不安や恐れはどこからやってくる? | 糸島ヨガ凪&松浦ヨガ古縁の暮らしにヨガを

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心身共に深くリラクスして、じっくりと気持ちよく身体を柔らかくほぐしていきませんか。身体がほぐれてくると心も軽くなって
安定した心身の状態を保つことができます。凪のような穏やかな
心身を目指しています。

私たちは、何も持たずに生まれて
そして最後は何も持たずに
この世を去っていきます。

最後は、
肉体は亡くなるけど、
魂(スピリット)は残された人々に
受け継がれたり、影響を与えたり
して、生き続けていくでしょう。
いかに生きていかに死んでいくか。
ヨガのテーマでもある
魂と肉体。

生・老・病・死

いわゆる四苦八苦の中の
生きていく中での四大苦しみ。
何不自由なくお城の中で王子として安穏として
暮らしていたお釈迦様が偶然城門の外で
目にしてしまった四つの苦しみ。
苦しみとは、自分ではどうにもならないのだろうか?
この四つの苦しみを克服するにはどうすれば
いいのか。お釈迦様は、お城を出て
苦行の旅に出ます。
苦しみを苦しみで乗り越えようとするけれど、
苦しみはそれでも乗り越えられませんでした。
あるとき、インドのブッダガヤの菩提樹の樹の下で
深い瞑想状態から悟りを開いたのは有名な話です。
実はこの瞑想法は当時のヨガの座法を取り入れた
ものだったんです。
悟りの境地とはどういう状態だったのでしょうか?
諸説ありますが、「諦め」という漢字で表わす説もあり、
なかなかおもしろいです。
「諦め」というと、ネガティブなイメージですが、
ありのままに受け入れる。受容する」ということではないでしょうか。
結局生きていく中で、私たちにはどうしようもないことが
たくさんあるので、「受け入れていく」ことも大切なことだと。

四大苦しみの中に「生まれること、生きる」ことが
入っているのが、興味深いことです。
生き苦しさ、きっと誰もが感じたことがあるのでは?

生きる苦しみとは・・・・

いろんなものを
手に入れて、抱え込んでしまって、
それを手放したくないという
執着から生まれる恐れや不安。

また「ああなりたい。こうなりたい」
または、子供に家族に
「こうなってほしい。ああなってほしい」
「あれが欲しい。これが欲しい」
でも思い通りにならない。という
欲望が焦りや不安を生みだしているのでは?
私もしばらく、このスパイラルの中でもがき
苦しみました。
あるとき、この苦しみは、自分の中で生まれ
自分の中で勝手に成長していることに気づきました。
苦しみは外の世界からやってくるものではなく、
自分の中で生みだしているんですね。

もともと私たちは何も持たずに
生まれてきたのだから、
失うものなんてないはずなんです。
最後に美しいスピリットが残れば
それで十分ではないでしょうか?
そう思うととっても身体も心も軽くなって
生き苦しさも消えてしまいました。

なんのために生まれ、死んでいくのか?
なんのためにこの世に命を与えられたのか?
魂を磨くとは、どういうことなのか?
ほぼ24時間身を削って、救急医療の現場で
わが身を捧げる東大病院救急科医の屋作直樹先生の
「いのちが喜ぶ生き方」
ご縁とお役目 ~臨床医が考える魂と肉体の磨き方」
を読んで、深く感銘を受けて
その答えが見えてきました。

また機会があれば書かせていただきます。