」

 

取材し始めた当時('12年)と今('17年)ではどのように違うのか。

 

 「'12年のころ、秋葉原では女子高生が街角に立っていて、チラシを配っていた。秋葉原であれだけ店があったのは、メイド喫茶があったからではないか。'17年はだいぶ、アンダーグラウンド化している。アンダー(18歳未満の女の子)は援助交際が増えてきた。女子高生とエッチができる店になってきてしまってういるので、批判的にしか書けない」

 

“そこに女子高生がいれば、ブレーキがきかない”

 

 「サラリーマンより稼ぐ女子高生たち」(コアマガジン)  の著者、高木瑞穂さん(ルポライター)は、写真週刊誌「フライデー」で、横浜市内の元祖・見学クラブを取材したり、ガールズ居酒屋に女子高生がいる店舗を取材していた。

 

 「都内の店舗はほぼ取材した。広まったのは開店資金が安いから。エステ店は資格も、許可もいらない。その類似として、JKビジネスがあった。最初の頃は、300万あれば開業できたが、今は100万でもできる。'12年ごろになると、スカウト、ホスト、風俗業者が流入した。スカウトマンからすると、長年やっている人は18歳未満には手を出さないが、稼げない一部のスカウトがJKビジネスを紹介していた。それらが規制によっていっきになくなった」

 

男性客はどんな人が多いのだろう。

 

「会社員や生業がある人が多い。もっとお金を持っている会社経営者や役員もいる。そうじゃないと買えない。でも、どうしてブレーキがかからないのかが疑問だったが、“そこに女子高生がいれば、ブレーキがきかない”という。ブレーキのかけかたを教えないとダメだし、女子高生にはブレーキのかからない客がいることを知ることが大切だ」

 

「何があるのかわからないドキドキ感、ドラクエ的な冒険心」

 

 では、経営者はどういう人なのか。JKビジネスを紹介する「合法JKナビ」というサイトの管理人も登壇した。月間160万PVを稼ぎ出す。今年からは、派遣型リフレ店も開業している。風俗適正化法や労働派遣法に登録している、いわば、オーバー(18歳以上の女の子たち)専用の店舗だ。

 

 「最初は何がJKビジネスなのか知らなかった。'12年ごろに客として自分がハマっていった。付き合いたいと思った。実際に結婚までした。失敗しましたが....。それで自分がツイッターやブログで情報発信をするようになった。サイトでは、JKビジネスの店舗等を紹介したり、ニュースを載せたりしている。いろんなリフレ店から広告の掲載依頼がある」

 

 客はどんな人たちなのか。

 

 「メインは30代で、10代から70代まで。いかにも“女の子が好き!”という人もいるが、外からはそんな風には見えない人が多い。最初から結婚相手を探している人もいるが、店に実際来て、女の子と話をするなかで結婚を考える人がいる。僕もそうでした。リフレは風俗ではないので、性欲よりも、癒しや出会い。何があるのかわからないドキドキ感がある。ドラクエ的な冒険心を求めているのでしょう」

 

 どんな女の子を客は求めているのだろうか。また、店ではどんな方針なのか。

 

 「プロは求めていない。リフレでは、風俗嬢でも、キャバクラ嬢でもない子を求めている。JKリフレ店では、黒髪清楚系が王道だが、うちの店では金髪も多く、髪の色は自由だ。いろんな女の子がいていい。ただ、大前提として。女子高生っぽくないとダメ。一番は見た目の若さ。そして業界慣れてしていないこと。客は素人を求めている」

 

規制すれば、アングラ化する!?

 

 '15年、愛知県では、青少年保護育成条例を改正して、JKビジネスを初めて規制した。県は立ち入り調査をしたり、営業停止命令ができるようになった。また、警視庁は'13年、JKビジネスで働くことを「不良行為」として補導対象にした。'15年からは、18〜19歳の女子高生も補導対象に加えた。さらには、'16年、「特定異性接客営業規制条例」案を公表した。今年、都議会に上程しようとしている。

 

 「需要と供給がある限りなくならない。女の子も稼ぎたい。ならば、おじさんからお金を取るしかない。規制しすぎると、アングラになる。これくらいならいいのでは?というビジネスもあり、罰則強化もいいが、(買春をする店舗等と)すべて同じに見るのはどうか。たとえば、オセロをする店くらいは残していいのではないか。一律規制はよくない」(井川さん)

 

 「業者による抜け穴探しは続く。アンダーの子たちの買春を止めることを周知することが必要。その上で、買う側の罰則強化をする。そして買われた少女の罰則もあったほうがいい。いまは補導で終わるが、それではやめない。規制をすれば、地下に潜る。締め付けたら、ツイッターを使った援助交際に戻る。店の方が安心だ」(高木さん)

 

 「JKブランドの需要は下がらない。そのため、罰則強化が効果的なのではないか。JKビジネスの客が捕まったというニュースは聞かない。(ネットと違って)店では足がつかないし、証拠も残らない。アンダーとオーバーでは明確な違いがある。経営者としては雇いたくない」(「合法JKナビ」管理人)

 

 規制について3人は「罰則強化」を口にしたが、これまでテレクラ規制条例や児童買春・児童ポルノ禁止法、出会い系サイト規制法、青少年ネット規制法などでも見られたように、JKビジネスは新たな形になっていくのかもしれない。

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現在でも”性交”の定義は大正時代の判例

 

強姦などの性犯罪の法定刑を見直す刑法改正案について、政府は、「現行の『強姦罪』」を『強制性交等罪』とすることなどを閣議決定した。そのほか、「強制性交等罪や強制わいせつ罪は、被害者が告訴しなくても加害者を処罰できる『非親告罪』とすること」、「強制性交等罪や同致傷罪の法定刑を引き上げ」、「加害者と被害者の性差をなくすこと」を見直す。こうした改正点には問題はないのか。性別や性自認、性的指向にかかわらず性暴力の被害者支援をしている「レイプクライシス・ネットワーク(RCーNET)」の岡田実穂代表理事に話を聞いた。

 

刑法の性犯罪規定については、1947年改正で、既婚女性の性行為を罰する姦通罪が削除された。戦後の男女平等規定がある憲法が制定されて、違憲状態だったためだ。また、2004年には、二人以上が共同して強姦した者を処罰する「集団強姦罪」を新設した。前年の03年、早稲田大学の公認(当時)サークル「スーパーフリー」のメンバーが輪姦していたことが発覚。実刑判決を受けたことが契機となった。

 

しかし、強姦罪の規定はこれまで一度も見直されていない。改正となれば、刑法ができて110年間で初めてとなる。そんな中、RCーNET代表理事の岡田さんが、民進党の法務・内閣(男女)合同部門会議に呼ばれた。 性犯罪に関する論点はさまざまあるが、岡田さんは前提として、現在強姦罪改正を機に改名される「強制性交等罪」という名前を問題にしている。現行の強姦罪はこう規定されてる。

 

暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、2年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。

 

「姦淫とは何か」「性交とは何か」を法的に定義した条文はない。ただし、大審院大正2年11月19日判決で示された「姦淫とは性交をいい、男性器の女性器に対する一部挿入で既遂に達し、妊娠および射精の有無を問わない」が、実務では使われている。

 

しかし、岡田さんは「性交は、常にお互いの合意によるもの。合意と尊重がないものは暴力であり、強姦。これらを一緒にするべきではない」と指摘する。性交に合意も尊重もない「強制性」があれば「強制性交」という言葉は論理的におかしいことになる。

 

また、性暴力行為を「性交」や「セックス」だと位置づける社会の偏見は多くの当事者を苦しめ、社会の中でレイプ神話(性被害についての社会的な誤解や偏見に基づく言説)を強化してもきた。

 

「性交の定義が大正時代の判例というのは驚き。判例でしか定義がないものを罪名にしようとしている。性交とは何か?を法的に定義をしなくては、暴行・脅迫要件のような被害者に対する二次加害的な立証方法がまかり通っている現状が変えられない」

 

これまでもRCーNETでは法務省に要望書を出してきた。強姦罪で「客体(被害者)に男性を追加するにとどまらず、『人』として、性別による規定を撤廃すること」としています。性暴力について「被害の実情として、被害者若しくは加害者は特定の性別に限られてはいない。

 

また、そもそも、被害にあったことによって、性自認や身体の性について被害者がカミングアウトする必要はない」として、性別そのものを規定からなくすべきとしてきた。RCーNETは、性別、性自認、性的指向に関係なく、性犯罪被害者支援をしてきた実績からのものだ。


「何を挿入するか」で大きく量刑に差が出る現行法の問題点

 

強姦罪(強制性交等罪)の要件について「(男性器から女性器に対する間の)暴行だけではなく、身体侵襲行為とし、被害者の同意のない、ある体の部位または物体による、膣又は肛門への挿入行為、または、性器の口への挿入行為とすること」として要望を出してきた。現行では「女子」に対して、膣の性器の挿入だけが対象だが、法務省の改正案では、性別に関する規定を廃し、口や肛門への性器挿入も含まれることになった。

法務大臣の諮問機関「法制審議会」では、以下のように要綱で定めた。

 

「13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下『性交等』という。)をした者は、5年以上の有期懲役に処するものとすること。13歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とすること」

 

現行では被害者が「女子」に限られていたが、要綱では、その性別規定が排除された。しかし、岡田さんは疑問を投げかける。性交の定義となっている判例では「男性器の女性器に対する一部挿入」とある。つまり、ここでは「性器」とは何かが問題にあるという。

 

「『性器』の定義は誰がするのか。ディルドはどうなのか?性器とは何か、十分に議論もないまま、被害者が立証しなければいけない。合意を得ない形で性的な挿入行為をされた/させられた事実を明確にすべき」

 

法制審議会では手指の挿入と男性器の挿入についての精神的負担の差異について話し合われた。岡田さんは性器挿入にこだわる問題点をあげる。

 

「たとえば、生殖機能を奪うためであったり、所謂リンチとしてなど、器具、例えばビール瓶を膣に押し入れたり突き刺すという行為もある。また、目隠しをされていたら、挿入されたものが性器なのか、性器の模造品なのか、わからない」

 

「性器とは何か?」を問題にするとき、法務省へのロビー活動の中では、司法当局では、「個別判断になるだろう」と回答している。しかし、それで中立性が担保されるのだろうか。岡田さんはいう。

 

「性分化疾患の人、性別適合手術を受けた人。マイクロペニスや形成された性器。その人たちの性器は『陰茎』とみなされるのか。個別判断というのは、どこまで公平性を担保できるのか。地域によっても違うかもしれない。たとえば、東京ではみなされるが、地方ではみなされない、とか。個別判断では済まされないはず。法務省の審議の中で有識者とされる人から、『そういう人(トランスジェンダーや同性からの被害にあった人)に会ったことがない』と言われてしまう。現場を見ず法律だけを考えていたら想像できない。そんな法律家がいう個別判断は、信用できない」

 

強姦罪(強制性交等罪)の範囲を広げずに、「強制わいせつ罪で訴えればいいじゃないか」という主張もある。しかし、被害感情としては、された行為は強姦罪(強制性交罪)と同じという人もいるだろう。実際に、同質な被害を受けていても「何を挿入するか」ということだけで、大きく量刑に差が出てしまう。性暴力被害を「体のどこを用いたのか?」で、法律でランク付けされていうような状況に疑問をぶつける。

 

「日本の強姦罪(強制性交等罪)の定義が狭すぎる。また、強姦(強制性交等罪)か強制わいせつしかない。本来的には、強姦を特別視するというよりも、性暴力の全体像をしっかりと見据えて、犯罪について定義し、細分化してほしい。(性器を用いたかどうかの)性器主義の法律を変えてもらいたい」

 

しかし、議論が十分に成熟しないまま、110年ぶりに「強姦罪(強制性交罪)」の規定が改正されようとしている。このままで法務省が法案を提出すると、国会内での勢力を考えると、原案通り可決となってしまいかねない。そこで岡田さんは提案する。

 

「中身を変えるのは難しくても、せめて、罪状の名前、強制性交等罪というものは変えて欲しい。また、一度、改正されれば、当分、改正されないかもしれない。そのため、(他の法律にもあるが、3年ごと見直しなど)見直し規定を作って欲しい」

 

 

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 新刊「命を救えなかった」の見本ができました帯なしです。書店に並ぶのは一週間後。

 

 岩手県釜石市の鵜住居地区防災センターではたくさんの人が避難したもの、亡くなった人も多かったのです。200人以上にもなるようです。この本の中心になっている片桐さんの妻もその一人です。

 

 片桐さんとは震災から一年が過ぎて出会い、話を聞き始めたので、トータル5年がかりのルポです。書評を書いてくれる人を緩募。

 

 

 

 

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 1998年の経済危機から2011年まで年間自殺者3万人を超えていた日本だが、12年以降は、3万人を下回った。'16年は2万1764人で、2万2000人を割ったのは22年ぶり。'06年に自殺対策基本法ができ、「様々な社会的な要因がある」とされたことで、行政や医療、民間団体などが社会的な取り組みを行うことになった。その結果、当初の削減目標をクリアした。

 

 一方、自殺に関する報道のあり方は、ざまざまな観点から検討がなされている。 報道の仕方によっては自殺を誘発するとの指摘もある。'86年、ポスト松田聖子と言われたアイドル・岡田有希子の自殺は、当時、大々的に報じられ、若者たちの連鎖自殺をまねいた、と言われている。有名人の自殺、いじめの疑いのある自殺があれば、報道機関は常に悩みながら記事にする。

 

 ただ、個人の感性だけに頼ることなく、一定の基準が求められることから、朝日新聞は’12年にガイドライン「事件の取材と報道2012」に新指針を盛り込んでいる。その作成に携わった、朝日新聞が発行する「月刊Jounalism」の編集長・岡田力さんに話を聞かせてもらった。

 

朝日新聞の自殺報道ガイドラインは、

 

●自殺や合意の上での心中については原則匿名とする。特に未遂は再起を妨げないように匿名とする。ただし、政治家ら公人や公的存在、著名人の場合や、社会的影響が大きい場合は実名を検討する。

●親子・無理心中は実名を原則とする。逮捕や送検、起訴された場合は容疑者呼称が原則だが、事情によっては匿名や肩書き呼称、敬称もある。

●親子・無理心中で、子どもが助かった場合は、子どもの将来に考慮して、親子ともに原則として匿名で報道する。

●自殺を大きく報じる場合は、報道による「連鎖自殺」の可能性を十分に注意する。特に連鎖自殺のおそれが高いとされるタレントや青少年の自殺などでは、肉筆がわかるような遺書の写真は原則掲載しない。相談窓口を併せて掲載することは連鎖自殺防止には有用だ。
 

となっている。4つ目の項目を新たに付け加えたのだ。 

 

報道によって命が失われることは避けなければいけない

 

―自殺報道に関して議論になったのは、'07年5月の松岡利勝農水大臣(当時)の自殺もそうだが、それ以前に、'86年4月に起きたアイドル岡田有希子さんの自殺のときか。

 

岡田:資料として残っているのは、朝日新聞のガイドライン「事件の取材と報道2004」。'12年版はそれを引き継いだ形だ。それ以前のものは資料がない。単純に世の中がよくなってほしい、と記者は考えているはず。その報道で命を失われてしまうのは避けなければならない。
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 60年5月、「雅樹ちゃん誘拐殺人事件」があった。当時は報道協定がなく、誘拐と聞けば書いていた。犯人が新聞を読んでいて、追い詰められたと感じ、口封じに殺してしまう。報道による、「書く・書かない」の基準はこれではないか。報道によって、人が死ぬのは最悪。その後、誘拐事件では報道協定ができる。それは報道の原則を変えている。知ったら書くべきなのに縛りを自らかける。アイドルが自殺した場合、報道の仕方によっては、連鎖の傾向があるとわかっている。配慮が必要だ。

 

 '06年に相次いだいじめ自殺(福岡、岐阜、北海道)のときの勉強会の資料がある。記者が取材過程で自殺報道の問題にぶつかっていた。当時の「事件報道小委員会」(東京本社、名古屋本社、大阪本社、西部本社の事件担当デスクが中心)で議論があった。

 

 松岡大臣が自殺した。政治家が自殺したとき、動機を報道しないということはあり得ない。ましてや、政治資金問題だ。遺書は当時、最大の取材ポイント。結果的に、詳細な動機は書いていなかった。「政治家が自殺したらブレーキかけていいのか?」が、小委員会で議論になった。かけてはいけないのではないかと。

 

 このときの議論では、ガイドライン改訂は検討事項になっていた。しかし共通のコンセンサスまではいかなかった。ただ、まったくやっていなかったわけではない。'04年版でも、「連鎖自殺に気をつけよう」という言葉はガイドラインの本文中にはあった。

 

 また、1)自殺の詳しい方法は報道しない、2)原因を決めつけず、背景を含めて報道する、3)自殺した人を美化しないーの3項目も、'04年版には入れている。その意味では、徐々にガイドラインが改訂されてきたと言っていい。

 

―ガイドラインを記者はどこまで参考にするのか。「自殺の詳しい方法は報道しない」とあるが、記事によっては、「首を吊った」とか、「縄で」とか書いてあったりする。

 

岡田:記事では素材は言及しないが、「首を吊った」ということは報道するだろう。'98年5月にX-JAPANのhideが亡くなったときにも後追い自殺があり、連鎖自殺には気をつけようと言われていたと思う。

 

 どう報道すべきかを記者が迷った瞬間にガイドラインを開けと言っている。(事件や事故に比べて)自殺の報道はそれほど多くはない。普段から書いている交通事故とかならば、いちいちガイドラインを読まない。しかし、普段書かないような異例のことが起きると、記者はガイドラインを読む。自殺というテーマはそれほど多くはない。担当記者やデスクはそうした場合、読むだろう。

 

自殺を思い止まるような記事も載せる

 

―'02年から'04年は「ネット自殺」「ネット心中」「練炭自殺」が流行った。'04年10月、ネット心中で7人が亡くなった。このとき、呼びかけ人を私は以前から取材していた。7人はネット心中でも最大の人数。当時、ニュース性が高かった。加えて、呼びかけ人は、歌手の元妻で、解離性同一性障害の診断を受けていた。 これらの情報が特に初期段階で流れると、センセーショナルになりすぎると私は思った。呼びかけ人を知っている私にメディアから取材が相次いだが、「歌手の元妻」と「解離性同一性障害」についての扱いが心配だった。

 

岡田:7人が亡くなったのは大きなニュース。私が埼玉県でデスクをしていた時で、夕刊の一面のトップだった。当時、朝日新聞は特に配慮した紙面づくりをしてない。今だったら、自殺したいと思った人が記事を読んだとき、自殺を思い止まるような記事をサイドに載せる。

 

とくに、ネットでの情報拡散が心配だ。紙面でできるかどうかわからないが、少なくともネットでは、相談窓口のリンクを貼ったり、過去の類似の記事をリンクすることはできる。一報を小さくすることは難しい。ただ、詳しい方法は書かないだろう。練炭自殺なら、そう書くだろうが、その詳しいやり方は載せない。

 

―当時、私は朝日の記者に取材された。呼びかけ人とのやりとり、止めようとしたことなどが夕刊で記事になっている。

 

岡田:このころは、記者個人の感性に頼っていた。感性があればよい記事もできるが、それだけに頼っていると、悪い記事も出る可能性がある。それは報道として避けるべき。少なくとも、ひどい記事がでない仕組みを作っておく必要がある。自殺に関心がない記者が担当になったり、デスクになったり、見出しをつけることがある。どう判断していいか、となったときに文書として残しておけば、最悪の記事は防げるのではないか。

 

―「ネット心中」の話題が連載していた時期もあったが、時間が経つと、「ネット心中」自体のニュース性が薄れてきたり、あるいは、連鎖自殺を防ぐためもあり、類似の記事が減った。 ニュースが減ると、「ネット心中がない」と思う人も出てくる。私が取材していた19歳の男性も「自分がネット心中で死ねばニュースになるはず」と思っていた。一時は自殺をやめることを考えたが、結局、30歳の女性とともに亡くなった。ニュースがないからといって、ネット心中が起きてないとは言えない。ただ、そう思ってしまう読者もいる。

 

岡田:新聞としてできるのは、今、どうなっているという現状のレポートだが、タイミングが難しい。書く意味があるかどうかも考えてしまう。むしろ、書くとすれば、「ネット心中がないと思っていた青年が自殺した」という記事なら、大きな記事になるかもしれない。「減ってないよ」と書くのは実は難しい。そうした記事でも、解説がないと、「みんな死んでいるだ。俺も..」と思う人が出てくるかもしれない。

 

―硫化水素自殺が増えたのは'07年ごろだった。新聞記事が巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」に貼られ、どうやって硫化水素を作るのか?という検証の書き込みが相次ぎ、同様の方法による自殺が連鎖した。朝日は当時、詳しい報道をしたか?

 

岡田:たしか一回どこかの支局の県版か社会面かで書いていたことがあった。それがネットに載ってしまい、かなり批判があった。「朝日新聞は自殺のやり方を教えているのか」と。そのときに、注意喚起した。

 

 ガイドラインに「自殺の詳しい方法は報道しない」が入ったのは'04年度版。'06年のいじめ自殺も、'07年の硫化水素自殺も、'12年版ができるその間だった。記者もデスクも見逃していたのかどうか。

 

 ちょうどそのころ、私は東京本社の事件担当デスクをしていた。社内で議論になり、注意喚起を流している。そうすると、当面は類似の記事は出なくなる。しかし、“有効期限”は一年ぐらい。人事異動があると、“有効期限”が切れる。だから、冊子に入れるべき。やはり、きちんとガイドラインを刷新したほうがいいなと、当時から思っていた。

 

―自殺報道に関心を持った理由は?

 

岡田:新人時代に、風呂場のガスの不完全燃焼によって、一酸化炭素中毒で母親と子ども2人、計3人が亡くなった事件を取材した。顔写真をいち早く入手し、夕刊につっこむことができた。その後、事故のあった風呂場の写真が欲しいと思った。父親が出てきて話をしてくれるが、写真を撮らせてくれない。「今、他人を家にあげたくないんです」と言っていた。何度も訪問したが、父親は一週間後に自殺した。

 

 警察は「あんたの取材のせいじゃない」と言ってくれた。しかし、相手の気持ちを考えずに取材していた。少なくとも自殺の一因になったんじゃないか。自分の取材で相手を追い詰めちゃうことがあるよと、新人研修では話をしている。その後、葬儀に出席したり、周辺取材を続けた。ものすごくプライバシーに踏み込んだ。取材すればするほどプライバシーになる。自分にとっては納得したが、書くべきかは悩んだ。結果、一行も書かなかった。

 

 いじめ自殺でも、校長に対してしつこく取材をしていた。もちろん、子どもの命が失われた事案で、背景にいじめがある。学校が担任をかばうような態度だったので、追求していた。校長とやりとりしている中で、突然、校長が立ち止まり、飛び降りそうな雰囲気になった。思わず止めた。何かの瞬間に、ふと気が抜けることがある。当事者になった人は自殺するかもしれないと考えながら取材しないといけない。

 

―WHOの自殺報道ガイドラインについてどう思うか

 

岡田:基本的にはこのテーマの研究は進んでいないと思う。亡くなった方の気持ちは基本的にはわからない。複合的な要因もあるし、病気ということもある。本当にメディアが影響したのかは究極的にはわからない。

 

 ただ、明らかに数字が増えているというケースもある。著名人が自殺したことが世間に知れ渡ったときに、死にたいと思っている人が死んでしまう場合がある。ただ、報道の自由、表現の自由、言論の自由に関わることのため、「WHOがそう言っているから、その通りやれ」とは言えない。言うべきでもない。やはり、一つひとつの項目を議論すべき。そのため、ガイドライン作成のときには、WHOのガイドラインを疑って議論した。

 

記事では記者の”葛藤”が伝わらない

 

―'11年5月、グラビアアイドルの上原美優さんが自殺した。内閣府参与(当時)だった、NPO法人自殺対策支援センター・ライフリンクの清水康之さんが、直後に自殺増えたと報告したことについて、朝日新聞は「上原美優さんの影響」と報じた。しかし、清水さんは自殺の影響ではなく、自殺報道の影響と指摘していたため、朝日新聞は訂正を出している。

 

岡田:このおかげで議論が進んだ。あれがなかったら話が進まなかった。記者が清水さんにインタビューし、記事を掲載した。そのとき、私の署名記事で「きちんとしたガイドラインを作ります」と約束をした。紙面で約束をしたから、絶対に作らないといえない状況になった。

 

―'16年9月11日、朝日新聞には「13階から飛び降り『直後に後悔』自殺未遂者語る」という記事が掲載された。一命をとりとめた40代の女性が、ゆっくりと落ちていく中で、「死にたくない」と感じたことを証言していた。この日は世界自殺予防デーだった。

 

岡田:こういう記事はタイミングを作って出している。タイミングの見つけ方は記者の感性。よくアニバーサリー・ジャーナリズムと言われることがある。それも報道する側の工夫。世界自殺予防デーとか、自殺予防週間(9月10日〜16日)、自殺予防月間(3月)などタイミングを見つけて、溜めていた記事を出す。

 

―いじめ自殺の場合、本当にいじめだけが原因なのが言われることがある。

 

岡田:いじめの場合は難しい。何をもって「いじめ」と言うかというところから、判断しなければならない。みんながみんな「これはいじめです」というケースはほとんどない。親はいじめと言っているが、学校や教委は認めない、ということがある。また、いじめには加害者がいる。加害者はまだ子どもだ。そのケアを考えると難しい。何があったのか知りたいから取材したい。しかし、どこまで取材すべきか、どこまで接触すべきか、記者は悩む。ただ、接触しないとわからない。非常に難しい取材だろう。

 

―新人記者時代、「中学生が自殺をした」という話を聞いて取材をしたことがあった。いじめの噂はあったが、確定的な証言はなかった。遺書もいじめに関することは書いていなかった。そのため、記事にはしなかった。社会問題に関連しない自殺の場合、メディアでは書かない。

 

岡田:一人の中学生が自殺した場合、病気や家庭の問題が原因であれば、報道しないが、自殺をしたのが複数だとすると、そうした背景でも報道することがある。なかなか判断が難しい。交通事故の場合、一人の死亡よりも、三人の死亡のほうが大きく扱われる。その同じ発想ではないか。どういう線引か。それは普通のニュース判断と同じではないか。

 

―私は自殺をしたい若者たちを取材している。'02年、取材していた中学生が亡くなったことがあった。読売新聞の夕刊に記事があり、年齢と住所で「もしかして?」と思った私は、その中学生のホームページを見た。すると、自殺予告をしていた。実は、家庭で虐待を受けていたのだが、読売の記事はそこまでは書いておらず、ストレートニュースで掲載していた。その記事内容でどうして載ったんだろうと思ったことがあった。

 

岡田:社によって判断が違う。中学生ということで載せたのかもしれない。読売や毎日のガイドラインを見たことがないので、自殺のことをどこまで言及しているのかわからない。デスクによってはあり得たのかもしれない。朝日が一番、抑制的だとは思う。「書いて解決すべき」という記者もいるだろうが、影響が心配。そこは配慮できるところがあるだろう。

 

 事件報道小委員会に出る四本社と北海道支社に、事件担当デスクがいる。「迷ったら事件担当デスクに聞け」と言っている。それでも迷ったら、編集局を巻き込むことになる。大抵は、事件担当デスクで判断している。

 

―朝日の場合は、ガイドラインを公表している。公開の意味は?

 

岡田:事件報道というのをなるべく知ってもらいたい。現場は相当悩みながら取材し、書いている。自分の記事で悪影響が出ないようにも考えている。でも、新聞の記事は事実しか伝えない。そのため、その葛藤が伝わらない。

 

 '04年版には固有名詞が入っていたために、'05年版を改定し、一般向けに市販している。'12年版は最初から市販を考えて作った。コンプライアンスから考えればメリットはない。警察や弁護士から突っ込まれる可能性がある。実際、突っ込まれている。一般読者や書かれた人に、説明ができない書き方はできなくなる。記者にもいい緊張感がある。


◇ ◇ ◇
 

 このインタビューが終わった翌週の2月14日、朝日新聞は第1社会面のトップで、横浜市での原発事故によって避難してきた子どもへのいじめ、金銭授受に関して、調査委員会がいじめと認めなかったが、一転して教育長が認めた記事を載せた。肩には福島県南相馬市での中学生の自殺を取り上げている。いじめが背景にあることを実名、顔写真付きで報じた。その下には、愛知県一宮市の中学生が自殺した問題で、携帯用ゲーム機に、「担任によって人生全てを壊された」などの「遺言」が残されていたと伝えた。

 

 この日の社会面は読者によってはネガティブに反応してしまうのではないかと感じた。記者のツイッターによると、社内でも議論があり、ネットでは相談窓口の情報を掲載している。こうした考えは、ガイドラインがあったことによる判断だったのだろう。


 もうすぐ3月の自殺予防月間が迫っている。各社、どのような自殺報道がなされるのだろうか。注目したい。

 

 

 

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3月8日に新刊が出ます。

東日本大震災関連ですが、岩手県釜石市の鵜住居地区防災センターで、多くの人が避難し、津波にのまれ、亡くなっています。妻とお腹の中にいた子どもを失ったひとりの男性を中心に、いま改めて3・11を振り返ります。

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DV認定はされずも、親権は母親に

人口動態統計によると、日本では、年間20万件以上、つまり夫婦の3組に1組が離婚している。人口1000人あたりの離婚率は1.77(2016年)だ。そんな中、子どもと会えない親たちがいる。先日も、別居中の夫婦が、9歳の長女の親権をめぐって争った裁判の判決があった。千葉家裁松戸支部(庄司芳男裁判官)は2016年3月、長女と別居しながらも、「年間100日、母親が子どもと面会できるようにする」と提案する父親に親権を認めていた。しかし、17年1月26日、東京高裁(菊池洋一裁判長)は、子どもと同居する母親を親権者とする判決を下した。傍聴席には、自らも子どもと会えない時期があったノンフィクション作家の西牟田靖さんが座っていた。『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)を上梓したばかりだ。

東京高裁での親権争いは、母親に親権を認めた結果になった。判決によると、母親は10年に長女を連れて実家に帰った。別居する父親は何度か長女と面会していたが、夫婦関係が悪化するにつれて、面会交流が難しくなっていた。この裁判では、「年間100日」という、欧米では標準的な面会交流の日数を提案している父親に親権を認める千葉家裁の判決を東京高裁がどう判断するのかが焦点だった。

いわゆる、フレンドリー・ペアレント・ルール(友好的親条項)というものがある。離婚後に子どもの親権を決める際、別居の親と子どもの面会交流に協力的か、別居の親を子どもに肯定的に伝えることができるか、など親権者として適正かどうかを判断する。千葉家裁はこのルールにそった内容だった。しかし、日本でこのルールを適用したのは異例だったと言える。

一方、東京高裁は継続性の原則を重視し、長女と同居する母親に親権を認めた。つまり、生活環境が安定していれば、現状維持となる。異例だった千葉家裁判決とは違い、これまでの判例通りの判断をした。別居時に、一方が子どもを連れて出ていくことを“連れ去り”と言われることがあるが、継続性の原則は、どんな形であれ、一緒に住んでいる親を親権者として認めるものだ。

私は判決言い渡しを傍聴していたが、西牟田さんも傍聴席にいた。その後、夫と妻それぞれの会見が司法記者クラブであったが、2人とも会見に参加した。母親に親権を認めた点に「結局、継続性の原則が勝つのか...」と思ったようだ。また、夫側の会見では、妻側が“夫はドメスティック・バイオレンス(DV)の加害者”と主張し、それを前提に署名活動が行われていた点に、弁護団は憤慨していた。裁判では証拠がなく、DVは認定されなかった。

『わが子に会えない』でも、妻側にDVを主張されて、警察に逮捕されるケースまで描かれている。西牟田さんはDV冤罪について「人はそれなりの正義を持っている。強固であるほど意見や立場の異なる人たちに関する許容度は減るのではないか」と感想を持ったようだ。

この裁判では、夫側が判決を不服として上告した。最高裁が受理すれば、裁判は続く。私としては、夫婦の関係崩壊は仕方がないとしても、実際に子どもへの危険がない限り、親子ができるだけ自由に面会できる権利や環境整備をしてほしい、と願うばかりだ。

普通の生活をしている常識人でも”被害”に遭う

西牟田さんが、離婚後に子どもに会えない父親をテーマに執筆しようと思ったのは当事者だったためだ。離婚後、子どもと会えない時期があった。当事者の団体を知人を通じて知り、交流会に出かけ、問題意識を持つようになった。

「交流会に参加する以前は必死だった。家族の崩壊を食い止めないといけないと思っていたし、こうなったのは自分が悪いからだ、と責めることもあった。精神的に参っていたので、門を叩いた」

子どもに会えない苦しみは自分だけなのか。そう思っていると、同じく苦しんでいる人がいるとわかった。知人の報道ディレクターがFacebookで書き込んでいたからだ。彼の話を取材し、雑誌に掲載しようと思ったが、その矢先、彼は自殺した。理由は単純なものではないだろうが、

「家族のことが一番の問題だった、と聞いた。それで余計に深刻な問題なんだ」

と思った。

『わが子に会えない』では、18人の当事者が出てくる。夫婦の関係が崩壊する理由もさまざま。浮気によるもの、妻の精神的な不安定さ、結婚に反対していた義父母のよるが妻子を囲い込み、妻からのDV、宗教が原因となるもの......。インタビュー集のため、どのパターンをどう解決するといった手立ては書かれていない。また、父親が言っていることが事実かどうかわからない。一方的ではあっても、会えない辛さを訴える当事者が目に前にいることはたしかだ。

西牟田さんは現在、子どもとの面会ができている。しかし、会えるようになるうまで離婚してから1年3ヶ月がかかった。今年も2回、元妻と子どもと3人で会うことができている。自身も同じ苦しみをしたという意味で、取材や執筆は辛くなったのだろうか。

「僕自身が当事者だが、裁判も調停もしてないので、どのケースにも似ていない。ただ、『僕の見た「大日本帝国」』(KADOKAWA)、『誰も国境を知らない』(朝日新聞出版)などの歴史ノンフィクションでは、右でも左でもなく、中立というのが売りで、途中でエクスキューズを入れていた。しかし、今回は、彼らの声を薄めずに、そのまま書くようにした。そうじゃないと、(突然子どもと会えなくなる)“災害”のようなものに遭っていることが伝わらない」

今回は、子どもに会えない父親側に立った本だが、どんな点に気をつけて書いたのか。

「バックグラウンドがバラバラな、あらゆる男の人が“被害”に遭っていることをわかってもらうために、人となりも紹介した。父親が暴力をしているのでは?と見られがち。しかし、いかに普通の生活をしている常識人であることを踏まえつつ、“連れ去り”被害を書くことにした。そのため、地下鉄サリン事件の被害者のインタビューをまとめた、村上春樹の『アンダーグラウンド』(講談社)や、原発事故被災者の声を丹念に聞き取った、スベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り』(岩波書店)を意識した。もちろん、嘘をついているかどうかはわからない。しかし、それを含めて伝えようと。今回はイタコになろうと思った」

親子断絶防止法は共同親権の足がかりになるか?

この問題をどう解決すべきだろうか。

「別れた後の処理が、ベルトコンベアのように機械的になっている。司法が関わると、なおさら大変だ。欧米では、100日面会が相場だ。諸外国のように、共同親権が認められればいい。現状では、『共同親権を実現せよ』と、声高に言っている政治家はいないが、前段階として、親子断絶防止法の制定を願っている」

親子断切防止法案は、子どもには両親の愛情が必要という前提に立ち、夫婦が離婚をしても、頻繁かつ継続的な親子交流ができ、また子どもを同意なく連れ去ることを禁止するものだ。そして、共同親権も導入すべき、と付帯決議で提案もする予定になっている。

「親子断絶防止法は共同親権への足がかりになればいい。もちろん、夫が“連れ去る”というケースも知っている。そのため、別れるのは手順が必要です。現状では義務ではないため、制度化するべき」

ただ、慎重な意見も多く、具体的な政治日程には上がっていない。DVは証拠に基づく、とされているが、証拠を保全する余裕がない場合もある。妻への暴力がある場合は、子どもへの暴力の可能性も高い。これを禁止されると、子どもを守れない。一方で、加害行為がないのに、DV冤罪を主張される場合がある。『わが子に会えない』では逮捕されたケースも掲載されている。議論が成熟はしていない。

もちろん、“連れ去り”をするのは母親だけではない。

「父親が“連れ去る”というというケースも取材したことがある。ただ、今回、父親に絞ったのは、親権は母親が優先されている現状があり、それを顕在化したかった。それに、自分が男で共感がしやすかったから」

最後に一言。

「結婚したときと子どもが生まれたときでは状況が変化する。結婚は、相手の常識とこちらの常識とのすり合わせ。子どもが生まれればなおさらだ。取り上げた人に対して感情移入はしている。僕の場合は、トラブルにあっても、別れても、復縁の目がなくても、家族だと思っている。ただ、この本を読むと、結婚に希望を見出す人が減るのかもしれない。でも、こういう問題がなくならないといけない」

 
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痴漢の嫌疑は晴れるも警察は告知せず

 

2009年12月、大学職員の原田信助さん(当時25)が東西線早稲田駅で電車にはねられ、亡くなった。自殺したとみられている。要因になったとみられているのは、この前夜に行われていた新宿署での捜査だった。遺族である母親の尚美さんは捜査に違法性があったとして東京都を相手に損害賠償を求めている。現在は控訴審の審理中だ。一審の東京地裁では原告側は敗訴した。東京高裁での控訴審(大段亨裁判長)では改めて、尚美さんは捜査の違法性を主張している。

 

 一審判決によると、09年12月10日午後11時前後、JR新宿駅構内の階段付近を歩行中、信助さんは、対抗してきた女性に「お腹を触った」と告げられ、同行していた友人らともみあいになった。信助さんは110番通報したが、その最中に新宿駅の駅員が臨場した、ことになっている。

 

 その後、信助さんと、痴漢を訴えた女性らは新宿署に連行された。信助さんは喧嘩、つまり相互暴行事件の当事者として、新宿署に連行されていると思い込んでいた。しかし、取り調べ中、痴漢(東京都迷惑防止条例違反)の容疑がかかっていると知らされる。

信助さんらは一旦、新宿駅西口交番に行くことになるが、この段階から、信助さんは所持していたICレコーダーで録音することになる。その内容は、この訴訟を支援する会のホームページ内の「ICレコーダーの録音内容」( http://harada1210.blogspot.jp/p/ic.html )に記載されている。

 

 任意同行の際、痴漢容疑について警察官は信助さんに告知してない。東京地裁では「暴行と痴漢事件が関連しているため、信助さんに対して痴漢事件被疑者として取り調べる旨を明示せず、暴行事件の被害者として任意同行に応じるように説得したとしても社会通念上相当」とし、違法性を認めなかった。

 

 110番通報の際に警視庁の通信司令センターが記録する「110番通報メモ」では【処理てん末状況】として、痴漢の犯人と信助さんの「服装が別であることが判明」として、以下のように書かれている。

 

結論:痴漢容疑で本署同行としたが、痴漢の事実が無く相互暴行として後日地域課呼び出しとした。
状況:当事者甲が痴漢をしたとして、当事者乙が丙、丁に依頼し甲を取り押さえたが、本署生安課で事情聴取した結果、乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であることが判明。聴取の結果甲、丙、丁がもみ合いになった際、お互いに暴行の事実があることから、相互暴行として後日地域課呼び出しとした。

 

この時、後日呼び出しの確約として、以下の内容で署名している。

 

 <本日、私は暴行を受けたことで新宿警察署で話をしましたが、この事で警察署から呼び出しがあれば、随時お伺いします。>

 

 しかし、信助さんを釈放するとき、被害者が目撃した人物と服装が違っていたことなどを告知していない。そのため、信助さんは痴漢の疑いをかけられていると認識しながら、新宿署を後にする。そして、母校の最寄駅・東西線早稲田駅で降り、ホームから落ちて亡くなったのだ。

 

 原告側は、嫌疑が晴れた旨を告知すべきだとしていたが、東京地裁は判決で、公訴権は検察官があり、警察官が嫌疑が晴れたことの告知義務はないとして、この点も違法性がないとした。


証言と整合性がとれないメモの内容

 

原告側は控訴審で改めて捜査の違法性を主張している。その一つが、すでに明らかになっている「メモ」だ。この「メモ」の、いくつかの点について、被告の東京都側に釈明を求めている。 この110番通報の「通知電話番号」は「090******」(「メモ」では番号が記載されている)とあり、信助さんの携帯電話から発信されたことになっている。そして、写真のように記録されている。

 

*110番情報メモの写真(メモの左上には「平成22年12月10日まで保存」とあるが、その下にも同じ日付が記載されている。これは「作成日」ではないかと思われるが、そうだとすれば、後から作成した疑いも残る)

 

 このメモを素直に読めば、通信指令センターからの情報によって、新宿西口交番の警察官が駆け付けたことになる。そして、「けんか・口論」の件を処理したことになる。警察から提出された音声によると、「お腹を触った」と言った女性と一緒にいた男性との相互暴行があったが、通信指令室ではその内容が聞き取れない。

 

信助さん 駅員に囲まれている状況なんですが。
通信指令室 いまどこにいるんですか?JRですか?

 

という通報で始まり、6分近くやりとりをしている。〈駅員に囲まれている〉のは、相互暴行が起き、駅員が信助さんを取り押さえようとしている様子を指していると思われる。しかし、通信指令室は、信助さんが通報している場所を特定してない。電話が切れた後に次のような会話がなされている。

 

上司と思われる男性 どのあたりかな?
通信指令室 何も言わないんですよ。JR新宿駅か京王線か聞いているんですけど。

 

 一審での証人尋問を振り返っても、「メモ」と合わないことがわかる。昨年3月9日の、新宿西口交番(当時)の警察官の証人尋問でのやりとりはこうだった。まず、警察官Hの証言だ。

 

被告代理人 当日の駅構内での喧嘩があるとどうやって知ったか?
H 駅員からの訴えです。直接、西口交番へやって来て、「喧嘩です。すぐに来てください」と言った。そのため、Sと一緒に現場へ向かった。
代理人 現場に到着すると?
H 原田さんは駅員二人に向かい合っていた。携帯電話を持って「駅員に囲まれている」と言っていた。囲まれているのではない。向かい合っていた。女性たちは近くに立っていた。

 

 Hの証言によると、信助さんの110番通報ではなく、駅員が直接、西口交番にやってきている。このとき、一緒に現場に向かったS警察官もこう証言している。

 

被告代理人 喧嘩をどう知ったのか?
S 駅員が交番にきた。
代理人 駅員はなんと?
S 「すぐそこで喧嘩をしている。一緒にきてほしい」。
代理人 それで?
S 私とHと2人で駅員についていった。

 

 つまり、HとSの2人の警察官は西口交番にやってきた駅員の訴えによって、「けんか・口論」を知ったのだ。信助さんの通報によって警察官が現着しているかのような「メモ」の記録とは整合性がない。「メモ」通りであれば、「けんか・口論」の現場に警察官が向かったのは信助さんの通報によるもの。信助さんの通報を受けたものではないとすれば、メモは虚偽の事実を記載している疑いが出てくる。

 

弁護団は「メモを読んでいると矛盾だらけ。メモの中が工作されているのではないか。しかも、110番通報は5分以上していることになっている。メモではよく整理されているが、信助さんの110通報では現場を特定していない。そのため、指令が出ているはずがない。信助さんが訴えた内容は、警察官に伝わっていないのではないか」としている。

 

 この点について、新たに、当時のJR新宿駅助役の一人を証人申請をした。当時の駅の対応について証言をしてもらうのが狙いだったが、申請は認められなかった。

 

 ちなみに、新宿署は、信助さんの死後、痴漢を訴えた女性らと裏付け捜査として、現場検証を行い、都迷惑防止条例違反で書類送検している。一旦は、被害を訴えた女性が、服装が違うために信助さんではないとして、以下のような上申書を提出していた。

 

 <私は御茶ノ水駅で飲食した後、中央線各駅停車新宿駅のホームの階段を降りるとちゅうに、スーツを着た男性に腹部をまさぐられ、その男性をつかまえました。その後友人男性と駅員とつかみ合いになりました。私はこの件において、男性にあやまっていただきたいです。被害届を出すつもりはありません>

 

 しかし、一転して、10年1月、被害届を提出した。供述調書にはこう書かれている。

 

 <階段を降りて行く途中、逆方向から階段を上って来た男女数名がいました。私の記憶では、この中に、濃いグレー色のスーツ姿の男性が目に入ったのです。この濃いグレー色のスーツ姿の男性が私と擦れ違い様に、右手を伸ばし、私のお腹あたりをワサ・ワサという感じで軽く撫でて来たのです>

 

 実際、何があったのかを証言しもらうために、痴漢を訴えた女性と、一緒にいた男性二人の証人を申請したが、裁判所は却下した。

1月31日口頭弁論では、110番通報メモが書き換えられた可能性について、裁判長が「修正が可能なのか?」と尋ねたが、東京都の代理人は「できない」と答えた。この裁判では、信助さんが記録していたICレコーダーや携帯電話から判断できる時刻と、東京都側が提出している証拠の時刻が合わないことが多い。ただ、誰が何をしたのかという点は裁判で明らかになってきている。

 

 信助さんが亡くなってから6年が過ぎた。月命日にはお墓詣りを欠かさない尚美さんは「こうした裁判では勝訴することが少ないが、息子の事件がどういうものかを多くの方に知っていただき、裁判をしたおかげでわかったこともあった。裁判の意味はあったと思う」と話していた。

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