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映画鑑賞ブタキラキラ

芸術性の高い作品をじっくり味わいたいです♪

なんつってー。芸術とは程遠い人間です★

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ここ1~2ヶ月で観た中で印象に残っている作品はです。

1954年イタリア
監督 : フェデリコ・フェリーニ
脚本 : フェデリコ・フェリーニ / エンニオ・フライアーノ / トゥリオ・ピネッリ
製作 : カルロ・ポンティ / ディノ・デ・ラウレンティス
音楽 : ニーノ・ロータ
撮影 : オテッロ・マルテッリ

◆ あらすじ ◆

大道芸人のザンパノ (アンソニー・クイン) は助手の女性が亡くなった為、代わりとして妹のジェルソミーナ (ジュリエッタ・マシーナ) を買い取ります。

ザンパノから手荒い扱いを受けますが、ジェルソミーナはザンパノとの旅を続けます。


1956年アカデミー外国語映画賞受賞


道【淀川長治解説映像付き】 [DVD]/ジュリエッタ・マシーナ,アンソニー・クイン,リチャード・ベースハート

¥1,890
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さすが映画史に残る名作だけあって、深いです。

人と人との関係、生きていくこと、愛とは何か?といった普遍的な疑問が、このジェルソミーナとザンパノ、二人の描写に凝縮されてて、考えさせられました。


物語は、ジェルソミーナとの関わりによって、粗野なザンパノが人間性を取り戻すまでが描かれています。

ザンパノは暴力的で、身勝手で、怠惰で、大切なものをなくして初めてやっと気付くような、欠点ばかりのだめな人間です。

ジェルソミーナは何かの役に立って生きたいと願い、ザンパノに何度も裏切られながら、逃げ出そうとしながらも、ザンパノに尽くします。

でもある日事件が起き、それがきっかけでジェルソミーナはザンパノから惨めに棄てられます。

。。。という割とシンプルなストーリーなのですが、観ている方は複雑!

ジェルソミーナは、設定では「知的しょうがいのある女性」のようです。

確かにどんくさいけど、状況はきちんと理解出来ていて、自分の意思で決断しているし、姉のローザと自分を比較したりと、ごくごく自然に物事を捉えています。

旅芸人なのにトマトを植えたのも、腰を落ち着けて暮らしたいジェルソミーナの意思の表れなのではないかと。

なので個人的にはしょうがいがあるようには思えず、勝気でひたむきなジェルソミーナに、同情ではなく愛情を感じます。

でもザンパノは嫌なやつだけど、自分との共通点がいくつも見付かるので分かりやすいのです。

ザンパノがジェルソミーナにひどい仕打ちをしても、ザンパノの気持ちが分かる気がするのです。分かりたくないのに。。。

なのでザンパノへの共感と自己嫌悪が入り混じった気持ちでラストシーンを観る事になり、ラストシーンのザンパノの姿を自分に置き換えてしまい、涙を大量に流してしまいました。


この作品は観た直後より時間が経ってからじわじわくるようです。

観る年代や状況によっても大分感想が変わりそう。

いつかまた観たいです!


この作品とカトリックとの関係については、私には知識がほとんど全くないので書けませんが、ちょっとググったら興味深いレビューをたくさん読む事が出来ました。

でも結局は「そうなんだー」どまりの感想しか持てない。。。

仕方がないわ。お箸の国の人だもの。







以下ネタバレです!




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ラストは、ザンパノがジェルソミーナを棄ててから数年後、ジェルソミーナを棄てた町に仕事で戻り、そこでジェルソミーナの死を知って海岸で号泣します。

このシーンはザンパノがジェルソミーナを思い、悔いを感じ、人間性を取り戻すという感動のシーンです。

ザンパノの姿を観てどう感じるかは人それぞれであり、その時その時の状況によっても変わってきそうです。

私はザンパノの姿を観て、「この男はジェルソミーナの不在を知って初めて、自分の孤独に気付いた。ジェルソミーナの為ではなく、自分の孤独を痛感し泣いている」と感じました。

少しはジェルソミーナを不憫に感じているだろうけど、8割方は自分の為ではないかと。

そして、人はどこまで無私になれるのか、どこまで人を思いやれるのか、思いやりと言っても結局はエゴではないのか、と考えてしまい、泣けてしまいました。

何かの役に立ちたいと生きたジェルソミーナの人生は、もしザンパノがいわゆる「思いやり」を手に入れたなら意味のあるものだったと言えるけど、あの海岸での涙が自己憐憫のものであったら犬死ではないかと。


いつかまた観たら感想が変わってくると思います。

というか変わっていてほしい!





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